2013年02月22日

場を失う


場については,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11007605.html

で触れたが,そこで,「たくさんのことが見えるようになり,もっと多くの自分を経験する」のであり,その場でなければ出会えない,何かがある,というような,そういう場であることが前提で考えると,場を失う,ということの自分にとっての意味の大きさがわかる。

たとえば,場を失うという経験は,何だろう,場合によっては,身を削がれるような苦しみがある。僕は別に大した才能もないので,いつもよたよたと人の後をついていくことが多いが,せっかくそこに居場所を占められるようになると,不思議と場が消えて行く。そういう経験は,実は僕の体験から考えると,ちょっと異質なのだ。

小学校を4回転校したが,多くは,居場所を占められないまま,去っていくという印象だった。僕らの小学校時代,いまもあるかどうか知らないが,サーカスやドサ回りの芝居一座の子供が,数か月だけクラスにいて,去っていく時,僕はその場に残って(僕の場合大体3年サイクルだったので少し長いから),場から去る人間を見送ったことが何度かある。その時の感覚は,丁度自分と裏返して,自分が去る時の感覚とリンクしていた。しかしどちらかというと,去ることにはかすかな期待があった。ここでは場に入れなかったが,次には場に入れるかもしれない,と。

しかしその場合,場はある。確固として既にある。だから,そこから去る,というより,場に入れてもらえず,一時滞在者,まあいわば居候のような形で,ついに場を占めることはできなかった。そういう場として,ある。

場を失うというのは,それと逆だ。そこに居場所,ポジショニングができたと思っていると,不意に場が消える。自分がその消滅に関わっていないと,置いてきぼりを食らったようなさみしさを味わう。

場は,3次元の空間ではない。心の中の心理的な場でもない。場そのものが生き物のように,ある。

しかしその場合,場は受け身のものとして受け止められている。作り出すものとしてよりは,そこに確固としてある場に入れてもらい,何とか居場所を得る,そんな感覚だ。

だから,場は外にある。当然消長の意思決定も自分の外で起こる。だから,場を失うという感覚になる。

しかし場は,外に在るものではない。自分が誰かとそこに作るものだ。コーチングで言えば,その都度クライアントと共に創り出していく関係のように,そこに関わることでしかできないものだ。コーアクティブ・コーチングでは,意図的な協働関係という。協働については,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11078487.html

で触れたが,大事なのは,互いの異質さを前提にして,場として昇華できることだ。そのためには,本気の衝突が必要かもしれない。本気の中に,その人の価値と譲れないものが見えてくる。それをどう生かして場にあげていくか。場の中に乗せていくか。その丁々発止こそが,場を場として立たせるカギのような気がする。カウンセラーとクライアントとは,脳と脳がドッキングさせるという,田中ひな子さんのたとえがあるが,それに近く,お互いの自分を手放して,そこで,ひとつの場になっていく。

場そのものが場として機能する。そこでは一人一人の個が,場に混じり場と一体になって消えて行く。場そのものが主役になる。Tグループ体験では,皮膚が溶けて,場に流れて,場と一体になっていく,という感覚だった。Tグループ体験については,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11044109.html

で触れた。

しかし,それは自分を捨てるという意味ではない。それなら,場は自己放棄になってしまう。そういう類の場もあるだろうが,それは自己欺瞞に近い。

もともと人は,ひとつの場を占めている,と思っている。生きているということは,この世の中に,自分の場を設えられているということだ。その場は,死んだと同時に閉ざされる。しかしそれはいま,ここに限定されたものではなく,どちらかというとハイパーな場だ。

場をつくるというのは,その各自の場同士が融合し別の場になるということだ。そういう場をいっぱい持てることで,自分もまた変わる。

パートナーという意味には,相方という意味の外に,分かち合っているという意味がある。場を分かち合って,一緒に場にしていく。その場合,人数は関係ない。コーアクティブ・コーチングでは,Dance in this moment(記憶に間違いがなければ,以前は,thisではなくtheであった気がする。特別な一瞬という意味では,「the」の方がいい。場を作る,場になるというのは,特別な瞬間なのではないか,という気がしている),いまこの瞬間から創り出す,ということをいう。それは,絶えず創り直すという意味だ。

ということは,場は,固定してあるのではない。人の細胞は絶えず生まれ変わって,いま。ここの人としてある。とすれば,場も,絶えずいまを重ねて創り直す。それが出来なくなった時,場は消えて行く。場を失うという感覚でいるときは,自分は,まだその中のパートナーになっていなかったという意味なのではないか。場は創り直されなくなれば,当然消えて行く。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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#Dance in this moment
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posted by Toshi at 05:49| Comment(0) | チームワーク | 更新情報をチェックする
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