共同・共働・協同・共同・協働



共同・共働・協同・共同・協働は,微妙に意味が違うようだ。手元の辞書(広辞苑第五版)では,

共同;commonの訳語。二人以上が力を合わせること。協同と同義に用いることがある。
共働;coaction,相互作用。共生的,敵対的・中立的な関係に大別できる。たとえば,捕食者・被捕食者関係。
協同;【後漢書】ともに心と力を合わせて助け合って仕事をすること。協心。
協働;cooperation,collaborationの訳。協力して働くこと。

とある。ネットで見た三省堂の国語辞典では,次のような見解を出している。

 「共同」「協同」「協働」は,音が同じで,意味も似ているので,まぎれやすいことばです。このうち,最もしばしば目に触れるのが「共同」,次に「協同」です。「協働」も戦前からあったことばですが,近年,「官民協働」などの形でよく使われるようになったので,『三省堂国語辞典』でも今回の第六版から採用しました。
 「協働」の意味は〈同じ目的のために,力をあわせて働くこと〉です。したがって,「官民協働」は行政と民間が力を合わせて働くこと,「協働契約」はメーカーと原材料の生産者などが力を合わせて働く契約,と解釈されます。
 ただ,それならば,「共同」や「協同」でもかまわないのではないか,と考える読者もあるでしょう。「協働」を辞書に載せる以上は,「共同」「協同」との違いをはっきり説明しておく必要があります。そこで,両者の語の説明を改めて見直しました。
 従来の第五版では,「共同」は〈ふたり以上の人が力をあわせてすること〉,「協同」は〈力を あわせること〉となっていました。それぞれ違うようでもあり,同じようでもあります。「協働」を含め,どれも結局「力を合わせる」点で共通するようにも読めます。
 しかし,「協同」はこれでいいとして,「共同」には「力を合わせる」という要素は必ずしもありません。「共同浴場」「共同受信アンテナ」は,べつに力を合わせて風呂に入ったり,電波を受信したりするわけではありません。施設をいっしょに使っているだけのことです。そこで,第六版では「共同」の語釈を以下のようにしました。
 〈ふたり以上の人が いっしょに・する(使う)こと。「―研究・―浴場」〉
 「共同研究」は,力を合わせなければ完成しませんが,それは結果としてそうなるものです。ことばの意味そのものは,「力を合わせてする研究」ではなく,「ふたり以上の人がいっしょにする研究」ということです。

ここでは,協働する,と言うところに,単に協力して働くのではなく,目的を共有するということがある。「協」という字には,「合わす」「叶う」「和らぐ」「つきしたがう」という意味がある。だから,やわらぎあうという「協合」,話し合いの「協議」,心を合わす「協心」,あわせてかなでる「協奏」,力を合わせる「協力」がある。

思うに,その時,場ができているかどうかなのだと思う。一人一人の力が消えて,場としての力が主体として動き出す。場をチームと置き換えてもいい。誰かがとか誰々のチームと言っているとき,チームも場もまた自立していない。

ネットで,こんな言葉を見つけた。(http://hetagasaki.blogspot.jp/2012/01/blog-post_29.html

 わたしたちが,最終的に目指しているのは「協働」であろう。「共同」や「協同」は,作業の均一な配分とか成員の均質性を前提とするが,「協働」は,成員間の異質性,活動の多様性を前提とし,異質な他者との相互作用によって成立する。英訳するとイメージがぴたりとくる。協働学習は「collaborative leaning」である。

思うに,大事なのは,互いの異質さを前提にして,場として昇華できることだ。そのためには,本気の衝突が必要かもしれない。本気の中に,その人の価値と譲れないものが見えてくる。それをどう生かして場にあげていくか。場の中に乗せていくか。その丁々発止こそが,場を場として立たせるカギのような気がする。

昔「踊る仔馬亭」という喫茶店をやっていたことがある。すぐにぴんときた方もあるだろうが,『指輪物語』でホビットたちが逃げ込んだ宿の名だ。あの当時,それに凝っていた友人が訳者にわざわざ断って,名前を使わせてもらった。しかし惨憺たる結果であった。ほぼ二年,お互いの本音をぶつけ合って,どうしていくかを話し合った。言ってみると,場を作り上げるのではなく,どう場を終焉させるかの話だったが,振り返ると,あの話をし続けた三人が,いまもときどき旅に出る仲間だ。あれは,逆向きだったかもしれないが,その前の夢を語る日々は,上っ面の話だったことが,どん底になってみて,初めてわかる。

いまぼくは,この協働について,ひとつのポリシーがある。自分を突っ支い棒とすることだ。いくつもの場がなくなるのを見てきた。大きくは会社,小さくは自分たちのチーム,仲間の場,自分が意思決定に関われなかった場合もあるが,なくなってみて初めてその持つ意味の大きさに気づくこともある。自分にとって大切な場や人には突っ支い棒の役を果たそうと思っている。自分は主役を張るタイプではない。かつては自分を過大評価していたが,今はそう思っている。従って,どう場を支えられるか,小さなことから大きなことまで,自分なりにやってみよう。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




#共同
#共働
#協同
#協働
#共同
#広辞苑
#踊る仔馬亭
#指輪物語

この記事へのコメント