2013年06月21日

噺と語り


先日機会があって,三代目・三笑亭世楽師匠とご一緒させていただく機会があった。同席させていただいた方々のように,当意即妙で話す力はないので,もっぱら聞き役であったが,その中で,落語家は,その人物になりきらない,ということを聞いた。むしろそれは落語家としてはだめなのだ,という。

むしろ落語家,というより噺家のほうがいいか,噺家はいわば監督(というより演出家のほうがいいか)あるいはプロデューサーなのだという。したがって,噺家によって同じ噺でも,その構成が異なる。どういう構成で,どうつなぐかが噺家の腕の一つということらしい。

因みに,編集については,前も書いたが,たとえば,「一秒間に二四コマ」の映画フィルムは,それ自体は静止している一コマ毎の画像に,人間や物体が分解されたものである。この一コマ一コマのフィルムの断片群には,クローズアップ(大写し),ロングショット(遠写),バスト(半身),フル(全身)等々,ショットもサイズも異にした画像が写されている。それぞれの画像は,一眼レフのネガフィルムと同様,部分的・非連続的である。ひとつひとつの画像は,その対象をどう分析しどうとらえようとしたかという,監督のものの見方を表している。それらを構成し直す(モンタージュ)のが映画の編集である。つなぎ変え,並べ換えることによって,画像が新しい見え方をもたらすことになる。

そうすると,噺家は学んだオーソドックスな噺の構成と登場人物を,どういう流れでどう登場させていくか,その噺家次第ということになる。確かに,先日聴いた『野晒し』は,人物そのものは変わらないものの,キャラクターも美味様に違うかもしれないが,その噺の構成は,記憶とはかなり違っていた気がする。

では,落語(「噺」)と語りとはどう違うのか,ということになる。語りでは僕の聞いた限りでは,その声音もしぐさも,その人物になりきって語る。そのとき,語る人(語り部と呼んでおくべきか)は,その物語の語り手であり,登場人物A,B,C…であることになる。その語る人は,一方では監督でもあるが,役者でもあり,ナレーターでもあるという使い分けをしている。

噺家は,そうではないという。あくまで,噺を伝えている。一般的には「落語」と書いても「おとしばなし」と読んでいたそうだから,落語の基本は「それはなしは、一が落ち、二が弁舌、三が仕形(しかた)」と言われるのも当然で,その人になりきる演技ではなく,噺の流れと構成のつくり方にあるのに違いない。

だから,語りの向き,しぐさ,言葉遣い,扇子と手拭による見立てによって,その人物を表現するが,その人物を表現するのに必要な,男女,身分,年齢を際立たせる程度の使い分けをするが,それ以上にはいりこまない。そこは,口先だけで小道具なしで語る語り部との違いかもしれない。

その違いをもう少し,間違っているかもしれないが,自分なりに範囲で掘り下げてみたい。

直感的には,語り部は,人を前にした時,何某ではなく,語り部そのものになっている。そしてある時は語り手に,ある時は登場人物Aになりきって演じ分けていく。その差配をしているのは,語り部である。

噺家は,高座にあがったとき,噺家何某として,「まくら」を語っている。そこから地続きで,本文に入っていくが,その瞬間,噺家何某ではなく,演目の語り手になっている。噺家の世界と語り手の世界をつなぐために「まくら」がある。しかし,おもしろいことに,ここも噺家によって違うが,ときどき噺家何某の世界へ戻ってくる。ちょうど司馬遼太郎や中里介山が,自分の考えを述べている部分にあたる。その意味では,噺家何某→噺家の距離感自体が,まず噺家によって違う。さらに,噺家→語り手→登場人物という流れが明確な人と,噺家→語り手,噺家→登場人物がほぼ並列になっているひと,等々と語られる世界との距離の置き方で,噺家がどこに自分を置くかで,結構話の構成のさせ方も違ってくるはずである。

