嫌悪感は社会的に育てられる


嫌悪感とは決して腹黒い感情ではない。嫌悪感とは,他者に共感できる文明化された人間であるがゆえの副産物である。

嫌悪感はきわめて社会的な感情である。

レイチェル・ハーツは,『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』で,こう書いている。

ただ,ハーツの言うのは,disgustのことで,むかつく,嫌気と訳されているが,監修者の綾部早穂さんは,

怒り(anger)は,頭や腹にきて,嫌悪(disgust)は胸に来るもののようである。「胸糞悪い」もdisgustに対応する。

と書いている。もともと日本人は,嫌悪の表情は,怒りや悲しみとまぎれやすいらしいので,日本人は嫌悪の表情を出すのが北米人に比して少ないとも言われているようだが,それは表情のことであって,感情としてはないわけはない。しかし,ハーツもこう言う。

嫌悪感とは,おおむね普遍的でありながら,生まれつき備わっている感情ではないことがわかった…。何を不快に思うかは人それぞれであり,時と場合によっても意味が異なる…。つまり置かれた状況,文化,そして生い立ちによって形作られるのである。また,嫌悪感には人間の感情でも独特の複雑さがある。

ふと連想したのは,ハンソンが,21世紀のわれわれと13世紀の人々とは、日々巡る太陽に同じものを見ているのだろうか?なぜ、同じ空を見ていて、ケプラーは、地球が回っていると見、ティコ・ブラーエは、太陽が回っていると見たのか?という問題意識だ。

たぶん,われわれは対象に自分の知識・経験を見ている。あるいは知識でつけた文脈(意味のつながり)を見ている。21世紀の我々には、宇宙空間の適当な位置から見れば、地球が太陽の回りに軌道を描いていると知っており、その知っている知識を見ている。13世紀の科学者は、太陽が地球の回りに描く軌道という知識、プトレマイオスの天動説を見ている。見ているのは知識なのだ。

アインシュタインは「われわれに刷り込まれたモノの見方の集合体」と呼ぶが、邪魔したのは、この「~として見る」「~としてしか見ない」われわれの知識である。ゲーテが,われわれは知っているものだけを見る,と言ったそうだが,それと同じことが,嫌悪感にも言えそうなのだ。嫌悪感には,こちら側の知識と経験がある。

西洋人には,納豆は,「アンモニア臭とタイヤを燃やしたにおいがマリアージュ,つまり組み合わさったように思える」という。しかし,そのハーツでさえ,「カース マルツゥはイタリアのサルディーニャ地方でよく食べられている羊のチーズ」は,苦手だという。「俗にうじ虫チーズと呼ばれていることからもわかるように,このチーズには文字とおり生きた幼虫がひしめいている」。そして「食べごろになったカース マルツゥには,通常,何千もの幼虫が宿っている。それどころか,地元の人々は,幼虫が死んでいるカール マルツゥは危ないと考えている。そのため,生きた幼虫が蠢いたままで,供される。」

で,こう言い切る。「もっとも原始的な嫌悪感情の生来の目的は,私たちが,腐敗して毒性をもつ食べ物を口にしてしまうのを避けるためにある」と。

ほとんどの場合,何かに嫌悪感をいだくか否かというのは,見る側の気持ちが決める。

その背景になるもののひとつが,文化だ。食べ物の価値が敵と味方を分ける。

文化を区分する際にもう一つ大切な目印は,…人間の体は,食べたものと同じにおいを発する。…これは,食べ物に含まれている臭気成分が,肌や汗を通して放出されるからである。こうしたにおいは,共通の食文化を有している限りは,「同じものを食べているからあなたが好き」と言う根拠になる。

つまるところ,

食べ物と,それを食べる人が不愉快かどうかをきめるのは,私たちの思考,つまり私たちの心なのである。

その嫌悪の感情は,人間の中枢神経システムを支配し,血圧を下げる。そのせいで発汗量が減り,失神,悪心,吐き気などが起こされる。…嫌悪感情からは,やんわりした反感から抑えきれない憎悪まで,さまざまな精神状態が引き起こされるが,これらにはすべて,その嫌悪感情の原因に対して,そこから逃げようとしたり,排除しようとしたり,そして多くの場合,避けようとする衝動感が中核にある。

予想されることだが,嫌悪感は,子供にはなかなか習得しにくい感情である。…子どもというものは幸福感を最初に覚え,次に悲しみと苦痛を覚える。…少なくとも,三歳になるまでは,どんな形の嫌悪感も経験しない。

子どもは怒りと嫌悪の表情の区別がつかないが,その区別の能力は,その子が何かについて嫌悪を感じるようになる能力と一致しているらしい。つまり,最初にトイレの躾をし終えて,「うんちでお絵かきしたりたべたり」しなくなり,嫌悪を理解するようになる。それは,

知的発達と同じ軌跡をたどるのである。
子どもたちは他のどの感情よりも,嫌悪感についての文化や社会の基準に触れ,そこから学ぶ必要がある。たとえ,それが何であろうとも,文化の違いは,不快なものへの態度の違いとなって現れる。

つまり,嫌悪感は生まれつき備わったものではない。人間は嫌悪感を経験できる唯一の生き物といえる。つまりチンパンジーやゴリラにはない文化的な背景が,嫌悪感と深く結びついていることを予想させるのである。

ではそれは脳とどうつながっているのか。

嫌悪感を示す顔を見せた時もっとも活性化するのは,側頭葉,前頭葉,頭頂葉の下に隠れている島皮質がもっとも活性化する。そのため,

嫌悪感を味わうには,損傷のない脳構造のネットワーク,特に島皮質が必要だ。ところが,そのほかにも必要なものがある。嫌悪感というのは,学習を経なければ身につかない唯一の感情だ。そして,それには複雑な思考と解釈も求められる…。言い換えると,嫌悪感にはあるレベル以上の認知能力と社会性が必要なのだ。さらに…他者の嫌悪感を正確に認識するためには,正常に機能する脳を持つことが必要であり,それとともに社会的な学習も求められる。

たとえば,大脳基底核の神経細胞が委縮するハンチントン病の人は,他人の嫌悪感を読み取れない。強迫神経症のひとも,嫌悪表情が読み取れない。ところが,ヘロイン中毒者は,嫌悪感情を理解できている。これは,

社会における暗黙の了解や経験が,嫌悪の解釈や経験にいかに欠かせないものであるかを示している。さらには,社会生活から受けるフィードバックにはあまりも大きな影響力があるため,あなたが抱いた嫌悪感が,そのまま私の嫌悪感になることすらある…。

嫌悪感は,社会文化的な反映であることが,はっきりしている。内に籠ったり,自閉状態にあると,社会的な感情経験と他者との交流の中で育まれる感情が育たず,脳としてのハードウエアが正常でも,嫌悪感情は育たない。外との間の中で,身に着けていくものであるらしい。

嫌悪感情をいだくか否かは,そのような感情をいだいてしまう可能性のある状況や対象についての判断できる能力によって左右される。

参考文献;
レイチェル・ハーツ『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』(原書房)
ノーウッド・R・ハンソン『知覚と発見』(紀伊國屋書店)

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