人との距離がうまく測れないというときはないだろうか。それは,たぶん家族との間でも,間々あるが,それはたぶんこちらの心の側に隔てを意識すること(ありていに言えば,後ろめたいことやこだわりのあること)であって,ここでの場合には当てはまらない(こともないか?)。
僕自身は,対一人に対しても,対グループや場にしても,いつも,どこかに隔てを感じている。どういうといいだろう。踏み込めない障壁を感じている。それは,相手にあるのではなく,たぶん自分にある。たとえば,好きな人と帰り道が一緒になったとする,確かにしめたと思うのだが,さしさわりのない話をしているうちに,だんだん気分が重くなって,そこから逃げ出したくなる。そこから先へ踏み込むのに,たぶん氷が解けるように,少し時間がかかる。そんな気持ちがあるせいか,分かれ道でサヨナラを言うと,ほっとする思いが半分くらいある。しかし後から,こういえばよかった,ああいえばよかった,と悔いがくる。
C・オットー・シャーマーが,意識の在り方と対話について,こんな整理をしていた。
①私の中の私([I-in-me]境界内部にある中心から行動する) 当たり障りのない会話
ここでの会話は, 過去のパターンや蓄積したデータをダウンロードするような会話で,既存の態度や考えのパターンを再生産している。相手の受け入れやすいことしか言わず,自分の考えていることを言わない自閉的なシステム。
②それの中の私([I-in-it]境界の内側の周辺から行動する) ディベート(討論)
ここでの会話で,自分の考えていることに基づいて話す。互いに異なる考え方を言い合う。あなたはあなたの考え,私は私の考えを言う。それぞれのシステムは閉鎖したままの,適応的システム。
③あなたの中の私([I-in-you]境界の周縁(向こう) から行動する) ダイアローグ(対話)
ここでの会話は,初めて習慣と決まりきったやり方の世界の内側から,その周辺部へ,境界で囲まれた領域の外周へとシフトしていく。ここでは内からの視点ではなく,全体(両者双方)の一部としての自分を観るところから話をする。互いの異なる考え方の中で,私には私の考えがあるが,と自分の考えを外から見て,内省することが始まる,自己内省システム。
④いまの中の私([I-in-now]開かれた境界を超えて出現している領域から行動する) 生成的な流れ
ここでの会話は,自分の内側の視点から,外を眺めていたものが,自分(の内側)から外(の領域)へ出て,外の領域
から物を見始める。自分と他者の境界を超えて,流れているものから話す。その時のその場,その文脈に立って,自分を観,相手を観る。これを,プレゼンシング(Presencing)と呼んでいる。Sensing(感じ取る)とPresence(存在)の混成語。最高の未来の可能性のリソースとつながり,それを今に持ち込むことという,生成的システム。
こうしてみる,結果として,自分自身が自分の境界をつくっていて,おずおずと声を出している。そこでは,相手も,おずおずと私か自分を開示しない。自分の意見を出すと,相手は,それに合わせてたぶん自分の意見を出す。自分の自己開示に合わせてしか,相手も自己開示しないとみえる。
確かに,社会的浸透理論(アルトマン&テイラー)によると,自己開示を通してお互いに相手のことを知ることにより,相互の信頼が増し,好意的な関係が形成される,という。さらに,開示が表面的か内面的かでは,明らかに,内面的な開示の方が,話し手への行為が高まるし,さらには,相手が開示したことが,自分への信頼によるものとみなせたことが,より満足度を与えることになるとされている。
で,開示について,
①関係の初期より,関係が継続するにしたがって,開示と好意の関係が大きくなる。
②女性同士の方が,開示と好意の関係が大きいが,男女間ではあまり見られない。
③特定の人だけに自己開示を行った方が,誰にでも開示するより,好意のとの関係が大きい。
④自己開示の幅と深さほど,好意度との関係が大きい。
とされている。だから,自己開示,それも,内面的な開示をする,そういう場や機会を自分でつくっていかなくてはならない。これは,慣れもある。ザイアンスの法則ではないが,単純接触効果というのがある。何回かあっているうちに,相手の好意度も増すし,こちらもそれによって慣れていく。
しかし,その先にあるのは,心理的障壁だ。ただ開示するのではなく,心と感情と知がオープンにならなくては難しい。ここで,思い浮かんだのは,ブレインストーミングだ。ここで大事なのは,すべてのアイデア(考え方,考えも)是非や可否ではなく,異質さとみなすということだ。良し悪しではなく,違いとみなす。情報とは差異であるとは,ベイトソンの言葉だが,そうみなした瞬間,すべてはイーブンに,どう組み合わせるか,どうそれをクリアしていく別のアイデア(考え,考え方も)に行くかを考える。アイデアについては,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11000208.html
で触れたが,それとたぶん同じなのだろう。その心理的効果については,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11001331.html
でも触れたが,共感性に通じるものがある。自分の枠を出て,自分の意見ではなく,そこにある意見そのものの海の中にいる。そのとき,その場にいて,その場の方向を考えている。かっこよく言うと,(アイデアのまとまった)未来から今を見ている。先の④の今の中の私になれる。
場については,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11007605.html
でも触れたが,そのとき,いまを作り出していくのは,たぶん,自分が,内面から自己開示できる程度にまで,自己の境界を超えて出て,心を開く,つまり,
・評価・判断の声(VOJ:Voice of Judgment)
・皮肉・諦めの声(VOC:Voice of Cynicism)
・恐れの声(VOF:Voice of Fear)
という心の中の抵抗(サボ)をかき分けていかなくてはならない。まずは,自分ができない理由(原因,たとえば自分の生い立ちや成長プロセスの外因(佐世保,富山,多治見,岡崎,高山,大垣,一宮と転々として,小学校を4回変わったから,その場所へ入るのに,様子見からはいる云々)に被けることを辞めるところから始めなくてはならない。
参考文献;
C・オットー・シャーマー『U理論』(英治出版)
奥田秀宇『人をひきつける心』(サイエンス社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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#自己開示
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