コーチの技量はコーチングの場でしか決まらない!
コーチングとファウンデーションを強く関係づけることに絶対的な疑問がある,ということを書き続けている。これを最後にする。
コーチがいなくても世の中は回る
という人がいる。いや,
コーチがいない方が世の中は回る
という人がいる。コーチングを指しているのかコーチを指しているのかははっきりしないが,コーチングについて言っている。カウンセリングについてこう言われることはないだろう。
それにこたえるのは,コーチのリアル世界の栄耀や名声ではなく,コーチングの場でのセッションしかない。
ファウンデーションは,コーチ自身の生活の基盤だ。生活の仕方の問題だ。それは,コーチングの場の問題には,もちろん無関係とは言わないが,直接つながらない。
もし,ファウンデーションを強化することが,コーチング力アップになるというのなら,どこかコーチングへの誤解があると思えてならない。
コーチは,おのれの生き方をクライアントに教示する必要もないし,まして示すことは邪道だ。それは,コーチがモデルだと強要していることになる。
コーチングで,コーチの生きざまが問題になることはある。しかし,それは立派な生き方や成功した自己実現を示しているのではない。それは,コーチのリアル世界での生き方の問題に過ぎない。コーチはそういう生き方をしている,というだけのことだ。クライアントにはクライアントの人生があり,生き方がある。
生きざまというのは,別に生き方の成否や是非が問題なのではない。その生き方を意識し,自覚し,それがどんなに無様でも,クライアントに開示できるかどうかだ。それを含めて生きざまという。自分のありのままの生き方を恥じず,あからさまに容認し,開示できる,あるいは開示する覚悟だ。
立派,というのが何を指すかは知らないが,どんな生き方にも可否,是非はない。ただそれを自覚しているかどうかだ。
誤解があるのは,コーチングの場と,コーチのリアル世界の生き方をつなげてはならない,ということがわかっていないことからくる。
コーチングの場で必要なのは,ロジャーズの言う,自己一致・共感・受容の世界を,クライアントと共に作ることだ。その一瞬リアル世界のおのれを捨て,コーチとしてクライアントに向き合う。ファウンデーションを言う人は,その切り替えを,ごちゃごちゃにしている。
もちろん,クライアントはリアル世界のクライアントであり,そのままコーチングの場にいる。それでいい。
少なくとも,ファウンデーションを言うコーチは,僕の知っている限り,コーチングが下手だ。少なくとも,私は,ファウンデーションを言っていた人のコーチングでひどい目にあった。家族曰く,「ものすごく凹んで帰ってきた」と。そんなコーチングをコーチングと呼ぶことすら拒否したい。コーチは,リアル世界の自分を,コーチングの場に持ち込んではならない。自分が成功している,相手は落ち込んでいる,その位相差のままコーチングの場づくりをしている。もはやコーチングとは呼べないことに,気づいていなかった。まあ,たまたまをそもそもとしているきらいはあるが。
もちろんそのとき,承認も認知もない。絶え間ないレッテル貼りだけが続き,ダメ出しと欠点の暴き出しが続いた。もちろんたまたまそうだったのかもしれない。しかしコーチングに二度目はない。その一瞬で創り出したものがすべてだ。その一瞬の場での現出感がすべてだ。コーチングにトライアルはない。だから,その一瞬の時を創る,と言っている。Dance in the momentを創り出す,とはそのことだ。
コーチが立派な生き方をしていることが,コーチングを支えるのではない。
AというコーチのAとしての生き方は,A自身のためのものであって,クライアントのものではない。
Aというコーチの存在感は,コーチングの場でこそ問題になるのであって,Aというコーチがどんな立派な生き方をしているかどうかは関係ない。もちろんどうしようもない人間では,そもそもコーチングを受けないだけのことだ。
必要なのは,コーチングの場で,コーチとクライアントとの間で,一瞬の場を創れるかどうかだ。
コーチに必要なのは,立派な生き方をしているかどうかではなく,自分のくだらなさも自覚して,それがクライアントにも開示できることだ。それを覚悟という。
もちろんクライアントにはリアル世界でのアクションが問題である以上,ファウンデーションはいる。それが目標達成のリソースになる。
少なくとも,コーチはクライアントのリアル世界での行動達成のモデルではない。教師でもない。講師でもない。師匠でもない。コンサルでもない。そこでアクションを取るのは,クライアント自身であって,クライアントしかいない。クライアントの人生とコーチの人生は関係ない。
