2013年05月29日

「なる」と「なりきる」


はたらく場研究所~最高の居場所~5月ライブ,高田天朗さんの「ドラマdeコミュニケーション ~なりきりワーク編~」に参加してきた。

http://kokucheese.com/event/index/88107/


なりきりワークに参加するのは二度目だが,その都度,その時,その場に関わるので,二度目という感覚はなく,その都度,その場の自分を経験している。

つくづく思うのだが,なりきるというのは,どういうことか。

日常でも,立場や役割で「仮面」とは言わぬが,その役を演じている。というか,その自分と内面の自分とに隙間風が吹く時がある。では,そのとき,四の五の言わず,その役に徹し,なりきるということが正解なのか。それとも,そこで葛藤し,格闘して,自分の色に役を染め変えていくのが正解なのか。

仮面かどうかは人にはわからない。よほどなじめずうろたえている場合は別にすれば,そのときの立ち居振る舞いがそのまま受け取られる。しかし,内面では,その隙間を意識することで,実は,自分の前に,選択肢が広がっている。その隙間の間の広がりが意識できれば,そこには無数に違う,選べる自分がある,ということになる。

なりきる,

というのは,たぶん,どこかに固定した仮面があり,それを演じ切る,あるいは躊躇なくその仮面になってしまうということではない,気がする。その仮面との格闘を経て,自分なりに納得したその役なり面なりになっていく。それが自分になるということなのかもしれない。

多くは,冒険家とか作家とか,脚本家とか,政治家,役者といったような明確な立ち位置があることの方が少ない。単なるビジネスマンであり,営業マンであり,事務屋であり,主婦である。そこには意味がないが,自分になっていく,他にない自分を創り上げていく葛藤が,生きることなのではないか。はじめはおずおずと役割にはまり,それを自分のものにして,やがて自分というものを明確にしていく。それは守破離そのものかもしれない。

ワークの詳細は,前回,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11014109.html

の中でいくつか触れているので(前回とは違うワークも一杯あったが),今回は,いくつかのワークショップをやらせてもらって,感じたことをまとめてみたい。

ひとつは,ダブルとカーテン。

確か前回も経験したと思うが,裏の声(ダブル。本人の会話の背後の本音や感情を言語化する)や本人の内なる自己対話を言語化する(カーテン。自分自身の内的葛藤や愚痴を顕在化させる)ことで,一つにしか見えないそのシチュエーションのパースペクティブに,複数の場面が見えてくる。それは,そのシチュエーションのもつ多相性,多層性,多重性を顕在化させることで,シンプルにひと色で見がちに事実を相対化していく,という効果がある気がした。

それは,深刻な事態,思い込みの事態を,広い視野で配置し直すのに似ていて,とかく固まりがちなものの見方をときほぐし,ばらしていくように見える。

いまひとつは,スナップショット(自分の課題の対象となる人たちの集合写真をとることで,いまの関係性とありたい関係性を具象化)と彫刻化(関係者のポーズを,いまとありたい姿で取らせる)。


前にも書いたが,システムコーチングで,人の立ち位置で関係性の今と未来を具体化するのと似て,一瞬の写真やポーズの中に,自分の中にある,対象となる人々との関係性や位置関係を具象化してみることで,いまのそれをどう変えればいいかがイメージ化される。

わずかに位置関係やポーズを変えただけで,自分の側に変化が起きる。これはいわば,視点の転換といっていい。

(見えているものの)見え方を変えることで,(見ているものの)見方が変わる。見方を変えるには,見えている対象を動かすことだ,というのが視点を変える鉄則だが,その典型例といっていい。

人の持つイマジネーションの強力な効果といっていい。いわば,空間配置を変えることによる,イメージ喚起力といってもいい。

このことは,なりきる,というときの,私⇔役との関係も,「⇔」の隔たりとは関係なく,役から自分を見,自分から役を見る,の転換,あるいは,「私⇔役」そのものを,第三者から見る,という転換をしてみることも,空間配置を変えることの持つイメージ喚起力になっているし,ダブルやカーテンで,裏の声を顕在化させたり,内的対話を顕在化するということも,言葉を,中空に解き放つという意味では,どろどろと混沌にあった思いを空間化することで関係が顕在化したのと同じ効果がある。それは,視点を相対化(つまり変えること)になっている。あるいは,今回はやらなかったが,エンプティチェアも同じ効果を狙っていると言えるだろう。

更には,「場」そのものを動かすということもある。人と人との関係性を変えるためには,文脈や状況を変えてみる。あるいは,動かしてみる,ということも効果がある。リフレーミングは,それといっていい。これも,固定した場からしかものを見られない固定観念を崩すには効果がある。

では翻って,自分は何になろうとしているのか,何になりきりたいのか。その自分の「なる」「なりきる」についても,いまのシチュエーションや文脈を前提にする必要はないし,まして今の自分の立ち位置を前提にする必要はない。

清水博さんの卵モデルで言えば,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11189806.html

「場」という器そのものを外から見る視点が指摘されていた。自分の視点からのパースペクティブではなく,自分と場をも視野に入れた,異なる視点からのパースペクティブをえることで,場の相対化と場の位置づけ直しもできるかもしれない。いずれにしても,固定したいまの,ここの,自分の視点に拘泥していては,視野は変わらない。視野が変われば,見え方が変わり,見え方が変われば,明らかに自分が動く。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




#高田天朗
#なりきりワーク
#清水博
#卵モデル
#ダブル
#カーテン
#彫刻化
#スナップショット
#ワークショップ
#見え方
#見方

【関連する記事】
posted by Toshi at 06:13| 日記 | 更新情報をチェックする