そうみると,語り部よりは,噺家の方が,語られる世界(演目)についての解釈も,構成も,場合によっては,登場人物のキャラクターそのものまでも,自由に変えていくのではないか,と言える。

そこが落語家はディレクターないしプロデューサーでさえある,と言われる所以なのではないか。

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2013-0416.html

で書いたことと重複するが,R・バルトはこう言っている。

文学の描写はすべて一つの眺めである。あたかも記述者が描写する前に窓際に立つのは,よくみるためではなく,みるものを窓枠そのものによって作り上げるためであるようだ。窓が景色を作るのだ。 (『S/Z』)

窓枠のつくり方で,向こうに見えるものが変わる。窓枠を決めるのは,それに向き合う語り手にほかならない。語り手の立つ位置をどうとるかで変わる。語り部にはその位置の変化はあまりない。というより,語り部は,現実の誰それであるより前に,語り部になってそこにいる。だから,語り部は語り手に重なっている。それに比して,噺家は,位置を自在に変える。噺家のいる位置と語り手の位置(語るものを見ている位置),語り手と登場人物の位置も,微妙に変わる。

フーコーは,別のところでこう語っている。

周知のように,ある語り手による物語というかたちをとった小説では,一人称代名詞,直接法現在,時間的・空間的な位置決定の記号はけっして正確には作家にも,彼が現に書いている時点にも,彼の書くという動作そのものにも送り返しはしない。それらは,もうひとつの自己へ―そこから作家までのあいだに程度の差はあれ距離が介在するばかりか,その距離が作品の展開してゆく経緯そのものにおいても可変的でありうるようなもうひとつの自己へ,と送り返すのです。作者を現実の作家の側に探すのも,虚構の発話者の側に探すのも同様に誤りでしょう。機能としての作者はこの分裂そのもののなかで,―この分割と距離のなかで作用するのです。(『作者とは何か?』)

位置とは,ここで言うところの「もうひとつの自己」といっているものであり,現実の噺家と語り手としての噺家,噺家はその「分割と距離のなかで作用する」ことで,その前に広がる世界の語り方を,語られる世界の描き方を変える。噺家は,その語り手の奥で,差配する演出家ということになるのだろう。

しかしこの「演出家」としての自分という視点を,自分がしていることを,もう一人の自分が見ている,という意味に,もう少し広げて,これを,「第三の眼」という言い方をするなら,それはもっと広く敷衍することができるような気がする。

例えば,コーチングでは,前にも書いたことがあるが,たとえば,ところでCTI系では,傾聴には二側面があるとして,

①注意を払う 感覚を通して受け取ったものへの気づき。コーチが受け取っているすべての情報に対して注意を傾ける。息遣い,話し方のペース,声の調子等々。
②インパクトに気づく 傾聴したことへの対処。コーチの対処がクライアントに影響を与える。

それを,次の3レベルに分けている。

①レベル1・内的傾聴 意識の矛先が自分に向いている。自分の考えや意見・判断,感情,身体感覚に意識が向いている。
②レベル2・集中的傾聴 意識はクライアントに向いており,全ての注意がクライアントに注がれている。相手の発するすべての言葉に一心に耳を傾け,声の調子,ペース,ニュアンスを逃さず聴こうとしている。
③レベル3・全方位的傾聴 一つのことに焦点を当てるのではなく,周囲に広く意識を向けている状態。自分と周囲のエネルギーに気づく。そのエネルギーの変化に敏感になる。

このことは,セラピストも,自分のしているセラピー全体を俯瞰する目がいる,という言い方をする。あるいは,すぐれたサッカー選手は,試合全体を俯瞰する目を持ち,素早く自分のポジショニングができる,と聞いたことがある。

それを自己演出力という言い方で表現するなら,当面している自分の立ち位置を,後ろから見る冷静な眼がなくては,窓枠を作り直すことはできない。その意味では,ちょっと敷衍しすぎかもしれないが,すべてに通ずる部分がある気がした。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



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#自己演出力

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posted by Toshi at 05:51| Comment(6) | 落語 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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