2025年01月04日
ともし
藤原の大宮仕へ生(あ)れ付くや娘子(をとめ)がともは羨(とも)しきろかも(万葉集)
の、
羨(とも)しきろかも、
は、
羨ましきかぎりだ、
と訳注がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ろ、
は、
接尾語、
とあり(仝上)、
かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月片寄るも(万葉集)
や、
武蔵野のをぐき(小岫)が雉(きざし)立ち別れ去(い)にし宵より背(せ)ろに逢はなふよ(仝上)
と、
名詞の下につく。意味は明確でない。歌の調子で用いられているような例もあり、親近感を示すように見える例もある、
とある(岩波古語辞典)。この、用例は、
記紀歌謡と、「万葉集」の東歌・防人歌や「常陸風土記」のような上代東国の歌にほとんど集中している、
といい(精選版日本国語大辞典)、名詞に付くことが主であるところから、この「ろ」を、
形式名詞、
として、上接の語を含めた全体を体言相当語とする説もある(仝上)。
ともし、
は、
乏し、
羨し、
と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、類聚名義抄(11~12世紀)に、
乏、トモシ、貧、トモシ、マズシ、
とある。現代語でいうと、
ともしい(乏しい、羨しい)、
になる。
ともし、
は、その由来を、
タマサカ・タマタマのタマ(偶)から転じたトモから派生した語(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
タマシキ(偶如)の義(名言通)、
友ホシヒの義(国語溯原=大矢徹)、
トモはトミオ(富發)の約(国語本義)、
トモホシ(甚乏)の義(日本語源=賀茂百樹)、
等々、諸説あるが、
トム(求)と同根。跡をつけたい、求めたいの意。欲するものがあって、それを得たいという欠乏感・羨望感を表す(岩波古語辞典)、
動詞トム(求)の形容詞化(日本古語大辞典=松岡静雄)、
とあり、
オソル(恐)とオソロシイの関係と同じく、トム(求)から派生した語であろう。求めたいと思う対象が稀少であったり、心ひかれる対象についての情報量が少ない時に懐く感情をいう、
とある(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)のが妥当なのだろう。
とむ、
は、
尋む、
求む、
覓む、
と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、
トは跡の意、
で、
時に川上に啼哭(ねな)く声有るを聞く。故、声を尋ねて覓(トメ)(別訓 まき)往(いてま)ししかば、一(ひとり)の老公(をきな)と老婆(をむな)と有り(日本書紀)、
と、
跡をつけていく、
たずねる、
さがしもとめる、
意である(仝上・精選版日本国語大辞典)。
ともし、
は、上述の由来から、
思ほしきことも語らひ慰むる心はあらむを何しかも秋にあらねば言問の等毛之伎(トモシキ)子ら(万葉集)、
と、
物事が不足している、
不十分である、
(もっと欲しいと思うほど)少ない、
とぼしい、
意や、
乏(トモシキ)者(ひと)の訴は水をもて石に投ぐるに似たり(日本書紀)、
と、
財物が少ない、
貧しい、
貧乏である、
とぼしい、
意というように、
少ない、乏しい、貧しい等々、対象の客観的状態等を主とする(日本語源大辞典)、
状態表現として使われ、
八千種(やちくさ)に花咲きにほひ山見れば見のともしく川見れば見のさやけく(万葉集)、
と、
(存在の稀なものに)心惹かれる、
珍しく思う、
意や、
日下江の入江(くさかえ)の蓮花蓮身(はちすはなはちすみ)の盛り人(さかりびと)登母志岐(トモシキ)ろかも(古事記)、
と、
自分にはないものを持っている人などをうらやましく思う、
意などのように、
心惹かれる、羨ましいなどの意未は、対象に対する話し手の感情を主とする(日本語源大辞典)、
価値表現となる。ただ、中古以降、この用例は、
ほとんど見られなくなる、
といい(仝上)、
うらやまし、
等々に代替された(仝上)とみられる。
うらやまし(羨)、
は、
女児も、男児も、法師も、良き子ども持たる人、いみじううらやまし(枕草子)、
と、
ウラヤムの形容詞形。恵まれた状態にある相手に、ひそかに憧れ、自分が相手の状態になれればいいと遠くから思う意。類義語トモシは、相手の状態が非常に稀で貴重なので、自分もそうありたいと思う気持ちからくる欠乏感・羨望感。ココロヤマシは、相手の思うままにされて不愉快だ、抵抗もならず、自分ながら劣等意識でいやになる、などの不快な感情、
