2013年04月11日

受容


神奈川チャプター,JCAK勉強会【コーチング基礎編】 第3回「受容する」に参加した。

相手に○をつけるという意味で,相手を受け入れることについては,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10967952.html

で触れた。

今更めくが,ロジャースは,「人間的成長の促進に関するいくつかの仮説」の中で,こういっている。
「私がある種の関係を提供できるなら,相手は自分が成長するために,その関係を用いる力が自分の中にあることを見出すであろうし,そこで変化と人間的な成長が生じるであろう」
そして,有名な3つの要点を取り上げている。

「私は自分自身が関係の中で純粋であるほど,その関係は援助的なものになることを見出してきた。このことは,私が出来る限り,自分自身の感情に気づいている必要がある,ということを意味している。つまり表面的には,ある態度を表しながら,より深層の無意識的な水準では,別の態度を持っているのでは,純粋であるとは言えない。」

「第二の条件として,私は次のことを見出している。すなわち,私がその人に対して受容と好意を持てば持つほど,その人自身の成長のために用いることができるような関係を創りだすことが出来る。受容という言葉の意味は,私にとって,無条件に自己の尊厳を持つ人間―つまりどんな状態や行動や感情であろうと,価値ある人間―として,その人に暖かい配慮を寄せるということである。」

「私はまた,私がクライアントを理解したいと思い続けていると感じている度合いに応じて,つまり,その瞬間の相手の感情とコミュニケーションのどちらについても,その人が見ているままに,感受性豊かに共感することによって,関係が重要なものになるということ見出している。」

いわゆる,受容・共感・自己一致である。特に,受容については,「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」の中で,こう言っている。

その意味は,受容についてなんの条件もついていないということである。それは,「もしあなたがこれこれでありさえすれば,あなたが好きです」という感じをもっていないということである。……その人を「尊重する」ということである。それは,「あなたはこんなときはよいが,こんなときには悪い」というように,選択的に評価する態度とは正反対のものである。その人の「よい」,肯定的な,成熟した,信頼できる,社会的な感情の表現に対するのと同じくらい,クライアントの「悪い」,苦痛に満ちた,恐れている,防衛的な,異常な感情の表現を受容するという感情を含むものである。彼の一致している行動と同じくらい,彼の一致していない行動を受容することである。それは,クライアントを好き(caring for)であるという意味であるけれども,所有的なものではないし,また単にセラピスト自身の欲求を満足させるためのものでもないのである。それはクライアントを自分とは別個の一人の人間として,自分自身の感情,自分自身の経験を持つことを許されている人間として,好きであるということである。あるクライアントはこうしたセラピストをこう表現している―「私自身の経験を私が所有するようにしてくれた…つまり,これは私の経験なのだ,私が本当にそれを経験しているのだ,私の考えることを考え,私の感ずることを感じ,私の欲することを欲し,私の恐れることを恐れている,と言うことでした。…」

僕には,ミルトン・エリクソンの原則が生きていると思う。

①相手について仮定しない
②緩やかな変化
③相手の枠組みであること
④自分の考えを変える力があることを,相手自身が気づけるような状況をつくる
⑤そのために使えるリソースとなるものを相手の中に見つけ出して利用する

相手の枠組みであることとは,相手の土俵で考えるということだ。自分の土俵にいるから,評価や先入観が出る。その瞬間,相手の土俵ではなく,自分の土俵から相手を見ている,と気づかなくてはならない。

相手をまるごと受け容れるというのは,相手を丸ごと認めるということだ。そのありようも,そのふるまいも。そして,それは究極承認に通じ,認知につながる。

相手を認められなくて,相手の話が聴けるはずはない。ブレインストーミングで,批判しないというのは,その意味であり,自分の心のシャッターを開けた分だけ,相手の言葉が入ってくる。このことについては,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11001331.html

で触れた。

人は完全である,とCTIでは言うが,それはおかしい。完全なら,そのままでいい。そうではない。その人はそのままでその人であり,それを受け入れて,その人の可能性に目を向けるという意味でなくてはならない。どんな人にもその人独自の人生があり,どんな人にも物語がある。その物語を完成するためには,どんな物語をも,まず聴かなくてはならない。

聴くとは受け入れることでなくてはならない。受け入れられないとは,聴けていない状態にあるといっていい。まだ,自分の土俵を手放せていないということでもある。

今回は,少人数ということもあり,デモコーチングを5連発で,僕はクライアント役を一回やった以外は,ずっとオブサーバーをし続けた。その中で気づいたのは,クライアントの語る,テーマや問題にとらわれず,その背後にある,大きなテーマに目を向ける,ということだ。CTIでは,「小さな主題」「大きな主題」という言い方をするが,まさに,その人が眼を向けている(意識している)ことの背後にある,その人が気づいていない,あるいは自覚していない,その人自身の人生の物語の,大きなテーマを掘り当てなくては,コーチングは上滑りする。

クライアント本人も気づいていない,そのおおきなフィールドあるいは道筋に位置づけなおした時,問題にしていることは雲散霧消したり,そのテーマ自体が意味をなくすこともある。あるいは,そのテーマや問題を自分が話題にしていることに,意味があることに気づけるかもしれない。

自分は何をするために,「いま」「ここ」にいるのか?

それに応えるために生きていると言ってもいい。「生きている」ことはできるが,「生きていくことはできない」とは,清水さんが,『コペルニクスの鏡』で書いていたことだ。だから,問いは,

自分の生きる場所は何処か?

自分の居場所は何処か?

が先かもしれない。その上で,

自分は何をするために,「いま」「ここ」にいるのか?

という問いが来るのかもしれない。それを僕は,「自分の旗」と呼んでいる。

参考文献;
C・R・ロジャーズ『ロジャーズが語る自己実現の道』(岩崎学術出版)
カーシゥンバウム&ヘンダーソン編『ロジャーズ選集(上)』(誠信書房)
清水博『コペルニクスの鏡』(平凡社)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 05:42| Comment(0) | 受容 | 更新情報をチェックする
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