「場」が育てていく学習~「場」についてもう一度考える
前に,Tグループ体験をきっかけにして,「場」について考えてみた。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11044109.html
今回は,「場」について続いて考えてみるが,別の切り口からアプローチしてみたい。
場が主役といった場合,その場をどう枠づけるかがカギになるのだろうか。もう一度前回のまとめを繰り返すと,
場という時,次の3つを考えてみる必要があるのではないか。
ひとつは,その場の構成員相互の関係性と言い換えてもいい。別の人とだったらそうはならなかったかもしれない。
ふたつは,その場の構成員相互の行動・反応である。ある行動(非言語も含め)にどうリアクションがあるのか等々。
みっつは,その時の状況(文脈)である。明るい日だったのか,寒い日だったのか,うるさい環境だったのか等々。
その時の全体の雰囲気である。前項と関係があるが,フィーリングと言ったものである。
これが場の構成要素だとすると,B=f(P, E)は,場(field)=Fを中心に,
F=f(P, E,B)
となるのではないか,ということであった。数学的に正しい表現なのかどうかわからない。しかし場があるからこそ,相互の関係も,その場の雰囲気も変わっていく。その意味で場を地ではなく,図として考えてみる。
これについて思いつくのは,金井壽宏と中原淳の対談(『リフレクティブ・マネジャー』)で中原がこういっていることだ。
ジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーは,人材育成と組織行動の関係を理解するのに役立つ革新的な枠組みを提唱した。「正統的周辺参加」(Legitimate Peripheral Participation)と呼ばれるそのモデルは,「個人としての学習効果をいかに組織としての仕事に結び付けるか」という問題提起を否定し,この問題の前提にあった「学習-仕事」「個人-組織」といった二項対立的な認識に変更を迫った。
といい,そのモデル「リベリアの仕立屋」をこう説明する。
西アフリカのリベリアの仕立屋では,徒弟は衣服製造の仕上げ,つまりボタンをつけたりする工程から仕事をおぼえ,それができるようになると,生地を縫うこと,さらに生地の裁断というふうに,製造ステップとはちょうど逆の順番で学習していく。これにより,最初に徒弟は衣服の全体像を把握でき,前工程がどのように次の工程に役だっているかを理解しやすくなる。その上,店としては失敗がない。服を作るうえで,一番難しいのは裁断であり,次が縫製で,一番ミスが許されるのはボタン付けだからだ。
こうした正統的周辺参加モデルにおいては,新人(学習者)にとって学習は,仕事の中の日常的行為に埋め込まれたものであり,「学習-仕事」という対立概念は存在しない。(中略)共同体の実践活動に参加するときに,学習者が意識しているのは,知識やスキルの習得などシステマティックに細分化された目的ではなく,トータルな意味での実践活動における行為の熟練だ。傍目には「新人が知識を身に着けた」とか「新人が重要な問題点に気づいた」というふうに見えても,学習する本人は「いい仕事をしよう」と思っているだけで,「今,自分は学習している」とは考えていない。
そんなのは職人の世界やブルーカラーのだけだと言われるかもしれない。しかし,中原はこう言っている。
正統的周辺参加モデルはホワイトカラーの職場にも見られる。人がよく育つと言われる職場では,一人の課長がぐいぐい引っ張るというよりは,メンバーそれぞれの成長度合いに合うように仕事をうまく配列されていて,相互に助け合いの関係がある。そういう職場や職場内の関係をつくることも,「教育者」としてのマネジャーのお役割ではないかと私は思う。
ここから,二つのことを連想する。
ひとつは,職場長は,その職場の風土そのものだ,ということだ。風土が変わると職場が変わる。
ふたつは,かつて,ある百貨店の,全新人の10年後をフォローした調査で,入社3年間についた上司で,その新人の成長度(伸び白)というか,出世が決まる,と言われたことがあった。その職場の上司が,新人に何を教えたかだ。
ジーン・レイヴ,エティエンヌ・ウェンガーは,言う。
学習を正統的周辺参加と見ることは,学習がたんに成員性の条件であるだけでなく,それ自体,成員性の発展的形態であることを意味する。私たちはアイデンティティというものを,人間と,実践共同体における場所およびそれへの参加との,長期にわたる関係であると考える。
そこで得られる知識も大切だが,「共同体と学習者にとっての参加の価値のもっと深い意味は,共同体の一部になるということにある」のだ。
訳者の佐伯胖さん,全ての学習がいわば「何者かになっていく」という,自分づくりなのであ」る,と言っている。とすると,「場」が,そういう人を作り出していくのでなくてはならない。
そういう機会はいっぱいある。たとえば,すぐれたコーチやカウンセラーを見ていると,自分の勉強会を自分がやっていたのが,そこで学んだ人が,今度は自分が代わってその場を運営したり,外へ新たな会を横展開させたりしている。それも,「リベリアの仕立屋」バージョンといっていい。
自分はいま,本当に学びたいことがいっぱいある。しかし,しなくてはならないと感じていることも一杯あってなかなか全てには出つくせないが,そういう「場」を見つけることだけでなく,(いまさらめくが)そういう「場」づくりを手伝うことにも,目を向けてみたいし,それをやってみたいと思っている。それがまた自分の成長につながる,という気がしている。
参考文献;
ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー『状況に埋め込まれた学習』(産業図書)
中原淳・金井壽宏『リフレクティブ・マネジャー』(光文社新書)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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