2013年04月21日

「ぶれない軸」幻想



人は文脈に依存して生きている。またさまざまな役割を使い分けて生きている。軸とは何かがよく分かっていないが,ぶれないということをよしとする考え方には賛成できない。返って,生きにくいというか,適応性のなさを露呈しそうな気がする。

そう思っていたら,西垣さんが,小説家の平野敬一郎の『私とは何か』を引用しながら,こんなことを書いていた。

個人とは「西洋文化に独特のもの」であり,それをもたらしたのは「キリスト教(一神教)の信仰」と「論理学」だと平野はいう。一たる神に対しては,終始,一貫性のある「本当の自分」が向きあわなくてはならない。また,論理的にカテゴリーをわけていくと,動物があり,人間があり,国民があり,男女があり,ついに最小単位として一つの肉体をもつ「個人」ということになる。(中略)
個人のかわりに平野が主張するのは「分人」だ。「一人の人間は『わけられないindividual』存在ではなく,複数に『わけられるdividual』存在である。だからこそ,たった一つの『本当の自分』,首尾一貫した『ブレない』本来の自己などというものは存在しない」と,平野は言い切る。

人との関係の中で人は生きている。人とのリンクの結節点として生きる。とすれば,相手に応じて,親になり,子になり,友になり,部下になり,上司になり,客になり,サプライヤーになり,と変わっていく。その中でいる自分でしかありえない。頭で考えた自分ではなく,そういう生きた関係の中にいる自分こそが自分であり,その振れ幅分だけ,自分の多様性と柔軟性がある。

クライアントの前のコーチとしての自分と,子の前の親としての自分が,軸がぶれなかったとしたら,その人は人間ではない。そのぶれる幅が自分でわかっていること,意識できていることは大事かもしれないが,終始一貫,変わらないとしたら,たぶん適応障害を起こしているはずだ。

ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)価値観
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)姿勢
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)自信
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)ものの見方
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)愛情
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)コミュニケーションスタイル
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)夢一直線
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)目的
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)ゴール
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)確信
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)生き方
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)好み
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)生活スタイル
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)生活基盤
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)生活環境
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)人間関係
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)友情
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)体形
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)自己認識
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)エネルギー
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)熱意
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)方向性
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)リーダーシップ
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)ミッション
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)戦略
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)強み
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)性格
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)目利き
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)感性
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)眼力
ぶれない(なんなら「ゆるぎない」と言い換えてもいい)批判力

等々と挙げてみると,変わらないのがいいとされるものもあるかもしれない。しかし,あえて言うと,人は変化し,成長する。成長したステージにいてもなお,まだ,前のミッションに拘泥するとしたら,それはそれで自分の使命を見失っているということになりかねない。

また自分のシチュエーションも,おかれる位置も,時々刻々変化し続けているはずである。

人は成長し,変化する。変化とは,

前の自分より大きくなること,
自分を脱ぎ捨てて脱皮すること,
以前の自分を置き残して前へ行くこと,

つまり,以前の自分の軸とは変わっていなくてはおかしい。軸がぶれないとは,成長していないということの証,頑迷固陋の証,固定観念に執着する証なのかもしれないのだ。

あるいは,ぶれるから人間なのではないか。様々な人と会い,様々なシチュエーションにもまれ,ああでもないこうでもないと迷う。ぶれる,振れる。だから人間で,その振れる幅の分だけその人の経験が大きく,閾値が高いと言えるのではないか。軸がぶれないという喩えは,機械にはいいが,人には適さない。

参考文献;
西垣通『集合知とは何か』(中公新書)
平野敬一郎『私とは何か』(講談社現代新書)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





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posted by Toshi at 06:08| Comment(0) | 自由 | 更新情報をチェックする
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