芸術家の問題意識というものを考えてみたい。
問題意識は,自分の求めているものと現状とのギャップを意識していることと単純化するなら,ここから,
①自分の求めているものがはっきりしている
②現状の自己の状態についての自己認知がある
の両者が不可欠になる。この枠組みは,自分のあり方や自分の目指すものという大きなシチュエーションでも言えるが,個々のテーマや作品のあり方についてもいえるのかもしれない。
僕は芸術家ではないので,詳細について深入りして語ることはできないが,たぶん最初は作品に出会うか,作家に出会う。そのときは憧れだったり,これこそ自分の気持ちの代弁だと思うものに出会う。僕らの時代だと,太宰治がかつてそうであり,吉本隆明がそうであったように。今なら村上春樹ということになるか。
僕は,前にも書いたが,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10971305.html
単なるディレッタントでしかなかったにしろ,作品に出合い,それを目指したが,その目指すものと,自分の現状とのギャップに気づくのに,人は時間がかかる。なぜなら,自分というものの持つリソース,違う言い方をすると,自分にしか表せない何か,自分だけの表せるオリジナリティに気づくことが,実は,大事なのだが,めざすものへの憧れがホンマものであるほど,そこに目が向きにくい。
ここで言っているのは,自分の才能の限界というのではない。そういうのは,もっと前に気づく。到底それは表現できない,ということに,自分が表現について彫琢すればするほど,自分の表現技術が上達すればするほど,実はそのモデルは遠ざかり,より高みへと登っていく。そこまでの距離の大きさに,表現技術に収斂すればするほど気づくからだ。
技術ではなく,テーマとか切り口とか自分が描きたい世界とか,自分なりの独自の世界を見つけた時,技術の絶望からは少し目が遠ざかる。しかしそこで,世界を表現するということについての,大きな落差,に気づく。その時本当の意味で自分の才能が問われているが,見つけた独自の切り口に夢中になる。また夢中にならなければ,その先はないのだが。
もうひとつ,ひとつひとつの作品を漫然と書く(描く)ということはない。ただ技術的な彫琢として,習作を書くということはあるが,それは作品として完成させるということとは別の,単なる練習で,そうではなく,作品を書こうとするとき,そこには,テーマとモチーフとがある。そこに問題意識がやはりある。
①目指している完成像
②現状の未知状況
現状は,この場合,自分のリソースではなく,作品世界を描くために必要なデータであったり,資料であったり,素材であったりする。
ケース・ライティングをしていたときの,事実の整理については,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11200541.html
で触れたことがあるが,しかし作品を創るときに必要なのは,まず,
どんな世界にするか,
なのではないかという気がしている。
その世界を,時間と空間を,もっと突き詰めていくと,
その場,そのとき,
を決めることだ。そこからは,どういう立ち位置からそれを眺めるか,小説なら,それは語り手になる。
R・バルトはこう言っていた。
文学の描写はすべて一つの眺めである。あたかも記述者が描写する前に窓際に立つのは,よくみるためではなく,みるものを窓枠そのものによって作り上げるためであるようだ。窓が景色を作るのだ。 (『S/Z』)
それをパースペクティブと呼んでいる。パースペクティブ,窓をどうとるかで,眺めが変わる。どの位置で,どう眺める語り手の位置にするかで,見える風景が変わる。このとき,
完成像と自分の現状とが,
そのとき,その場で一つの統一された世界になる。
はじめて,そこで世の中のレベルと向きあわされる。腹の底から,震えるほど,自分というものの才能に思い知らされることになる。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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