2013年05月21日
「する」(doing)機能の脳(左脳)と「ある」(being)機能の脳(右脳)
ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』(新潮文庫)を読んで。
僕は基本的に右脳・左脳と区別して語る人を信じない。人は,両方合わせて僕なのであって,片っ方では,「僕」として存在しない。機能として僕を語ることは,御免蒙る。
しかし,30代半ばで,先天性の動静脈瘤奇形(AVM)によって,大量の血液が左半球のあふれ,左脳の思考中枢の機能を失った,脳科学者が,8年かけて脳卒中から回復した奇跡的な努力をまとめた本だとすると,まずはその先入観を捨てて,受け入れるところから始めなくてはならない。
僕はキャパを超えて努力した人しか,自分を超えられないと信じているのだ。
出血したのは,左脳の,方向定位連合野(からだの境界,空間と時間),ウェルニッケ野(言葉の意味を理解する能力),感覚野(皮膚と筋で世界を感じ取る能力),ブローカ野(文章をつくる能力),運動野(体を動かい能力)にかかわる分野が出血で沈んだ。その結果,順序立てて出来事を並べる左脳が機能不全に陥り,「内部に心地よい安らぎが訪れた」という。
解放感と変容する感じに包まれて,意識の中心はシータ村にいるかのようです。仏教徒なら,涅槃の境地に入ったと言うでしょう。
具体的にはこんなふうになっていく。
…左脳の言語中枢が徐々に静かになるにつれて,わたしは人生の思い出から切り離され,神の恵みのような感覚に浸り,心がなごんでいきました。高度な認知能力と過去の人生から切り離されたことによって,意識は悟りの感覚,あるいは宇宙と融合して「ひとつになる」ところまで高まっていきました。無理やりとはいえ,家路をたどるような感じで,心地よいのです。この時点で,わたしは自分を囲んでいる三次元の現実感覚を失っていました。
左脳は自分自身を,他から分離された固体として認知するように訓練されていました。今ではその堅苦しい回路から解放され,わたしの右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。もう孤独ではなく,淋しくもない。魂は宇宙と同じように大きく,そして無限の海のなかで歓喜に心を躍らせていました。
しかしそれは,本来の能力が意識があるのに,系統的にむしり取られていく状態なのである。
まず耳を通ってくる音を理解する能力を失う。
次に,目の前にある何かの物体のもともとの形を見る能力を失う。
更に,何でもなかった匂いがきつく,息をするのもつらくなる。
そして,温度も振動も苦痛も,あるいはどこに手があるのか足があるのかの知覚を失う。
そして,自分自身を宇宙と同じように大きいと感じる。自分がどこのだれかを思い出す内側の声が聞こえなくなる。
そこから天性の介護人である母親と二人三脚の回復をしていくことになる。著者はこう言う。
脳卒中で一命をとりとめた方の多くが,自分はもう回復できないと嘆いています。でも本当は,彼らが成し遂げている小さな成功に,誰も注意を払わないから回復できないのだと,わたしは常日頃から考えています。だって,できることとできないことの境目がハッキリしなければ,次に何に挑戦していいのか,わからないはず。そんなことでは,回復なんて気の遠くなるような話ではありませんか。
だから,
うまく回復するためには,できないことではなく,出来ることに注目するのが非常に大切。
頭のなかに響く対話,つまり独り言には要注意。なぜなら,ちょっと油断すると,1日何千回だって,以前の自分と比べて劣っていると感じてしまうからです。
わたしがきちんと回復できるかどうかは,あらゆる課題を小さく単純な行動のステップに分けられるかどうかにかかっていました。
それらを実践する母親の辛抱強い励まし,意志的に努力を積み重ねる介護が,少しずつ著者を回復させていく。
できるだけ早く神経系を刺激する必要があることを,二人は本質的によく理解していました。わたしのニューロンは「失神状態」でしたが,専門的にみれば,実際に死んだのはわずかなニューロンにすぎません。(中略)ニューロンは他のニューロンと回路でつながって育つか,そうでなければ刺激のない孤立状態で死んで行くかのどちらかです。GG(母親のこと)もわたしも,脳を取り戻すことに闘志を燃やしていました。ですから寸暇を惜しんで,貴重なエネルギーを全部残らず利用したのです。