とある(岩波古語辞典)が、
ウラヤマシのには恵まれた状態にある相手にあこがれ、自分もそうなりたいと思う感情が含まれる、
とある(日本語源大辞典)。
「羨」(①漢音セン・呉音ゼン、②漢音呉音エン・慣用セン)は、「羨魚情」で触れたように、
会意文字。「羊+よだれ」で、いいものをみてよだれを長く垂らすこと。羊はうまいもの、よいものをあらわす、
とあり(漢字源)、「臨河而羨魚」の、「うらやむ」意や、以羨補不足(羨(あま)れるを以て足らざるを補う)の、「あまる」の意の場合は、①の発音、「羨道(エンドウ)」の、墓の入口から墓室へ通じる長く伸びた地下道の意の場合は、②の発音、とある(仝上)。別に、
会意形声。羊と、㳄(セン)(よだれを流す)とから成り、羊の肉などのごちそうに誘発されてよだれを流す、ひいて「うらやむ」意を表す(角川新字源)、
会意兼形声文字です(羊+次)。「羊の首」の象形(「羊」の意味)と「流れる水の象形と人が口を開けている象形」(「口を開けた人の水「よだれ」の意味)から、羊のごちそうを見て、よだれを流す事を意味し、そこから、「うらやむ」、「うらやましい」を意味する「羨」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2179.html)、
も、会意兼形声文字とするが、これを否定し、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
として(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%A8)、
形声。「羊」+音符「㳄 /*LAN/」(仝上)、
形声。声符は㳄(せん)。㳄は涎(せん)の初文。〔説文〕八下に「貪欲なり」と訓し、字を㳄と羑(ゆう)の省に従うとするが、字の形義を説くところがない。墓壙の羨道(えんどう)の意もあり、また羨余の意もあることからいえば、羨道で犠牲を供えて祭り、その余肉を人に頒つことと関係のある字であろう。㳄には唾して汚す意があり、盜(盗)とは血盟を唾して汚し、その盟約に離叛する者をいう(字通)、
と、形声文字とする説もある。
「乏」(漢音ホウ、呉音ボウ)は、
会意文字。正の字の上下が反対の形。正(征の原字で、まっすぐ進むこと)とは反対の、動きが取れない意を表し、乏は、貶(ヘン おとす、退ける)の字に含まれる、
とある(漢字源)。「乏」の異字体は、
疺、 𠂜、 𠓟(古字)、 𣥄、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%8F)、他は、
指事。正の上部を曲げて、正しくない意を表す(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%8F)、
指事。正の字を左右逆向きに書いて、「とぼしい」意を表す(角川新字源)、
と、指事文字とするが、別に、
象形。仰むけの屍体の形。水に浮かぶものは泛、土中に埋めることを窆(へん)という。〔説文〕二下に訓義を説かず、「春秋傳に曰く、正に反するを乏と爲す」と〔左伝、宣十五年〕の文を引いて字形を説くが、字は正の反形ではなく、むしろ亡󠄁(亡)の反文に近い。乏困の意は、その天禄の少ないことをいう。〔荘子、天地〕に「吾が事を乏(す)つること無(なか)れ」という用法がある。矢ふせぎの意は、窆を転用したものであろう(字通)、
と、象形文字する説もある。
「覓」(漢音ベキ、呉音ミャク)は、「覓(ま)ぐ」で触れたように、
会意兼形声。覓の原字は、「目+音符脈の右側の字(細い)」。目を補足して、ものを見定めようとすること。覓は「見+爪」からなる俗字、
とあり(漢字源)、別に、
会意。爪(そう)+見(けん)。金文の字形は手と見とに従い、手をかざして見る形のようである。〔玉篇〕に「索求するなり」とあり、何かをさがし求める意。「食を覓む」のようにいう(字通)、
と、会意文字とする説もある。
覓、
は、
遂教方士殷勤覓(ツヒニ方士ヲシテ殷勤ニ覓メシム)(白居易)、
と、
もとめる、
さがしもとめる、
意である。
覓ぐ、
を、
目、
と関わらせるのが妥当な所以である。「まぐ」に当てる、
覓、
と、
求、
の違いは、漢字では、
求は、乞也、索也と註す、なき物を、有るやうにほしがり求め、又はさがし求むる義にて、意広し、求友・求遺書の類、
覓は、さがし求むるなり、捜索の義、是猶欲登山者、渉舟航而覓路(晉書)、
とある(字源)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95