2013年01月10日
故郷体験というものについて~物語を語るⅡ
好きな場所ということで,高山のことは一度触れた。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2012-1105.html
小学校の3年から,6年の二学期までいた。なんだか,老人の思い出話のようだが,自分の物語を語りたがるのは,フランクルに言われなくても,人の習性なのではないか,という気がしてくる。
高山で一番印象深いのは,小学校の修学旅行が名古屋・伊勢・志摩だったのだが(父の実家も母の実家も名古屋で,僕にはこの旅行先は行ったことのあるところだったのだが),汽車(まだ高山線は汽車であった)に乗った瞬間,何人かが酔ってしまったのをよく覚えている。それだけ田舎だったのだが,豪華絢爛たる山車で有名な高山祭でわかるように,田舎だから貧しいというわけではない。天領高山は,結構豊かなのだ。
あそこでは,故郷というところで体験するだろう,すべてを,わずか三年半ほどで味わったという気がしている。典型的な転勤族で,佐世保,富山,多治見,岡崎,高山,大垣,一宮と,父の転勤に合わせて転居し続け,途中で,祖父の死を機に,実家のあった,名古屋城下の小さな屋敷跡も,父が売ってしまったので,官舎暮らしの,全くの浮草であった。
それだけに,いま振り返ると,高山の生活が,一番故郷らしい記憶として残っているのだろうという気がする。そこで,子ども時代に経験するすべてがあった気がするのだ。
まずは,缶けりを中心とした遊び,まあ学校で注意されるほど,本町4丁目の連中は夕方遅くまで遊びほうけていた。梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」そのままである。
高山祭にも参加したが,宮川の東側は,新しい町ということもあるし,火災にあったせいもあって,子供みこししか,当時はなかった(と記憶している)。祭で,一緒になってみこしを担ぐのは初体験だった。当時は,カメラが当たり前にあるわけではなく,母がヤシカの二眼レフをもっていたが,その写真には写っていなくて,子供用のおもちゃのようなミニカメラ(これも当時はやっていた)で撮ったのが残っている。
毎夏,本町の宮川沿いの広場に,本格的な土俵が作られて,子供相撲大会が開催された。やせこけていて,「弱いなあ」と見届けていた叔父に,からかわれたのを覚えている。夕方になると,たしかその木工所のおがくず置き場のそばに,紙芝居が毎日来た記憶があるが,それよりは,そのおがくずの中はカブトムシの幼虫の宝庫で,掻き出すと,いっぱいとれたのを覚えている。
祭には,当時ヒヨコが夜店で売られていて,何匹かを庭で放し飼いにして,成鳥にしたのだが,どう考えてもオスで,しかも子供がいい加減に飼っているので,痩せこけていて,とうとう持て余してしまった。見かねたオヤジの一声で,かしわやに売った(というより頼み込んで引き取ってもらった)。代わりに鶏肉が来て,なんだか複雑な気持ちになった。食べる気がしなかった。
でも,あの当時は,(お客さんがあると)家で鶏をつぶすのは当たり前で,僕は友人の家で,首を刎ねられた鶏が,それでも,庭を逃げ回っていたのを覚えている。あるいは,狩りで捕まえたウサギの皮を,どういうやり方なのか,見事にくるりとひん剥いて,ピンクの地肌になってしまったのに目を剥いた。さすがの悪童も歓声を上げ,調子に乗ったそのおっさんは,何回も,ウサギの皮むきを実演して見せたものだ。
こう書くと,残酷という言い方をする人がいる。しかしそういう人は,うまそうに食べている牛がどう屠殺されるのか,そしてどう解体されるのかを見てきた方がいい。いまは,きれいなことばかりを見て,その裏でやっていることがブラックボックスになっている。マグロの解体がショーになって,豚や牛の屠殺と解体がショーにならないのは,ご都合主義としか言い様はない。閑話休題。
西小学校には,当時プールがなくて,川向うの何たらという小学校(北小だと思う)に,木枠にビニールを貼ったプールができ,そこへ行ったのだが,何かと面白くなかったのか,北山の裏の川に泳ぎに行く方が多かった。そこでおぼれかけたんだが,そのことは,すでに触れた。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2012-1205.html
宮川は,今もきれいなのかどうかは知らないが,遊び場のひとつで,友達がやつめうなぎを捕まえたのを聞いて,自分も市販の,尿瓶のできそこないのような仕掛けを買ってもらって,川に仕掛けたが,さっぱりだった。でも川魚(名前を忘れた)を何尾かとらえたのか,もらったのか,宮川に向かった庭に,小さな穴を掘って,促成の池を作ったのだが,その夜だったか翌々日だったか,大雨が降り,見事に魚は川へ消えていった。
宮川の少し上流に,いまでいうと代官所跡前あたりのところに,深い淵があって,そこでも遊んでいたが,雷が鳴ってきて,「水に潜ると安心」とか言い出し,いま考えると危険なのだろうが,平気で潜っていたのを思い出す。
記憶に強く残っているものからいえば,スケートだ。確か長靴に,エッジを直接括り付けるタイプで,積雪が車で固められて堅くなったところが,夜中に零下まで気温が下がって,夜が明けると,道路が臨時のリンクになっていた。学校では厳しく禁止されていたが,トラックの荷台の後ろにつかまって滑るのが流行っていた。これが一番面白い。信号か何かで,止まっている荷台につかまって,行けるところまでついて行って,手を放すと,結構惰性で滑っていく。