回復は感情を感じるプロセスで見えてきたと言う。たとえば,
新しい感情がわたしを通って溢れ出し,わたしを解放するのを感じるんです。こうした「感じる」体験に名称をつけるための新しい言葉を学ばなければなりませんでした。そしてもっとも注目すべきことは,「ある感じ」をつなぎ留めてからだの中に長く残しておくか,あるいはすぐに追い出してしまうかを選ぶ力をもつていることに,自分自身がきづいたこと。(中略)どの感情的なプログラムを持ち続けたいのか,どんな感情的なプログラムは二度と動かしたくないのか(たとえば,短気,批判,不親切など)を決めるには,やきもきしました。この世界で,どんな「わたし」とどのように過ごしたいかを選べるなんて,脳卒中はなんてステキな贈り物をくれたのでしょう。
そうして著者は,自分の脳を自分でコントロールできる力を,同時に学び身につけていく。
知りたかったのは,左脳の機能を取り戻すために,せっかく見つけた右脳の意識,価値観,人格のどれくらいを犠牲にしなくてはいけないのか,という点でした。
しかし,
脳内の出血によって,自分を決めていた左脳の言語中枢の細胞が失われたとき,左脳は右脳の細胞を抑制できなくなりました。その結果,頭蓋の中に共存している二つの独特な「キャラクター」のあいだに,はっきり線引きできるようになったのです。
それは,誰にもできると著者は言う。
あなたが,左右それぞれの「キャラクター」に合った大脳半球の住み処を見つけてやれば,左右の個性は尊重され,世界の中でどのように生きていきたいのか,もっと主張できるようになります。(中略)頭蓋の内側にいるのは「誰」なのかをハッキリ理解することによって,バランスのとれた脳が,人生の過ごし方の道しるべとなるのです。
そのバランスを,こう著者はまとめている。
わたしはたしかに,右脳マインドが生命を包みこむ際の態度,柔軟さ,熱意が大好きですが,左脳マインドも実は驚きに満ちていることを知っています。なにしろわたしは,10年に近い歳月をかけて,左脳の性格を回復させようと努力したのですから。左脳の仕事は,右脳がもっている全エネルギーを受け取り,右脳がもっている現在の全情報を受け取り,右脳が感じているすばらしい可能性のすべてを受け取る責任を担い,それを実行可能な形にすること。
著者は,コントロールのコツをこう言っている。
わたしは,反応能力を,「感覚系を通って入ってくるあらゆる刺激に対してどう反応するかを選ぶ能力」と定義します。自発的に引き起こされる(感情を司る)大脳辺縁系のプログラムが存在しますが,このプログラムの一つが誘発されて,化学物質が体内に満ちわたり,そして血液からその痕跡が消えるまで,すべてが90秒以内に終わります。
通常無意識で反応しているのを意識的に,90秒を目安に,自分で選択できるということです。例えば,90秒過ぎても怒りが続いていたとしたら,それはそれが機能するよう自分数が選択し続けているだけのことだ,というわけです。
最後に,左脳が判断能力を失っている間に見つけた涅槃体験から,著者は,脳卒中から得た「新たな発見」を,こう言い切る。
「頭の中でほんの一歩踏み出せば,そこには心の平和がある。そこに近づくためには,いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい」と。
それも,自分でコントロールできると,著者は言いたげである。
脳の可塑性によって,著者は8年後,失われた機能を回復したが,「わたしの脳の配線は昔とは異なっており,興味を覚えることも,好き嫌いも,前とは違ってしまっている」という。ひょっとしたら,別の人間に生まれ変わっている,と言えなくもない。
参考文献;
ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』(新潮文庫)
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