記憶をさかのぼる~物語を語るⅠ
自伝的記憶をさかのぼると,産道から出てくるところまでたどり着ける人もいるらしい。
前にも書いたが,あるところであるお母さんから聞いた話では,自分の子が,言葉をしゃべれるようになったころ,「私は,本当はあの場所から出たくなかったのに,急に明るくなって,お父さんとお母さんに引っ張り出された」といったそうです。帝王切開だったのですが,それをちゃんと覚えているのです。そして,その子は,「お母さんは,バス停でないところで,バスを止めたでしょう」といったそうです。その子を抱いて,確かにそんな経験をしたそうです。
しかし僕の場合,一番古いのは,褞袍をきたオヤジの懐に入れられていたという話だが,これは後年富山時代のこととして,母から聞いたことのように思う。それ以外は,浮かばないのだが,スイカ畑で,例のスイカの緑に墨色の並みの模様が,いっぱいあるのを,デジャブのように時々,見る。ひょっとしたら,富山で見ていた可能性はある。富山でいっぱいスイカをもらったという話を聞いたせいかもしれないが。
それ以前は,佐世保にいたらしいのだが,今にも死にそうなくらい痩せこけていた,ということを後に聞かされた程度で,少なくとも,思い出せない。死ぬ前に,一瞬フィルムのラッシュのように,一生分が目の前を流れるというから,今すら楽しみにしている(ていうか,死んだ奴は語れないので,誰が言ったの?)。
富山の後というと,多治見時代で,幼稚園に行くのに,誰かが呼びに来て,一緒に行ったらしいという記憶が,朧にある。いまひとつ多治見時代のことで鮮明に覚えているのは,矢作川の堤防から見た,今にもあふれそうな川の光景だ。確か,台風が来た翌日位で,土手を上って見に行ったのだと思う。堤防の頭あたりを舐めるように波頭が洗い,茶色く濁った川が激しく波立って流れていたのを覚えている。
幼稚園の学芸会か何かで,終わった後にみんなで撮った写真が残っているが,いいものの星の王子(金色の星を頭にかぶせっている)と悪いものの星の王子(黒い星の絵を頭にかぶせっている)がいた記憶はある。で,僕は主役ではない,悪いものの方をやったらしいのだが,覚えていない。ただ,誰だか知らないが,好きな子がいたらしくて,その時のかすかな心のざわめきだけが,写真から伝わってくる。
多治見の官舎は,矢作川沿いにあり,一階は堤防より下にあたる,いつもジメジメしけったところで,そこに野良犬を拾ってきて飼っていたという記憶はあるのだが,病気にやられた。と,そこまでは覚えているが,その後,犬がどうなったかは覚えていない。
(父は検事をしていたので)大体,2~3年毎に転勤していたので,犬を飼うということ自体が無理な話で,今思うと,よく野良犬を飼うことを,父が許したものだと思う。それにしても,昔の官舎はボロ屋ばかりで,転勤した家は,どれも,狭く古ぼけていた。今の官吏は贅沢だとつくづく思う。閑話休題。
そこから飛んで岡崎になり,城址脇の,小さな官舎に住んでいた。そこで覚えているのは,感謝のすぐ目の前にあった小学校で,泳ぎを覚えた,と言っても,浮かんでいられないので,潜水だけだが。それと,弟が死んだ記憶だ。どうも,その後の高山と混同していたが,確か,生まれたての弟をよく負ぶって,歩いていた。記憶に間違いなければ,夕方遅く,お城の堀のあたりを歩いていて,屋台のオヤジに感心だと,ほめられ,いい気になって毎日その近くを,弟を負ぶって連れまわした記憶がある。そのせいではないが,はしかで,あっけなく弟は死んだ。誤診,と聞かされたが,後年,もう死の床にあった母が,しきりに悔やんでいたのを,思い出す。
もう一つ鮮明に覚えているのは,城址脇の河原の花火大会で,花火より蚊に刺されてかゆくてたまらなかったことの方がよく覚えている。
その後の高山というのは,小学校3年から6年の二学期までいたが,僕の中で,なんとなく故郷というイメージ(あくまでイメージで,知己も知り合いもいない)に近い。これはこれで別に書く必要がある。
ナラティヴ・セラピーで,問題を支持・維持するストーリーをドミナント・ストーリーと言い,それに対抗する別のオルタナティブ・ストーリーを見つけることで,自分を見直すということをするのだが,僕には,それの是非を云々する資格はないが,ひとは「現在」から過去を見る。いまの自分のありようで,過去が違って見える。
人は,因果でストーリーを描く傾向がある。今が幸せなら,それは過去からの必然に見える。そのような自分のストーリーのみを紡ぎだす。今が不幸せなら,それも過去からの必然に見える。だからいまここがあるというようなストーリーを描き出す。
だが,エリック・バーンが(言ったのではないという説もあるが),「過去と他人は変えられない」と言い,ミルトン・エリクソンが,「変えられるのは,過去に対する見方や解釈だけ」といったのも,今(の生き方)次第で,過去が変わって見えるということでしかない。
確かにそう思うのだが,人生は計画通りにはいかない。いったとしても,それは人生と呼ぶに値しない,業務遂行みたいなものだ。人生に,するめのような味わいがあるかどうかは,それはいまこの瞬間を生きているかどうかだ。
また同じ引用で申し訳ないが,ガイアシンフォニー3番の,
人生とは,何かを計画している時に起こってしまう「別の出来事」のことをいう。
結果が思惑通りにならなくても,最後に意味を持つのは,結果ではなく,過ごしてしまった,かけがえのないその時間である。
それがかけがいのない時間になっているか,どうか。いまの,一瞬一瞬に,問われている。僕は,計画を悪いとは思わないが,計画に費やす時間は,かけがえのない時間なのかどうか。それによって,自分の過去が,ひとつのストーリーとして見えるかどうかは問題ではない。自分の今が,過去をそう見せているだけだ。
確か,フランクルが言っていたと記憶しているが,誰もが人生の物語を持っており,人はそれを語りたがっている,と。もしコーチングに意味があるとするなら,その人の物語を聞いてあげることだ。そして,次の新しい物語を,一緒に作っていくことだ。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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