2013年01月15日

パースペクティブを広くとることで見えてくるもの~宮地正人『幕末維新変革史』を読んで


上下二冊の,宮地正人『幕末維新変革史』(岩波書店)を読んだ。

本書の中で,福沢諭吉が『西洋事情』を上梓する際,「天下にこんなものを読む人が有るか無いか夫れも分からず,仮令読んだからとて,之を日本の実際に試みるなんて固より思いも寄らぬことで,一口に申せば西洋の小説,夢物語の戯作くらいに自ら認めて居た」という,諭吉の述懐に,珍しくこういう私論を持ち込んでいる。

本物の著述というものは,人に読ませる以上に,なによりもまず自らの思考を筋道だたせるもの,自己の身体に内在化させるものなのである。(宮地正人『幕末維新変革史下』)

これが,そのまま,本書への著者の覚悟といったもののように受け止めた。

はっきり言って,こういう通史を読んだことはない。あえて言えば,大佛次郎の『天皇の世紀』が匹敵するか。でもあれは,人物中心の縦だけに視点が当たっていた。

本書の特色は,いろいろあるが,3つに整理できる。


第一は,世界史の中に突然投げ込まれる当時の日本の背景となる,欧米列強の東アジア進出から,「前史」として,書き始められる。

冒頭は,こう始まる。

マゼランが1519年,世界一周航海を行おうとした当時は,緯度だけが計測できた。

航海術の開発史は,そのまま世界へ欧米列強が進出する前提になる。つまり,日本史は,世界史レベルの中において位置づけなおされる。日本から見てわからないことが,世界史から見ると,よく見える。あの当時の日本のおかれているジレンマ,個人の有能無能,日本の有能無能だけでは測れない。自分ではコントロールできない時代の圧力といったものの中でしか見えないものがある。


第二は,この本の終りは,田中正造と幕末維新で,こう締めくくられる。

幕末期から明治初年にかけての政治体験から正造が導き出した政治原則は,反封建・反専制であり,法によって保障され,しかもその規模と大小によって決して区別されることのない私有権の擁護であった。彼はこの原則を堅持し貫徹していく中で,労働と生存権の思想にその後の闘いの中で接近していくのである。

すでにこの中に,明治の中期後期の芽がある,という考え方は,この直前の章,福沢諭吉と幕末維新の最後で,こう書くのとつながっている。

諭吉の「丁丑公論」での西郷擁護に触れて,

そのベクトルは大きく異なっていたにしろ,一貫して社会から国家を照射し,社会のレヴェルから国家のあり方を構想しようとする立場において,福沢と西郷は立場を共有していた。それだからこそ,西郷自刃の直後,公表を全く目的とせずひそかに福沢が草した「丁丑公論」こそが,最もすぐれた西郷追悼の言葉になったのである。

として,その引用の後,こう締めくくるのである。

福沢諭吉は国家に対峙する抵抗の精神を西郷に見出す。国家以前に社会があり,社会のためにこそ国家があるとの彼の思想が,自由民権運動の思想と行動にいかに多大な影響を与えたのか,その後の歴史が証明するだろう。

と。この著述全体は,地租改正と西南戦争で終わるが,そのパースペクティブは,もっと広く,自由民権運動にまで及んでいる。その締めくくりで,こう書く。

士族反乱に訴えることが不可能となった状況のもと,幕府の私政と秕政に対する新政府の正統性を保証するものとしての明治元年の五箇条の御誓文と新政府のスローガン「公議輿論の尊重」を前面に押し出し,自由民権運動によって国政参加を要求することになるのは極めて自然な流であった。しかも,新政府が掲げ,条約改正交渉出会えなくも失敗した「万国対峙」と国家主権の回復の実現,即ち不平等条約の廃棄を,自由平等運動の結果創設される国会に国民の総力を結集することによってかちとることを主要目的に構えるのである。士族運動は明治初年代の歴史動向の中から,そしてそこに根差して発展していくのである。

このことが国権拡張につながる芽も,僕はここにあると考えている。すなわち,条約改正が失敗するのは,不平等条約締結が単なる徳川政権の失政ではなく,世界側つまり欧米列強から見ると全く違うということだ。

欧米キリスト教諸国が日本に押し付けている治外法権と低率協定関税は,日本に対してだけのものでは全くなく,不平等条約体制という国際的法秩序そのものだ,という苦い真実を使節団は米欧回覧の中で初めて理解した。

そのなかから,

国家的能動性を誇示して国威・国権を回復するコースには,条約改正の早期実現による主権国家としての日本の確立という道とともに,日本を19世紀後半の世界資本主義体制に安定的に編入するため,東アジア外交関係の形成,国境画定という国際的課題で国家的能動性を顕在化させる道が存在していた。

その道が,民権・国権と対峙しながら,統一されていくのも,世界史レベルで見た日本の生き残りの,ひとつの途だったということが見えてくる。


本書の特徴の第三は,通史としての,一本道を,縦だけではなく,断面を層として膨らませていく手法がとられていることだ。

その中に,おなじみの吉田松陰,勝海舟,西郷隆盛,福沢諭吉等々とは別に,幕末期の漂流民(ジョン万次郎を含めて)のもたらす世界知識,蝦夷地に通じた松浦武四郎,町医師から奥医師となった坪井信良, さらに,個人とは別に,幕末維新期に影響を与えた,平田国学,風説留という各地の豪農,儒者,医師が書き取った手記,手紙での同時代の意見や感想,『夜明け前』のモデルとなった信州の豪農たち,蘭学者たち,国学者たち,豪農・豪商,農民が,その時代どう考えていたのか,手紙,日記を駆使して,時代の横断面から,分厚い歴史の地層を描出している。

