2013年04月20日

才能を見抜く


先日,立て続けに,若い人の才能のパフォーマンスを見る機会があった。ひとつは,マリンバ,ひとつは絵画。

http://www.facebook.com/home.php#!/events/489169604452617/

http://gallery-st.net/takeyama/

ある経験を積むと,どうしても自分の基準で相手を見る。そうすることで何となく自分を防衛しているのかもしれない。相手の落ち度やできていないところに目を向けがちだ。あるいは,若さや若いゆえの将来の可能性に,嫉妬心がないとは言わない。そういう自分を脇に置いてみて,どのくらい,公平,冷静,平等に,みることができるものかどうか。

子曰く,後生畏(おそ)るべし,焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆることなきは,これ亦畏るるに足らざるのみ。

評価するときも,いまのピンポイントで見る。しかし,それでいいか。自分は,たぶんこの才能を見届けないうちに,世の中から消える。とすると,いまではなく,自分のいない未来軸で見られるかどうか。

例えば,いまのポイントで見ると,いろいろなことが言いたくなる。

問題意識は何か,

何処にモチーフが,

そのスキルレベルは,

そのスキルの意味は,

そのテーマは,

その意図は,

その構成の意味は,

その構造の捉え方は,

等々,何でもいいがそのパフォーマンスを,その時点を頂点としてみる。それはそうだ。そういうものだとは思う。そういう評価に耐えられなければ,その時点で消える。まったく技量がなければ,目にもとまらぬ,客も足を止めない。

そうすると,一定のレベルなり,一定の完成度があるから,そこにまるごとさらされる。並べられる。客の前でパフォーマンスする。

では,そこから可能性をどう見るのか。先日,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11152009.html

その人物を見る,という考え方を紹介したが,そのためには,その人と個人的な付き合いの時間を割かなくてはならない。そこまでの厚意がない場合,いまの,その一瞬の,そこにある,作品やパフォーマンスで見るしかない。

では何を見るのか。

僕は個性と思う。例えば,こっちが素人なら,そんなことをいっても高が知れているので,こっちの眼力も同時に問われているというのを前提の話だが,

自分というものの道なり,方向性なり,可能性なり,めざす高みなりを知っているのは大事かもしれないが,そこまでわかっていたら,もうそれを磨くだけだ。進むだけだ。それがわからず,迷い,混乱し,悪戦苦闘し,トンネルでもがいていても,そこに,

独自のものが見えること,

のような気がする。ただ迷っているのではない。人の迷い方に,個性がある。特徴がある。そのとき,

がむしゃらにかきまくる(うちこむ),

一つの方向を掘りまくる,

逆にあっちこっち彷徨しまくる,

幅広く自分をチャレンジしまくる,

人を真似しまくる,

悩む自分を観察しまくる,

あらゆる人から学びまくる

本を読みまくる(絵を見まくる,芝居を観まくる),

とにかく経験しまくる,

等々,何をしても自分流儀がある。そこに自分の人と違う何かがある。僕は,それこそが伸ばすべき伸び白の本命だと思っている。しかし,その差はわずかで,本当に自分で認めがたいような,微細な特徴だ。他人の方がそれに気づくかもしれない。

自分を置き残して,先へ行くほどに自分の限界まで,やってみなければ,自分が見えない。それは考えることでも,悩むことでも,することでも,とことんやらなければ見えない。何かの診断テストやチェックリストを使って自分がわかったつもりになることが,僕は最も嫌いだ。そんなのはもう先のない,

「四十五十にして聞こゆることなきは,これ亦畏るるに足らざるのみ」

の人間が,自己満足するためのものに過ぎない。走り続けている者は,そんなものに目をくれる暇はない。

もっととことんやれよ,本当に限界まで自分を苛め抜いたのか,絞りに絞ってみたのか,それは,読んだ本の数ではない,体験したことの数でもない。付き合った人の数でもない,ワークショップや勉強会に出た数ではない。そんなものは,暇になってからいけばいい。そのとき,よく人が見えるはずだ。自分に出会った人には,人がよく見える。

まずは,自分の限度を超えるまで,自分を引き伸ばしたことがあるのか。与えられた課題でも,タスクでもいい,人から与えられたなとど御託を言っている間に,全力投球でそれを実現するために,血と汗と出したことがあるか。なければ,一生,自分には出会えない。なぜなら,自分を限界においてみたことがないからだ。あるいは,そういう修羅場から逃げたからだ。言い訳なんぞ,誰に言っても仕方がない。自分だけにしか通用しない。

そういう自分をさらけ出し,投げ出し,それでもそういうおのれを投企しつづけるそういうことがなければ,隠れた自分(仮にあるとしても)は,一生潜勢力のまま,浮き上がる機会はこない。表面の,手慣れた処理力や対応力やこなし力では対処できない事態の前で,立ちすくみ,脂汗を流し,とことん考えた末に,やっと見つける突破口がある。その経験のないものは,一生,人の奴隷だ。人の教えることに食いつくだけだ。そういう奴隷状態のままでは,請け合ってもいいが,一生自分に出会うことはない。自分らしいものに出会うだけだ。なぜなら自分で自分の壁を破ったことがないから,自分というものに向き合ったことがないからだ。

ことわっておくが,ここで言う自分に向きあうというのは,心の葛藤や悩みではない。自分の内的葛藤のことではない。現実の自分と格闘せざるを得ない,そういう向き合い方だ。

無力でどうしようもなく立ち往生する自分,
人に罵倒されても仕方のないような半端にしか仕事のできない自分,
情けなくなるくらい人と見劣りのするパフォーマンスしか上げられない自分,
誰にも顔向けできないような失態に,逡巡し,惑い,それでも勇を振るって頭を下げに行く自分,
ほんとうは自分が手を挙げなくてはいけない場面で,背を向けてしまった自分,

と向き合うという,現実的なことを言っている。心理的なこと,感情的なことなど言っていない。心理的葛藤では人は変わらない。変える行動をとり,変わった自分になろうとしなければ,変われない。そのどうしようもない自分から逃げず,その自分を立ち上がらせ,半歩でも,四分の一歩でも,踏み出させる。そうやって現実的に自分を動かし,自分を揺さぶり,自分を歩き出させ,新たな自分に仕上げていく。それは,人様に見せられるざまではないだろう。あがき,苦しみ,泣き,叫び,怒り,そして地団駄踏む。それでも自分を諦めず,自分に背を向けず,自分を励まして,とにかく歩き出させる。

あるいは,とことんやってもついに自分の自分たる所以は見えないかもしれない。それでもやり始めてしまった以上,やりつづけなくてはならない。それが人生というものだ。

一生懸命やったからといって,報いられるとは限らない。そのプロセスだけが,おのれの人生に過ぎない。

そう,ここはもう他人のではなく,僕自身の独自性を語っているのかもしれない。

参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





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posted by Toshi at 05:58| Comment(2) | 自分らしさ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by nike シューズ at 2013年09月17日 08:23
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