「地に足をつける」と「浮き足立つ」
先日「地に足をつけてご機嫌に生きる」ワークショップに参加させていただいた。このグラウンディングのエクササイズは,半年ぶりの二度目。タイミング的には,前回参加の時も大きな転機を控えていて,今回も,前以上に大きな経験をする直前,いってみると自分の根っこを確かめなくてはならない,そんな心境の時機に参加させていただくことになった。
奇しくも,節句。立春を控えて,前年を振り返り,新たな年の展望をする絶好の機会ともなった。
グランディングのエクササイズそのものは,自分のわかっている範囲でたどると,
①足を腰幅クライアントに開き,
②左右のくるぶしを結んだ線の真ん中と,会陰の真下の線が交わる点から,6500キロ下の地球の中心核があると思い,
③そこから神聖なプラーナ(生命力)をいただく。目を閉じ,眼球だけを真下に向ける。
④次に,頭上の真上40~50センチを意識する。
⑤中心核から伸びている直径20センチのプラーナ管が,会陰を通り,頭上40~50センチまで身体を串刺しにしていると思う。
⑥中心核からプラーナ(生命力)や聖なる四大元素(水,,火,土,大気)をいただいている思い,
⑦心の中で生かしていただいていることを感謝する。
ということになる。大事なのは,地球の核心とつながっているという感じなのだろう。
半年前は,透明の管が,大地に突き刺さり,地球の核心への深い穴が見えた気がして,その瞬間何か風のようなものを感じて,立っているからだが揺らぐような感じがしたものだ。その感覚は,なんだろう,大地の中心につながるものと接しているという感じで,確信とまではいかなくても,ちょっとした安心があり,検査入院している一週間,立てるようになってからは,毎日,sok-sokという言葉と一緒に,グランディングをしていて,なんとなく支えにしてきた気がする。
ネットなどで調べると,
グラウディングとは簡単に言うと,地に足をつけてしっかりと現実を見据えて生きることであり,イメージで,グラウディングコード(自分とを結ぶコード= 線 )によって,地球の核にしっかり繋がる感覚を持つことです。
とある。考え方は違うが,地球の中心核とつながる感覚で,大地にしっかりと,基軸を持つこと,と言っていい。
地に足をつける,反対に,浮足立つ,という言葉がある。昨今,柔術などでは,
必要なのは「地に足をつける」ことではなく「浮き足立つ」ことが重要。一般的な言葉のイメージだと「地に足をつける」はプラスのイメージ、「浮き足立つ」はマイナスのイメージです。 しかし柔術の稽古ではそれが逆転する。 地に足がつくというのは地に足が居つくことであり、浮き足立つというのは自由に動ける状態。
剣道でも,
現代剣道の足運びは、主に右足を前に出して踏み込み、引き、防ぎます。後ろ足はつま先立ってます。踏み換えて稽古することはまずありません。却って滑稽に見えるかも知れません。
等々という。しかし,宮本武蔵は,全く反対のことをいう。
足の運びは,つま先を少し浮かせて,かかとを強く踏むようにする。足使いは場合によって大小遅速の違いはあるが,自然に歩むようにする。とび足,浮き足,固く踏みつける足,はいずれも嫌う足である。
また柳生宗矩は,『兵法家伝書』で,
さきの膝に身をもたせ,あとの膝をのばすべき事
あとの足をひらく心持の事
と述べていて,どうも足を浮かすという風には読めない。浮いた状態は,すぐに動けるかもしれないが,不安定で,重い太刀を構えているものの取る姿勢ではない。
斎藤孝さんは,こんなことを言っています。
江戸末期や明治初期の写真を見ると,当時の日本人は,とてもしっかりと立つことが出来ました。足は長くないが,臍下丹田や親指の足の付け根に力が入っていた。
さらに,
踏ん張るという感覚がありますね。この感覚がわからない人に相撲はできません。でも現在,この踏ん張る感覚を持たない子供も少なくないんです。彼らは,頑張ることはできるんです。頑張って相撲は取れる。ところが頑張るというのは精神的な感覚です。でも踏ん張るというのは,身体的な感覚なんです。ただ頑張るだけでは,心が先に行ってつんのめっているような状態。
大地にしっかり立てなければ,思いを果たすべき身体はついていけない。まずはグランディングから,自分の基軸を大地に根差す感覚を養わなくてはならない。
参考文献;
宮本武蔵『五輪書』(教育社)
柳生宗矩『兵法家伝書』(岩波文庫)
甲野善紀『古の武術を知れば動きが変わるカラダが変わる』(MCプレス)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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