スキー(これも,スケート同様,長靴に直接括り付けた)も初体験だった。そんなに雪が多いわけではないが,学校で,確か原山スキー場というところに連れて行かれ,かろうじて転ばないで滑れる程度にはなった。小4か5だったと思うが,友達と二人で,バスに乗って,何度かスキー場へいったこともある。そのとき,弁当に,焼き餅にしょうゆをつけて海苔で巻いたものを持っていたのだが,腹が減って,往きのバスの中で食べてしまったものだ。半ば固い餅と張り付いてしまった湿った海苔の,でも何とも言えぬおいしさはよく覚えている。
一度だけ何十年ぶり家の大雪というまで,官舎の中庭が雪で埋まり,屋根から降ろした雪と一緒に固めて,かまくらを作ったことがあった。これも初体験だが,冷たくて寒いだけで,ちっとも楽しくはないはずなのだが,ただ中に入っているだけで,何がおかしいのか笑い転げていたような気がする。それだけで十分異界な感じだったのかもしれない。
冬の流れで言うと,毎冬,凧揚げをしていたが,新聞を細く切ってしっぽをつけ,宮川の橋の上から揚げたものだ。しかし一番面白かったのは,竹ひごでつくる紙飛行機で,ゴムでプロペラを回して飛ばす。それが流行っていて,何機も作ったことをよく覚えている。竹ひごを注意深く火に当てて,ゆっくり曲げる。ニュームの細い管でつないで,翼を作った。プラモデルとは違って,作り手の腕によって,飛び方が全く違う。歩いて5分くらいの西小の校庭で飛ばしたので,微調整程度では飛ばない失敗作を作った時は,恥ずかしくて跳んで帰ったものだ。
そのほか,高山で遊びのほとんどを覚えた。めんこ,ビー玉,城山と北山ヘの探検の山登り,蜂の子巣とりと蜂の子の味,そうそう,営林署の知り合いにジープで連れてもらって,乗鞍に2度ほど上った。一気に行くので,軽い高山病も,初体験した。
等々ありとあらゆる,子供の時の体験が,三年半に凝縮して味わえたという意味では,充実した時期だったのかもしれない。いまも,故郷は?と聞かれると,「ない」といいながら,心には高山が浮かんでいる(今の高山ではない。いまは新興宗教の伽藍が風景を遮っていて,とても2度と行きたいとは思えない)。
おまけに高山というのは面白いところで,(いまはどうかしらないが)小学校では,必ず楽器を選択しなくてはならず,トランペットとバイオリンのうち,父の反対で,いやいやバイオリンをやらされた。確か,ついこの間まで,子供用のバイオリンが転勤を一緒にして,東京まで運ばれてきていた。おまけに,塾も初体験で,それ以降は一度も行ったことはない。何のかのと言いながら,当時の高山は,独立したエリアながら,独自の文化圏と独自の豊かさがあったように思う。
わずかな年月だが,父は検察官として大きな事件にあったらしいのだが(記憶違いか,それとも何十年も前なので消えたのかは知らないが,ネットで見る限り,別の地域での事件の判決文は見つかった),どっちにしろ小学生の自分にとっての大事件は,高山で生まれた末妹の行方不明事件だ。遊んで帰ったら,家の前が騒然としていて,母親があわてていた(らしい)。結局3歳の子供が,勝手に歩いて,東の北山の向こうで,うろうろしているのを,農家の人が見つけてくれて,事なきを得たが,子供の歩く範囲は,捜索していた範囲をはるかに超えて,かなり遠くまで行ってしまったらしい。
後年母曰く,「ぼろぼろの普段着のちゃんちゃんこを着たまま,街中を歩いていたかと思うと,恥ずかしくて目から火が出る」と。昔は皆同じように貧しかったから,どのみちろくな格好はしていなかったが,親としては,ボロ着のまま外を歩かれたのが恥ずかしかったのだろう。
確かに今に比べると,皆貧しかったが,同じ貧しさにも差があって,妹は,友人の家に,何人かでお呼ばれした時,雑煮だかしるこだかをごちそうになったそうだか,そのひとりが,それをポケットに入れて持ち帰ろうとしたというのを聞いた。妹か弟かにたべさせる,という。小学校一年生が,だ。貧しさに,いま昔も,差がある。知り合いの田舎は,群馬の山の中だが,クマよけの鈴を鳴らしながら,学校へ通っていた一家が,夜逃げをしたという。その本人と,後年東京であったというから,また奇遇というのはある。閑話休題。
どの年の夏だったか,高山別院が火事になったことがある。二階から見ると,ちょうど目の前の感じで,火が燃え上がり,屋根を炎が舐め,棟が崩れるのを眺めていた。子供心にも,一大イベントだったのだろう。結構興奮していたのを覚えている。
なんだかんだと遊びまわったせいか,痩せこけた少年も,それなりに脚力がついたのか,6年の三学期に大垣の東小へ移り,その年か,翌年の東中学校(東小の隣にある)かの学年マラソンで,二位に入った。いかに田舎暮らしで体力を養ったか,大垣といえども,岐阜県では都会なのだと思い知った記憶がある。当然,それ以降は,マラソンは完走すら出来になくなっている。
僕にとって,「故郷」のイメージは,有名な,室生犀星の,
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや(「小景異情」)
という,いじいじした,アンビバレントな感情の対象でもないし,憧れでもない,帰りたい対象でもない。その意味では,遊び暮らした桃源郷に近いかもしれない。いまや,知り人もいないし,縁者もいないのだから,当然と言えば当然なのだが,母の死後,母が,当時の担任の先生と賀状のやり取りを続けていたことを知り,今,僕がそれを引き継いでいる。今年も来た。すでに八十を超えてご健在で,「若いころの西小時代が懐かしい」とあった。あのころ,先生も若かったのだ。
今日のアイデア;
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