クライアントのリアル世界にコーチはいない。杖にも支えにもなることはできないし,なってはならない。
Aというコーチが,リアル世界で生きているAであっても,コーチングの場にいる時,そのリアル世界の生き方を持ち込んではならない。リアル世界の生き方がどうであれ,コーチングの場で,コーチングを創れるかどうかが問われている。コーチングの世界が作れなければ,コーチではない。
その意味で,コーチングとコンサルティングとカウンセリングを分けるのも意味がない。問題なのは,リアル世界の自分が,コンサルタントであれ,カウンセラーであれ,コーチングの場で,コーチとして向き合えなければ,コーチではないのだ。
ただ,クライアントには,リアル世界とコーチングの場での自分との境界線はない。当たり前だ。
コーチの存在感とは,リアル世界のそれではない。コーチングの場でのそれだ。そこでコーチとしての覚悟と決断でクライアントに集中しているかどうかだ。
AコーチとしてのAの生き方で,クライアントに影響を与えたいなら,コーチングなどという,まだろっこしいものはいらない。ティーチングでもコンサルティングでも,モデリングでも,直接影響を与える方法を使えばいい。
もしコーチの生き方が新しいモデルとしてクライアントに見えたとしたら,それはコーチングの失敗だ。そのモデルは,コーチの生き方であって,クライアントのそれではない。その差異を厳密に考えないなら,どんなコーチングも,コーチングを逸脱した失敗作だ。コーチの自分をモデルとして示してしまっているからだ。それは,答えをクライアントの中ではなく,外に,目の前の自分に見つけさせてしまったことでしかない。
コーチングが生きざまだというのは,そういう自己欺瞞に自覚的かどうかなのだ。
人生での成功も失敗も関係ない。大体何をもって成功,失敗というのか,その色眼鏡こそが,クライアントに向き合う時に邪魔になる。そのことに気づけなければ,まあ,何をかいわんや。
そんな基準や価値を出した瞬間,おのれの価値でクライアントを見る。玲のファウンデーション・コーチに,レッテル張りが多かったのはそのせいだろう。タイプ分けもそれだ。おのれの価値でクライアントを見たら,そこに見ているのは,クライアントではなく,おのれの影だ。
自分を偽らず,ごまかさず,正直にさらけ出せる,生き方をさらす。自分で自分を見つめられないものに,ひとに自分を見つめさせることができようか。
自分が神とか宇宙人とか超越した人間と思い込むのも自己欺瞞でしかない。そういう人は,自己認知能力に欠けている。それが,欠けている分,ひとにレッテルを貼るのには長けている。
自己欺瞞が問題なのではない。おのれの自己欺瞞に無自覚なことが問題なのだ。
コーチングは,自分の生き方のために在るのではない。クライアントのためにある。この原則を踏み外すと,AコーチのAとしての生き方や,BコーチのBとしての生き方が問題になる。まったく無関係とは言わないが,コーチとクライアントの創る,コーチングの場こそがすべてだ。その場を創り,クライアントと向き合うために,コーチがいる。
セラピーでも,高名な人がセラピストとして優秀とは限らない。セラピストとしての技量は,リアル世界での名声や成功とは関係ないからだ。もちろんハロー効果を起こすことはあり得るだろうが,ファンや信者になるのでない限り,クライアントに違和感が生まれる。もちろん他のセラピストを知らなければ,それでも,「セラピーとはこんなものか」と我慢するだろうが。
コーチングとは,クライアント自身が自分と向き合って,自分の中に答えを見つけていくプロセスだ。そのための視点と自信と確信を持つことをサポートし,リアル世界でクライアント自身が夢や目標を達成できると思えるようにしていく。
そのとき主役も脇役もすべてクライアントの一人のみ。コーチは黒子に過ぎない。影にすぎない。それが自分のファウンデーションを前面に出してどうする。そういうのを無覚悟という。
そして,本当の理想は,クライアントに向き合った時,コーチであること自体も手放せることだ。そこまで到達できれば,その場にいるのはクライアントだけであり,クライアントA,クライアントB,クライアントC,クライアントD…クライアントnの,クライアントの自己対話だけがある。コーチは,その場そのものになっている。
今日のアイデア;
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