たとえば,平田国学について,

自然科学書は当時の知識人の必読文献であり,篤胤とその門弟たちは人を批判するのに,「コペルニクスも知らないで」と嘲笑している。

と,国学者レベルの持つ幅広い知識を紹介しているし,風説留では,

(ペリー)来航情報が瞬時にして全国に伝搬し,人々がそれを記録し,そして江戸の事態を深い憂慮をもって凝視するという社会が出現していた。

という。だから,ある意味で世論があった。「幕府を守ろうとする」私権で動いていることが,幕府・幕閣を除く有意の人々には見えてくる。幕府は,見限られるべくして,見限られていく。

著書は,前書きで,こう書く。

本書の基本的視角は,幕末維新期を,非合理主義的・排外主義的攘夷主義から開明的開国主義への転向過程とする,多くの幕末維新通史にみられる歴史理論への正面からの批判である。

たとえば,攘夷について,

狭義の奉勅攘夷期を,無謀で非合理主義的な排外運動と見るのが,明治20年代から今日までの日本の普通の理解だが,著者はそうは見ていない。
民族運動の中でも,その地域に伝統的国家が長期にわたって存続し続けていた場合には,必ず国家性の回復という性格がそこにはまとわりついてくる。特に日本の場合には古代以来の王権が武家の組織する幕府と合体して,日本人にとっての伝統的国家観念を形成していた。当時の日本人の全員が感じた危機感とは,この国家解体の危機感,このままいってしまっては日本国家そのものが消滅してしまうのではないかとの得体の知れない恐怖感なのである。幕府が外圧に押されて後退するたびに,この感覚は増幅され,それへの対抗運動と凝縮行動がとられていく。(中略)
吉田松陰は刑死の直前,「天下将に乱麻,此事不忍見,故に死ぬると,此の明らめ,大いに吾と相違なり,天下乱麻とならば,大いに吾力を竭すべき所なり,豈死すべけんや,唯今の勢いは和漢古今歴史にて見及ばぬ悪兆にて,治世から乱世なしに直ちに亡国になるべし」「何卒乱世となれかし,乱世となる勢い御見据候か,治世から直に亡国にはならぬか,此所,僕大いに惑う」と述べている。この乱世を起こす能力もない日本「亡国」化の危機感が彼をあのように刑死にまで突き動かした根源なのである。

と説明している。こういう言い方もしている。

攘夷主義としてレッテルを貼られている政治思想は,少なくとも日本の場合,外国嫌いだから,あるいは世界の事情に通じていない無知蒙昧だから形成されたのではない。国家権力が外圧に対して主体的に対応不可能に陥った時,国家と社会の解体と崩壊の危機意識から必然的に発生する。その条件が消滅すれば,当然存在しなくなるものである。すべてを世界史を前提とした政治過程として理解すべきだ,と著者は思っている。

そして,この通史全体を,こう概括する。

この世界資本主義への力づくの包摂過程に対し,日本は世界史の中でも例外的といえるほどの激しい抵抗と対外戦争を経,その中で初めて,ヨーロッパは17世紀なかば,絶対主義国際体制のもとで確立された主権国家というもの(著者はこれを天皇制国家の原基形態と考えている)を,19世紀70年代,欧米列強により不平等条約体制を押し付けられた東アジア地域世界に創りあげた。そしてこの主権国家がようやく獲得した自信をもって,上から日本社会を権力的につかみ直そうとするその瞬間,幕末維新変革過程でぶ厚く形成されてきた日本社会そのものが,自由民権運動という一大国民運動をもって,自己の論理,社会の論理を国家に貫徹させようとする。この極めてダイナミックな歴史過程こそが幕末維新変革の政治過程ではないだろうか。

その意図は,おおよそ達成されている。もちろん好みを言えば,勝のウエイトより福沢が重視されている,横井小楠が軽視されすぎている等々という個人的な憾みはあるが,初めて,幕末維新史が,イデオロギーではなく,内発する人々の動機とエネルギーに焦点を当てた感じがする。

本書読むうちに,いまの時代と重なる。幕末時代,外圧に対抗することで,自らのアイデンティティを確立していった。敗戦後もそうだ。しかし,いま日本は1000兆もの借金まみれの中,また政府は新たな借金を増やそうとしている。頼みの1500兆の個人金融資産も,個人債務,株式・出資金等々を除くと,ほぼ借金と重なりつつある,危険水域に達している。その危機に,政治家も,経営者も,自治体トップも,もちろん国民も,本気で臨むものはほとんどいない。何か,まだ国に頼めば何とかなる,とぼんやり期待している。土建屋はまた公共事業に蟻のように集まっている。地方自治体は国に頼めば何とかなると思っている,企業も国の補助金をあてにし,ちょっと具合が悪いと,働かなくても,年金より多い生活保護にすがる。惰性と,無気力というか奇妙な能天気で,この先に巨大な大瀑布があるとわかっているのに,流され続けている。あの時,幕府が,世界史のテンポに比べて緩慢であったように,いまわれわれも,世界史のテンポに比して,あまりにも緩慢で,のんびりしている。

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posted by Toshi at 05:59| Comment(3) | 書評 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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