2012年10月29日

人生を表現する生き方~影響を受けた二冊


 今回は,影響を受けた二冊,『ノマドワーカーという生き方』『タレントだった僕が芸能界で教わった社会人としての大切なこと』について語りたい。

 自己表現というとき,私にとっては,自分の内面のことであり,自分の思いであり,自分の感情であった。その自己を自分の生活に広げたとき,自然主義文学が輸入され,勘違いから,日本的な私小説が始まった。別に田中英光も好きだし,葛西善蔵も嫌いではない。しかし私小説のめり込むのは嫌であった。その意味で,生活を表現する,ということにはどこかに偏見というか先入観があった。文学的な表現力として私小説レベルにいかなければ,ただの公開日記に過ぎない,と。
 しかしそういう鱗が目から落ちたのは,飯塚和秀氏の『タレントだった僕が芸能界で教わった社会人としての大切なこと』出版記念イベントで,プロのブロガーとして紹介された立花岳志氏に会い,「日記と情報の違い」を気づかせてもらい,改めて『ノマドワーカーという生き方』を読んだことが大きい。そこで気づいたのは,自己表現から自己の生活表現へ,そして自己の生活表現から,自己の人生の表現へ,さらに自己の生き方そのものの自己表現へという,表現の何重もの変化を経ている,という印象である。
文学表現ということではなく,自己表現として考えたとき,何か大きな変化が,とうに起きているのに,気づけぬまま,相当遅れてたどりついた,という感じなのである。
 で,その視点から見たとき,私がたまたま出会った,二冊の本,『ノマドワーカーという生き方』『タレントだった僕が芸能界で教わった社会人としての大切なこと』は,期せずして,自己の人生を表現しており, 面白いことに,そこ徹底していくと,自分の人生そのものの自己表現へと,表現媒体が移行している感じなのである。テーマが,生き方になった瞬間,生き方自体の自己表現へと発展せざるえないのではかろうか。
 この二冊並べることの客観的な妥当性はわからない。他にも先行する人生表現はあるのかもしれないが,自分の中では,両者が出会い,初めて,表現方法の逆転に気づかされたという意味では,並んでいるのである。
 考えてみれば,たった一回しか上演されない演目を,みずから主役を張っているのだ。それを表現してみることも大事だが,そう意識したとたん,その自分自身の表現そのもの工夫する方向にいくのは当然の流れなのかもしれない。

 いま,そう言っている自分自身が,自己表現の場としてブログに参入したのも,この二冊の影響が大きい。まだまだとても人生の表現にまでいたっていないにしろ,自己表現のもうひとつの舞台として,ブログを選択したのに違いはない。
 自分の先入観から考えると,多分本屋ではこの二冊を手にすることはなかったと思う。しかし自分の人生を表現し,さらには自分の人生そのものを自己表現するというのは,おのれの生き方そのもの変えていく,いやより高みへと変えざる得なくなるはずなのだ。そのことを,すくなくとも私は,この二冊から教えられた。
 己を知ること莫き患えず,知らるべきことを為さんこと求む,と孔子の仰せも,その文脈でみると,生き方としての自分ブランドを高めることと言い換えてもいいかもしれない。

 たしかフランクルがいったと記憶しているが,どんなひとも語りたい自分の人生もっている。そうなら,語る面白さを知れば知るほど,語るに値する人生を,たった一度の舞台で自己表現をきわめたくなるに違いない。それでいいのではないか。できるだけ極上の質の高い表現をするために。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


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posted by Toshi at 22:39| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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