笑顔の効果~ユーモアのある光景


「絶望の反対は,なにか?」
普通に考えると,希望ということになる。だが,ある女性歌手は,
「絶望の反対は,ユーモアではないか。」
と答えたという。辞書では,
「上品なオシャレや諧謔」
「社会生活における不要な緊迫を和らげるのに役立つ,婉曲表現によるおかしみ。」
とあるそうだ。(『希望のつくり方』)

コトバ的には「希望」が妥当なのだろうが,その伝でいくと,絶望の底から,ふっと引き上げられる,その瞬間の感情に焦点を当てると,滲むような笑顔が浮かぶきっかけになるもの,と受け止めてもいいのだろう。望みのなくなった時,ふと笑いを誘われて,そこから立ち上がるきっかけをつかむ。そんな藁しべなのかもしれない。それを,表情側に焦点を当てれば,ユーモアに誘われて引き出された笑顔ということになるのではないか。

箸を横にして口にくわえると,そこに浮かぶ表情筋の使い方は笑顔に似ているそうだ。そして笑顔に似た表情をつくると,ドーパミン系の神経活動が変化するといわれている,という。ドーパミンは脳の快楽に関係した神経伝達物質で,楽しいから笑顔を作るというより,笑顔をつくると,楽しくなる機能を脳はもっているらしい。しかも,実験では,笑顔になると,楽しいものを見つける能力が高まるのだという。つまりは,悲しみやネガティブではなく,面白さや楽しさに目が向く。

逆に恐怖や嫌悪の表情の実験では,恐怖の表情をつくると,それだけで視野が広がり,眼球の動きが早まり,遠くの標的をとらえられるようになり,嫌悪の表情をつくると,逆に視野が狭くなり,知覚が低下したという。つまり,この実験で,恐怖への準備は恐怖の感情ではなく,恐怖の表情をつくることで,スイッチがはいるらしい。これを顔面のフィードバック効果というそうだが,笑い顔をつくるだけで,プラスのフィードバック効果が心にあるというのは頷けよう。

そう考えると,ユーモアが,絶望の反対,あるいは絶望を抜け出すきっかけになる,というのもまんざら嘘とは言えない。というか,確かにいいセンスだ。ひょっとしたら,本当に絶望した経験のある人なのかもしれない。

たとえば,われわれは,相手のしぐさをまねる性向があり,相手の笑顔をみたら,自分もその表情を真似るらしい。すると笑顔の効果で自分の感情が楽しくなる。ということは,笑いの場,笑いを生み出す場にいるのがいいのではないか。

例えば,寄席。ただし吉本喜劇はだめだと思う。あのわざとらしい,あざとい笑いの強制は,自然に生み出す笑いとは似ても似つかない。あそこからは,絶望感が深まるものしか生まれない気がする。なんというのだろう,思わずつられてにこりとしてしまう,そういう笑いを引き出すものでなくてはいけないのではないか。例えば,古いかもしれないが,ひげダンス。欽ちゃん走り。あるいはパントマイム。寄席ならそんなのがいっぱいありそうだ。吉本新喜劇よりは松竹新喜劇(ちょっと古すぎか!)。

なぜそう思うかというと,こういう例がある。

脳卒中によって左半球の運動皮質が破壊され,顔の右半分がマヒしている患者の場合,患者の口元は正常に動いている側に引っ張られてしまう傾向がある。患者に口を開け,歯を見せるように言うと,その傾向は一層際立つ。

ところが,患者が滑稽な話に反応して自発的に微笑んだり高笑いすると,まったく違ったことが起きる。笑いは正常で,顔の両側がまっとうに動き,表情は自然で,その人間がマヒにかかる前に見せていた笑いと変わらない。これは情動と関係する一連の動きをコントロールしているものが,随意的な動きをコントロールしているものと同じではないことからきているらしい。

もし笑いが,心に楽しさの灯をともすのなら,わざとらしく笑うよりは,自然な笑い,湧き上がる笑いによる効果のほうがいい,まあ個人的にはそう思うのだ。

これをもう少し敷衍するなら,いつも笑いのある場は,楽しさいっぱいだろう。そして,そういう場には発想が豊かに違いない。なぜなら,発想力とは選択肢がいっぱいあることであり,それにはユーモアが重要なキーワードなのだ。しかめ面した顔からは,トンネルビジョンに入り込んだどん底の苦しさしかない。そこには選択肢は少ない。



参考文献;
池谷裕二『脳には妙なクセがある』(扶桑社)
アントニオ・R・ダマシオ『生存する脳』(講談社)


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