遺伝子の開花


かつて,神田橋條治さんが,

ボクは,精神療法の目標は自己実現であり自己実現とは遺伝子の開花である,と考えています。「鵜は鵜のように,烏は烏のように」がボクの治療方針のセントラル・ドグマです。

と書いていた。遺伝子学の堀田さんは,

遺伝子で決めている範囲を逸脱することはできない。それは厳然たる真理だと思います。ただし,遺伝子が決めている範囲をすべて使っているかというと,実はほとんど使っていないとおもうんですよ。僕だって,もし優れた指導者に出会えれば,全然違う才能を発揮して,…いたかもしれません。そういう才能を発揮するような環境にいなければ,その才能が有ることも知らずに死んでいくわけです。(中略)自分が遺伝的にもらった才能というのは,自分が思っているよりはるかに広い。それを開拓するのが,学習するということです。

というふうに語っている。つまりは,遺伝子で決定論的に決まるのではなく,非決定論的な柔軟性がある,それは少し丸めた言い方をすると,どんな生き方をするかでその開花は変わる,といってもいい。

ところで,ハエのゲノム(一組の染色体)には,約一万五千の遺伝子があり,ヒトの遺伝子は三万程度で,その差が小さいように感じるが,一個の遺伝子を変えただけで大きなことが起きるのだから,数千個も変われば,全然違うものになる。しかし,

ひとつの幹に沿って生物が進化していって,最後に無脊椎と脊椎の二つの枝に分かれたんです。それもたかだか四億~五億年前のことで,四〇億年近い生命の歴史を考えれば,別れてからの時間が全体の10パーセントなら,90パーセントは同じだということになります。

その意味では,ヒトとヒトの間の差は,平均0.1%,ゲノムとして0.1%の変動,チンパンジーとは1%の違い。10倍違う。わずか1%の差でも,

ヒトとヒトの間の距離の10倍くらいのところにチンパンジーがいるというようなイメージです。

こう空間的に示されると,不思議とイメージが鮮明になる。それもそのはずで,

脳の視角野といわれる部分は,実際に物体を見たときに働いている領域なんですが,イメージしただけでも同じように活動する…。

ことに起因している。

言語については,小さい時にある段階までに一番適応しやすい年齢があり,自然に言語を学んでいくが,

脳は,聞こえているものが言語なのか雑音なのかわかっています。赤ん坊がちゃんと言葉がわかるようになるということは,たくさんの聞こえている音の中から言葉を抽出して取り入れている…。

という。ここで不思議なのは,手話もそれと同じ自然言語なのだということだ。

アメリカの研究では,手話を第一言語として使っていたろうあ者が左脳のトラブルで手話失語になることを報告しています。

つまり,手話も赤ちゃんが自然に第一言語として覚え,手話を使っているときの脳を調べると,完全に左脳優位であるという。

ここから想像できることは,言語化する方法が何であれ,抽象化する作業は左脳が担う。必然的に,脳の機能としては同じだということだ。

では,そういう人間の脳とコンピュータを比較して,何がわかるのか。人がコンピュータをつくるので,コンピュータは人を超えられない,そういう常識は正しいのか。

たとえば,将棋のコンピュータでは,従来の,手をしらみつぶしに計算して,最も良い手を残すというやり方から,

最初に可能な手を絞り込んでしまうのです。つまり,手持ちのデータを使って,いくつかの手はありえないということで,落としてしまう。絞った手に関して深く読んで見込があるかどうかを判定して,その中で一番良いのを残すという方法を取っています。

という。「将棋のコンピュータは,捨て方を人間が教えてやった時点で,創造性に一歩近づいた」のだという。

この背後にあるのは,堀田さんの,

天才とは,ものを捨てる能力の高いひとじゃないか,…いろいろな可能性を考えるスピードが速くて,しかも,その可能性の中で,適切なものだけ残して,不適切なものを捨てる。

という考え方と照らしてみるとき,一歩人に近づいている。たとえば,

コンピュータが意志をもてるか,というのは本質的な問題です。「意志」とは,自分が自分に対して命令を出すことでしょう。…それら簡単にできます。つまり,コンピュータがある命令を別の命令で呼べばいいわけです。それは「サブルーチン」というプログラムの基本としてよく知られています。(中略)人間の脳もまさにそうなっているのでしょう。下位の命令は,脚を動かしなさい,…という「運動野」の命令なんですが,その上位の前頭葉のニューロンは,その命令に対してさらに命令を出す役割をしているのです。

本書でも言っているが,人間と同じものをつくっても仕方がない。何をするためのものなのか,というツールとして徹底するのか,人の代替をつくろうとするのか,そういう選択が現実的になってきた時代にいる,ということが実感である。


参考文献;
堀田凱樹・酒井邦嘉『遺伝子・脳・言語』(中公新書)
神田橋條治『技を育む』(中山書店)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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