2013年02月09日

邪馬台国をめぐって


かつてもいまも邪馬台国というと熱くなる人がいっぱいいるので迂闊なことは言えない。ただ最近立て続けに何冊か邪馬台国関連の本を読んだので,ちょっと自分の興味を惹いた部分だけ整理してみたい。

まずは九州か近畿かという所在論争について。

ちょっと九州説の旗色が悪い。理由は年代測定から来ている。

ひとつは,弥生時代中期は,紀元前100年から紀元100年の約200年を示すもので,邪馬台国は弥生時代の後期段階に属し,特にその後半期が問題の時期と考えられてきた。しかし,最近AMSによる放射性炭素年代測定法の理化学上の測定や年輪年代学の測定結果から,弥生中期の年代が従来より50年から100年遡ると考えられるようになった。

その結果,紀元後一世紀から二世紀末ころまでが後期,三世紀初頭は終末期に該当し,二世紀後半から三世紀中ごろの卑弥呼の時代は,弥生後期ではなく,古墳の出現期にあたると考えられるようになった。

いまひとつは,そこで俄然注目を浴びたのが,箸墓古墳である。その周壕や土手の沖積状況と出土する土器から箸墓古墳の築造年代を,240~260年と推定した。まさに,卑弥呼の魏への使節派遣が,238年,卑弥呼の死は247年頃となり,卑弥呼の時代と同時代ということになる。さらに,箸墓周辺の纏向遺跡には,80~110m前後の前方後円墳がいくつか存在している。しかも,北部九州には,倭人伝でいう,7万戸の大集落跡は見つかっていない。

ところが,もし箸墓が卑弥呼のものなら,なぜ正史『日本書紀』は,卑弥呼のことを全く触れていないのか。すでに魏志倭人伝の存在を知っていながら,卑弥呼の所業も台与の所業も,神功皇后の事跡としてしまっている。箸墓周辺は,初期ヤマト王権三代の天皇の宮があったと伝承されており,崇神天皇は磯城の瑞籬宮,垂仁天皇は,纏向の珠城宮,景行天皇も纏向の日代宮と,この地域に宮を構えていて,それで卑弥呼の功績を伝えていない,ということは,ヤマト王権の系譜には卑弥呼はもともと存在していない,と考えなくてはならないのではないか,という疑問がある。

次は魏志倭人伝の位置づけについてだ。

魏志倭人伝は,夷狄伝知友,最大の分量を費やすという破格の扱いを受けている。魏を滅ぼし西晋を立てた司馬懿が公孫淵を滅ぼし,その結果遠方より聴講に来ることのできた倭国は,好意的に描かれる。その背景には,当時の国際関係が絡む。親魏倭王の称号を卑弥呼はもらっているが,いま一人,親魏の称号をもらっているのが,大月氏王である。親魏大月氏王は,例の諸葛孔明が北伐を企てた時,その背後から蜀を牽制する役割を期待していた,とみなされている。では,倭に期待されていたのは,何か。それは,三国志のもうひとつ,呉への牽制である。

事実邪馬台国と敵対関係にあったと目される,九州南部の狗奴国は,呉と交流していたとみられる遺物が発見されている。

この視点から見ると,邪馬台国の位置は,呉を牽制するところまで動かされている可能性がある。つまり,呉を牽制するように,中国の東南に配置されている。

当に,会稽東冶の東に在るべし

という書き方は,まさにそれを意味している。会稽郡は,呉郡の南,呉の都建業の南と位置づけられる。まさに呉の背後を衝く位置とされている。かなり理念として,南方へと移動された位置に在るべきと考え,それに合わせて描写になっている危険すら存在する。渡邉さんは,こう言う。

陳寿(著者)が,倭国は東南に在るとの認識のなかで,当該時代の中国西南の世界観を形成していた『漢書』地理志の記述を節略しながら,倭人の習俗を南方系に作り上げた蓋然性は高い。

それに呼応するように,実は,卑弥呼は絶妙なタイミングで魏に使者を送っている。たとえば,

『晋書』に記載される泰始二年十一月の朝貢が,前年に曹魏を滅ぼし,南北郊祀の場所を改めた重要な時期に,それを言祝ぐために行われている…。泰始元年に曹魏を滅ぼして建国した西晋が,天使にとって最も重要な祭祀である郊祀を,曹魏が採用していた…学説から,武帝司馬炎の外祖父にあたる王粛の学説に従って改めるという,祝賀すべき時期に使者を送っている。

それにしても,国際関係の微妙な変化を見据えて,使者を送っている邪馬台国の国際感覚は,逆にいえば,西晋側にそれを期待させるほどのものだったということができる。それが卑弥呼の国内の人材なのか,渡来人なのかは別として,十分国際感覚のある外交をしていたことだけは確かである。

その意味で,邪馬台国が近畿にしろ北部九州にしろ,倭人伝から想像する,なんとなく南方風俗の国でなかったことだけは確かなのだ。正式の国書は,中国の礼にもとづいた漢文で書かれていることは間違いない。それを考えただけでも,倭人伝の描く習俗と,知的な外交感覚との落差は大きい。

まあしかし,場所はどこか,卑弥呼は誰か云々という,白熱した邪馬台国論争は,結局天皇陵と指定されている古墳の禁忌がとかれて,いっせいに科学の調査がなされない限り,徒労のような勝者なき論争が続く気がしてならない。なぜもっと声高に,そのことが言われないのか。民主主義国とは到底思えない,明治以降のタブーがいまだ延々続いている。



参考文献;
足立倫行『倭人伝,古事記の正体』(朝日新書)
大塚初重『邪馬台国をとらえなおす』(講談社現代新書)
渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く』(中公新書)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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posted by Toshi at 07:26| Comment(5) | 古代史 | 更新情報をチェックする
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