引き続き,池谷祐二『脳には奇妙なクセがある』について
人は学んだとことの1/2から1/3を,8時間後には忘れている,という。成りたい自分をイメージすれば,夢はかなう,という人がいる。そして現実にそうなったという人も一杯いる。だが,たぶん,ただ夢見ただけでも,強く思っただけでも,ないはずで,そのことを実現できた人は意識していない,そんな気がしたいた。
脳は出力することで記憶する。それは経験的にそう思ってきた。使わなければ,脳のニューロン・ネットワークは強化されず,強化されなければ,忘れていく,と。池谷さんは,こう書く。
脳に記憶される情報は,どれだけ頻繁に脳にその情報が入ってきたかではなく,どれほどその情報が必要とされる状況に至ったか,つまりその情報をどれほど使ったかを基準にして選択されます。
前に笑顔をつくるだけで,楽しくなる,という例を挙げた(http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10981807.html)が,笑顔という表情の出力を通して,その行動結果に見合った心理状態を脳は生み出したと言えるようだ。たとえば,身体を眠くなる状態にしておくから,眠くなる。身体が先で,眠気は後,会議や授業中の睡魔も,「静かに座っている姿勢が休息の姿勢でもあるから」だということになる。
やる気も同じで,やる気が出たからやるというより,やりだしたことで気が乗り始める。「何事も,始めた時点で,もう半分終わったようなもの」ということらしいなのだ。たとえば,掃除の例を挙げている。始める前は億劫で,その気にならないが,えいやっと,動き出すと,とことんきれいにしたくなる,ということがあるように。
デューク大学のクルパ博士は,ネズミのひげがモノに触れた時(受動,入力)と,ネズミがひげを動かしてモノに触れた時(行動,出力)では,大脳皮質の反応が,まったく違い,「身体運動を伴うと,ニューロンが10倍ほど強く活動する。つまり,うだうだ言っているよりは,まずは動き出してしまうと,その結果勝手にニューロンが活性化し,どんどん自分を前へ押し出してくれる,ということのようだ。
だから夢を見た人は,意識的か無意識的かは別にして,すでに何か動き出してしまっている,そのことが,夢を手元に近づけている,と言えるのかもしれない。
ところで,英語には頑張れ元気を出せという気合いにかかわる言葉はないそうだ。「あきらめるな」とか「ベストを尽くせ」といったより具体的な表現しかないらしい。頑張れは,あえて訳せば,「Chip up」「Cheer up」であり,顎を上げろとかうつむくな,という具体的な指示になる。顎を上げる,うつ向かない,という行動が心に影響を与えるというのは,笑顔の例と同じだ。身体の構え,恰好を取るから,がんばるマインドを引き出していく…。
同じことは姿勢にも言える。ブリニョール博士らは,学生たちに,「将来仕事をするために,自分のいいところと悪いところを書き出す」というアンケートを,一方は背筋を伸ばして座った姿勢,他方は,猫のように背中を丸めて座った姿勢で,書いてもらった。すると,背筋を伸ばした姿勢で書いた内容のほうが,丸めて書いた姿勢よりも,各進度が高かったそうだ。自分の書いたことについて確かにそう思うとより強く信じたということだ。
ここでも,形や行動,姿勢が,強くマインドを左右する結果が出ている。よく,柔道や剣道,その他の技にかかわる世界,「形」をまねるところから入るのは,守破離の「守」の部分,形から入って形からでる,といわれるのにも似ているだろう。
「形」の模倣とは,各世界における「型」に含まれる要素的な活動(「型」を要素に分解できるわけではないが)の学習といってよい。(『「わざ」から知る』)
ただしここで「形」と「型」を区別しているところに注目しておかなくてはならない。型とは,「技法と集合的個人的な実践理性」という。何のことかわからないが,先代勘三郎が,こういっている。
「先代の源之助のおじさんがお辰をやったとき,いつも後見を勤めてて……,あの焼ゴテに赤く火が見えるのは,丁度いい間合いを計って後見が仕掛けてあるモグサに線香で火をつけるんです。そうやって毎日しているうちに,お辰の呼吸(いき)とか段取りとかが,自然に身につくんですね。
というように,形を習得しただけではなく,学ぶものがその「形」の意味を,模倣を通して自分なりに解釈し,その芝居全体の意味は何か,歌舞伎全体での意味は何か,と文脈全体を取り込むという,より大きな目標に注目を移していくことで,「形」を自然な「型」にしていく。「形」の習得は技の習得の入り口に過ぎない,その意味の「守」ということなのだろう。
そこにも,姿勢や形,恰好から入っていく入り口が見える。
このことは,例のライルのいう「Knowing that」(知識の所有)と「Knowing how」(遂行的知識)が思い出され,知っていることとできることの違いにも思いがいく。
自分は怠け者で,いつも,「形」のところから引き返してきた気がしてならない。何かを極めたものは,たぶんすべてののが見える見え方が違うのだろう,という気がする。今更遅いが,死ぬまで,型の手前まで,行きたいものだ。
参考文献;
生田久美子『「わざ」から知る』(東京大学出版会)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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