生きる矜持~石原吉郎の詩をめぐってⅤ
生きる,あるいは生き方という点では,
いわれなく座に
耐えることではない
非礼のひとすじがあれば
礼を絶って
膝を立てることだ
膝は そのためにある
そろえた指先も
そのためにある(「控え」)
がいい。それを矜持と呼ぶか,自恃と呼ぶかはわからないか,一種の潔さと言っていい。人が何と言おうと,己というものの尊厳を損なうことに対しては,断然と対峙する,そういう凛とした姿勢だ。だから,
一期にして
ついに会わず
膝を置き
手を置き
目礼して ついに
会わざるもの(「一期」)
常に,そういう心積もりでなくてはならない,と言っている。しかし,それって,結構孤立し,寂しい。ただ。できるかどうかは,別にして,そういう人との接し方ができれば,凛然とした佇まいになるのではないか。その心映えは,たぶん,「五省」がつながる。
至誠に悖るなかりしか
言行に恥ずるなかりしか
気力に欠くるなかりしか
努力に憾みなかりしか
不精に亙るなかりしか
でも,その外面と,内面は違う。内面はくずぐず,めそめそしている。だいたい,というと偏見だが,かっこよさは内面の無様さとつりあっている,と信じている。
私は私に耐えない
それゆえ私を置き去りに
する
私は 私に耐えない それゆえ
瞬間へ私を置き去りにする
だが私を置きすてる
その背後で
ひっそりと面をあげる
その面を(「置き去り」)
捨てた自分にいつも付きまとわれている。「その背後で ひっそりと面をあげる その面を」というのが効いている。自分を捨てることはできない。捨てた自分に躓くのが落ちだ。
おれよりも泣きたいやつが
おれのなかにいて
自分の手足を自分の手で
しっかりつかまえて
はなさないのだ
おれよりも泣きたいやつが
おれのなかにいて
涙をこぼすのは
いつもおれだ(「泣きたいやつ」)
だからこそ,それくらいなら,断念する。
海は断念において青く
空は応答において青い
いかなる放棄を経て
たどりついた青さにせよ
いわれなき寛容において
えらばれた色彩は
すでに不用意である
むしろ色彩へは耳を
紺青のよどみとなる
ふかい安堵へは
耳を(「耳を」)
こんなことを考える。
前に道はない
道は背後にできる
一歩踏み出さねば道にはならない
置き残したものへの未練を断ち
訪れる未知への不安を払って
つま先をわずかに
すりだせば
すでに道がある
踏み出せ,踏み出せ,ともう一人の自分がいう。そう書いてみたが,高村光太郎に,
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため(「道程」)
という有名な詩があり,読んだ記憶はないのに,そのパクリのような感じがして,ちょっと消したくなったが,まあ,ニュアンスの差に免じて,そのままにしていく。閑話休題。
で,前へ踏み出すということは,立ち止まる,下がる,横に行く等々という中から,前へ出る選択をしたのだ,ということだ。それは,選択肢のしがらみから,自由になった。断念を代償に。
きみは馬を信じなくては
いけない 馬は
激烈で
明快な時間だ
そして
時間が筋肉をもつときの
断念と自由を
同時にきみは
信じなくてはいけないのだ
信じることにおいて それは
自由でなくてはいけないのだ(「時間」)
でも,だ。
私が疲れるのは
私の自由において
私が倒れるのは
私の自由において
いつの日にあっても
私が倒れうることを
自由なその保証として
私よ たじろがず
自由に立ちつづけよ(「私の自由において」)
となる。格好つけることは,結構肩がこる。
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