2025年01月08日
こもりくの
大君の命(みこと)畏(かしこ)み親(にき)びにし家を置きこもりくの泊瀬の川に舟浮けて(万葉集)、
の、
にきぶ、
は、
馴れ親しむ、
意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
和ぶ、
とも当て、
荒ぶ、
の対、
で、
にきむ、
ともいい、
しろたへの手本(たもと)を別れ丹杵火(にきび)にし家ゆも出でて(万葉集)、
と、
やわらぐ、
柔和になる、
くつろぎ安んじる、
平和なさまになる、
馴れ親しむ、
の意で使う(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
こもりくの、
は、
隠国の、
隠処の、
と当て(広辞苑)、
「く」は所(デジタル大辞泉)、
クはイヅクのク、所の意(岩波古語辞典)、
「く」は場所、所の意(精選版日本国語大辞典)、
などとあり、大和國風土記に、
古老傳云、此地者、両山澗水相夾而、谷閒甚長、故云隠國長谷、
とあるように、
泊瀬(はつせ)は山に囲まれた地であるから(広辞苑)、
両側から山が迫って、これに囲まれたような地形であるところから、……、「はつ」に身が果つの意をふくませて、死者を葬る場所の意をこめている例もある(精選版日本国語大辞典)、
両側から山が迫っている所の意で(岩波古語辞典)、
等々によって、地名、
泊瀬、
にかかる枕詞である。
こもりく、
の由来は、
隠國(こもりくに)の下略(國栖(くにす)、くす。陸(くにが)、くが)。國は、泊瀬國なり、こもるは、幽冥に隠るる意、泊瀬は、埋葬の地にて、地名も、果瀬(はてせ 憂瀬(うきせ)の類)の転なり(稜威言別)、万葉集「事しあらば小泊瀬山の石城(いはき 墓)にも隠(こも)らば共に莫(な)思ひそ吾が夫(せ)」(夫婦、倶に死せむ)、倭姫命世紀「許母理國(こもりくに)、志多備(したび)之國(下部は、黄泉なり)」(大言海)、
コモリクはコモリ(隠)所、すなわち密林の意か。初瀬の枕詞として用いられるのは地形によるものか(日本古語大辞典=松岡静雄)、
コモリキノ(隠城之)の義(槻の落葉信濃漫録・稜威言別)、
泊瀬は口のコモ(隠)った地形であるところから、コモリクは隠口の義(万葉集類林・和訓栞)、
等々諸説あるが、「隠沼」(こもりぬ)で触れたように、
隠沼、
が、
隠れの沼、
ともいい、
隠れた沼、
つまり、
草などに覆われて上からはよく見えない沼、
をいう(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)ところから類推すれば、
「く」は場所、所の意。両側から山が迫って、これに囲まれたような地形であるところから、
というのでいいのではないか(精選版日本国語大辞典)。なお、
「皇太神宮儀式帳」(八〇四)や「倭姫命世記」(一二七〇‐八五頃)には「許母理国志多備之国」と続いた例があり、「したびの国」に続く枕詞の例となっている。「したびの国」は黄泉(よみ)の国で、死者のおもむく所であるから、「こもる」には身を隠す意で死ぬ、葬るなどを暗示していると見ることが可能である、
ともある(仝上)。
泊瀬、
は、
奈良県桜井市東部の初瀬川渓谷の総称、
で、
初瀬、
長谷、
とも書く(世界大百科事典)。古くは、
はつせ、
と呼ばれ、
泊瀬、
とも表記した(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E7%80%AC)。現在は、
はせ、
と発音する。
大和と東国とを結ぶ伊勢街道の要衝にあってはやくから開け、雄略天皇の泊瀬朝倉宮、武烈天皇の泊瀬列城(なみき)宮などが営まれたとされる、
とある(世界大百科事典)。和名抄に、
長谷郷、
が見え、城上(しきのかみ)郡に属していた。
渓谷入口の三輪山に近い慈恩寺・脇本地域などは古代のシキ(磯城)地域に含まれ、狭義のヤマトの範囲の東端に位置していた、
とある(仝上)。渓谷中部には西国三十三所第八番の長谷(はせ)寺がある(仝上)。
泊瀬の由来は、
大和川(やまとがわ)を川舟でさかのぼって泊(は)てる瀬の意か。山川の清浄な地域で、〈こもりく(隠国、隠口)の泊瀬〉と呼ばれる特殊な霊地であったらしく、初瀬川、初瀬山なども歌に詠まれた(世界大百科事典)、
初瀬は、猶、濫觴と言はむが如し。長谷をハツと云ふは、谷、蹙して長し、故に長、谷の字を當つ、長谷川、此に発する也、川瀬の発するところの、略して、はせ(大言海)、
この場所は大和川が東から大和盆地に流れ下る川口にあたり船舶による運搬が主だった上古の時代の船着場(=泊瀬)でもあった。これより上流は三輪山の南麓を東西に流れる隠遁とした長い谷となっており、万葉の歌はこの様子を詠んだものである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E7%80%AC)、
等々とある、独特の地形に因っている。
「隱(隠)」(漢音イン、呉音オン)は、
隱、
は、
旧字体、異体字は、
隠(新字体)、隐(簡体字)、㡥、㥼、䨸、乚(古字)、嶾、濦、蘟、𠂣、𠃊(同字)、𤔌、𨼆、𨽌、𮥚(俗字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9A%B1)。「隠沼」で触れたように、字源は、
会意兼形声。㥯の上部は「爪(手)+工印+ヨ(手)」の会意文字で、工形の物を上下の手で、おおいかくすさまを表す。隱はそれに心を添えた字を音符とし、阜(壁や土塀)を加えた字で、壁でかくして見えなくすることをあらわす。隠は工印を省いた略字、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「上からかぶせた手の象形と工具の象形と手の象形と心臓の象形」(「工具を両手で覆いかくす」の意味)から、「かくされた地点」を意味する「隠」という漢字が成り立ちました。また、「慇(イン)」に通じ(同じ読みを持つ「慇」と同じ意味を持つようになって)、「いたむ(心配する)」の意味も表すようになりました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1278.html)が、
形声。阜と、音符㥯(イン)とから成る。「かくれる」「かくす」意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)、
形声。「阜」+音符「㥯 /*ɁƏN/」。「かくす」を意味する漢語{隱 /*ʔ(r)ənʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9A%B1)、
形声。声符は㥯(いん)。㥯は呪具の工で神を鎮め匿(かく)す意。𨸏 (ふ)は神の陟降する神梯。その聖所に神を隠し斎(いわ)うことをいう。〔説文〕十四下に「蔽(おほ)ふなり」とするが、神聖を隠す意(字通)、
は、形声文字とする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95