2012年12月20日
「覚悟」という言葉を口にするとき~死とどう向き合うか
友人三人で,万座温泉に旅行に行った。一人は癌で,いま一人は手術を控えていて,いま一人も成人病予備軍。
彼は,「もう効く薬がない」といわれたとき,「マーカーの数値が二桁上がった」とき,覚悟を決めたと語った。覚悟という言葉には,人にそれ以上深く追及させない壁がある。自分はもう決意したのだから,そのことについて,四の五の言うな,というように聞こえた。しかし聞きたくなる。“そうか,決めたのか,で何を決めたのだろう”いや“そもそも,決めたところでどうなるのだ”等々。
確かに死ぬと決まった時,あるいはまもなく死ぬと聞かされた時,何がよぎるのだろう。母が再入院と決まった日,家族には何も言わず,叔父(母の義弟)に,「もう少し生きたい。まだやりたいことがある」と,はがきに書いて出した。母は無念のまま,心をのこして死んだ。しかしどう考えようと,死はくる。それを延ばせても,止められない。
覚悟という言葉を聞いた時,一瞬,石田三成を思い出した。刑場へ連れて行かれる時に,刑吏が柿を出した。それをみて,身体に悪いと言って,三成は断ったという。それを刑吏は笑った。処刑される人間が,身体に悪いとは,と。しかし,その話を読んだ時,思い出した逸話がある。フランス革命時,ジャコバン党に処刑されることに決まった貴族が,刑場へ運ばれる馬車の中で,本を読み続け,処刑場につき,刑吏に,降りろと促されて馬車を出るとき,貴族は読みかけの辺のページの端を折ったという。それを人は笑うかもしれない。しかし,死の直前まで,それまでと同じ日常を,淡々と過ごしていくことこそ,覚悟というか,凄味があるのではないか。
彼は,マーカーの数値が上がると,我々二人に連絡を取って,「飲もう」という。あるいは,「夕日を見に行こう」などといって誘う。あるとき,彼は言った。「マーカーの数値があがって,いよいよかと思った時,君たちの顔が浮かんだ」という。これでもう二度と会えないかと思って,と。そういえば,久しぶりに電話をもらった気がする。そんなことを二三回,だから一緒に飲んだり,夕日を見に行ったり,そして先だって,旅の誘いがあった。いまは,聞く薬がないので,痛み止めを飲んでいる,という。つまりは,痛みがあちこちにある,ということらしい。しかし,帰路,痛みが薄らいだという。痛みの奥の芯のような痛みがなくなったきがする,と。ひょっとすると効能書きにある,酸性硫黄泉と高度1800mでの血流効果があったのか?効いたら,また来たい,と彼は言っていた。
泊まった宿(日進館)の効能書きにはこうあった。日本には4000以上温泉がある中で,標高1000m以上の高地温泉は40数か所,その中で酸性硫黄温泉は,万座温泉だけ。1800mの低い気圧が新陳代謝を向上させる,と。
硫化水素のにおいのする白濁の湯の中で,また飲みながら,淡々と昔の話をし,今の政治の話をし,日々の暮らしの話をし,かつ議論をし,かつ歎き,そして飲んだ。それはいままで,若いころから,40年にわたって繰り返してきたことを,また現在再現している。ただ彼は塾を経営し,いまひとりは公益法人の常務理事に収まり,私は,自営で20年以上やって来た。三人一緒に同僚でいたのは,ほんのわずかでしかない。だが,どういうわけか長い付き合いになっている。ひとりはいらちで,気短か。いまひとりは気長で粘り強い。いま一人は,三人の調整役。その彼から私まで一歳ずつ違って,同じ時代の空気を吸い,同じ怒りを怒り,同じ悲しみを悲しんできた,まあほぼ同世代。悲憤慷慨は共有しあうものがある。しかし,彼は,三人の中で,要の位置にいる。考えてみれば,彼がそこにいない時,彼が遠い存在であった時期も,残りの二人であっているときも,彼を意識していた気がする。
だからといって,いつも一緒に居たいとお互いに思っているわけではない。長い間合わなくても,別に苦にはならない。ただ,「死を思ったとき,君たちの顔を思い出した」といった彼と同じように,私も,彼らのことを思い出すだろうか。
コマーシャルで,井上揚水が,「あっという間でしたね」と言っているセリフがあった。本当に,この40年はあっという間のことだ。ガイアシンフォニー第三番(これしか見ていないのだが)の中には,いっぱい魅力的なセリフがあるが,最もお気に入りは,
人生とは,なにかを計画している時におこってしまう,別の出来事のことをいう。
結果が,最初の思惑通りにならなくても,最後に意味を持つのは,結果ではなく,過ごしてしまった,かけがえのないその時間である。
三人は,一瞬同じ夢を見たことがある。それは見事に潰えて,バラバラになった,その時間を「かけがえのない」と言えるかどうかはわからないが,苦闘と苦悩の日々だったことだけは確かだ。その一瞬一瞬は,一期一会だ。好きな石原吉郎の同名のタイトルの詩で言えば,
一期にして
ついに会わず
膝を置き
手を置き
目礼して ついに
会わざるもの(「一期」)
そこまでかっこよくはないが,潰えた後,ひとりとは十年,いま一人とは二十年,会わない時期があった。空白期,お互いに自分の人生を拓いていった。
ふと思う。これは新たな始まりなのかもしれない。「私はほとんどうかつであった」という石原の詩句が好きである。
重大なものが終わるとき
さらに重大なものが
はじまることに
私はほとんどうかつであった
生の終わりがそのままに
死のはじまりであることに
死もまた持続する
過程であることに
死もまた
未来をもつことに(「はじまる」)
死の直前,全生涯分の一瞬一瞬が,映画フィルムのラッシュのように,目前を走るという。本当かどうかは知らない。その時,お互いのラッシュのどれだけが一致するだろう。そんなかけがえのない時間をすごせたのか?
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