2013年07月03日

言葉を生み出す脳


酒井邦嘉『言語の脳科学』を読んだ。

問題意識は明確だ。

本書では,言語がサイエンスの対象であることを明らかにしたい。言語に規則があるのは,人間が規則的に言語を作ったためではなく,言語が自然法則に従っているためだと私は考える。

言語を心の外にある実態と考えるよりも,心のはたらきの一部と考えたほうが自然であろう。

つまり,「人間に特有な言語能力は,脳の生得的な性質に由来する」という問題意識だ。それは,言語習得を,単語レベルではなく,統語論・意味論・音韻論の三要素の言語知識を,幼児は並行して獲得していく,というところに端を発している。

所謂プラトンの問題と言われるものだ。

言語の発達過程にある幼児が耳にする言葉は,多く言い間違いや不完全な文を含んでおり,限りある言語データしか与えられない。それにもかかわらず,どうしてほとんど無限に近い文を発話したり解釈できるようになるのだろうか。

これがプラトンの考えた問題であり,

幼児に与えられる言語の刺激が貧困であるという事実を指して,「刺激の貧困」とも呼ばれている。

そして,プラトンの問題が示しているのは,

幼児が白紙の状態から言葉を話せるようになるのではない,という事実である。それを整理して,著者は三つの謎としてまとめている。

第一は,「決定不能の謎」である。これは,与えられる言語データだけから,幼児が言語知識のすべてを決定するのは不可能だという問題である。しかも,六歳頃までの幼児は,推理・類推・論理などの分析能力がまだ発達途上であり,部分的な言語データから帰納的に文法すべてを推理することなど,とうてい不可能だと考えられる。そもそも決定できないはずのものがなぜ決まってしまうのか。
第二は,「不完全性の謎」である。刺激の貧困から明らかなように,幼児に与えられる言語データは不完全である。しかも,どのデータが完全で,どのデータが不完全か,という手がかりすらもない。不完全なデータから,なぜ完全な文法データが生まれるのか。
第三は,「否定証拠の謎」である。文法的に誤った分のデータを否定証拠(負例)と言う。…否定証拠も十分に与えなければ,文法を決定することは不可能であることは理論的に証明されている。親は,子どもの言い間違いをすべて直すとは限らないし,あえて間違った例文を与えてくれるということもない。…それにもかかわらず,なぜ文法的に間違った文が間違っているとわかるようになるのだろうか。

この答えは,ひとつだけある,と著者は言う。

それは,いたって簡単。幼児の脳にはじめから文法の知識があると考えればよいのだ。

そうみなすと,類人猿も言葉を使うとか,手話(手話は左脳を使う言語であって,ジェスチャーとは違う)を使うとかということは,論外になる。すなわち,

第一に,類人猿は,人工的なシンボルとその意味を連想して覚える能力を持っている。ニホンザルも,たくさんの人工的なシンボル(図形)を連想して長期的に覚えられることは,私のかかわった以前の実験が証明している。このような連想能力は,一般的な学習のメカニズムに基づくものであって,言語を使うことに必要であるが十分ではない。ジェスチャーやシンボルと意味との連想関係を覚えたからといって,言語を使っているというのは間違いである。
第二に,類人猿がシンボルを使って解釈している意味が,人間の言葉と同じであるという保証は全くない。犬も人間の言葉を使って訓練できるわけだが,動物は人間の言葉に反応しているのであって,「理解している」とは限らない。

ここには,言語を使うということの正確な定義が抜けていところからくる勝手な解釈が横行している。著者は言う。

言語とは,心の一部として人間に備わった生得的な能力であって,文法規則の一定の順序に従って言語要素(音声・手話・文字など)を並べることで意味を表現し伝達できるシステムである。

こう見ると,逆に類人猿を,人間の眼を通して人間の都合よく解釈していて,

これまで忘れられているのは,むしろ類人猿本来のコミュニケーションを明らかにする研究であろう。動物同士がどのようなコミュニケーションを行うかがわからなければ,人間の言語と比較すること自体,無意味なのだから。

というのがむしろ驚きだ。いままで,科学者は何をしていたか(何をしていなかったか)が逆に照らし出されてくる。

著者は,チョムスキーの生成文法に,一つの方向性を見出している。

チョムスキーは,発生の仕組みで体ができあがるのと同じように,脳に「言語器官」があって,言語も成長に従って決定されると考えた。言い換えると,言語は,本人の努力による「学習」の結果生ずるのではなく,言語の元になる能力,即ち言語知識の原型がすでに脳に存在していて,その変化によって言語の獲得が生ずる…。

それにもとづく仮説が,言語のモジュール仮説である。つまり,

独立して仕事できるけれども,互いに補い合ってはたらくものを,認知科学では「モジュール」と呼んでいる。統語論・意味論・音韻論は,言語のモジュールであると考えられる。モジュールは,この「独立性」の他に,単独で処理が自動的に進むという「自動性」,そして必要な入力以外は受け付けないという「入力制限」といった特徴をもっている。言語が他の認知機能とは独立したモジュールであるという考えのことを,「領域固有性,領域特殊性」といい,学習のように一般的な機能のことを,「領域一般性」と言う。

まだ仮説にすぎないが,たとえば,文法処理について,ブローカー野が文法中枢として働くことが見つけられている。

文法の処理が脳の機能として局在しているという発見によって,「言語のはたらきは,一般的な記憶や学習では説明できないユニークなシステムである」という言語学の主張が裏付けられたことになる。

しかし,MITのオニールは,「脳科学が言語学の知見を実証するというのは誤りで,言語がどのように表現されるかという問題は,言語学者と脳科学者の共通の仕事なのだ」と言っているそうだ。

その道筋を,著者はこう言う。

二十世紀の物理学は,理論物理学と実験物理学の見事な融合によって,たくさんの発見をもたらした。…言語学と脳科学の関係は,この物理学の関係とよく似ている。言語学は言語の法則に関する理論を提供し,脳科学は言語のシステムの仕組みを実験的に明らかにする。しかも,両者の関係は両方向になり得る。言語学の理論的予想が脳科学によって実証され,脳科学が見つけた言語の現象に,言語学が説明を与える。こうなることが近い将来の理想である。

まだまだ「脳がどのように言葉を生み出すか」の探求は,緒についたばかりといっていい。


参考文献;
酒井邦嘉『言語の脳科学』(中公新書)

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posted by Toshi at 04:56| Comment(13) | 言語学 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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