選択
あの野村克也氏が,
女を取るか野球を取るか
と迫られて,女を取ったと,ご自分の逸話を語っていたのを覚えている。それが,あのサッチーなのだが,その是非はともかく,そういう決断をするというのが,僕にはわかる。両方という選択肢はない。それほどの岐路が,確かに人生になくはない。
恋は思案の外
という言い方をするが,いろいろ経緯はあったろうが。結果としてシンプソン夫人を取って国王の位を捨てたエドワード八世の例もある。
棄てても悔いのない決断というのがあるのかどうかは知らない。
もともと決断とは,何かを捨てることだ。そう決定した瞬間,捨ててよかったと自分で思うほかないが,しかし,それは決断のその一瞬で決まるのではなく,その後の生き方で決まるのではないか。
しかし一瞬,ロジックも理性も消えるときがある。それが右脳か左脳かというのは意味がなく,ジル・ボルト・テイラーも言っているように,
わたしはたしかに,右脳マインドが生命を包みこむ際の態度,柔軟さ,熱意が大好きですが,左脳マインドも実は驚きに満ちていることを知っています。なにしろわたしは,10年に近い歳月をかけて,左脳の性格を回復させようと努力したのですから。左脳の仕事は,右脳がもっている全エネルギーを受け取り,右脳がもっている現在の全情報を受け取り,右脳が感じているすばらしい可能性のすべてを受け取る責任を担い,それを実行可能な形にすること…。
なので,それをコントロールすることはできる。それをするかしないかも,脳が選択している。
ジル・ボルト・テイラーは,コントロールのコツをこう言っている。
わたしは,反応能力を,「感覚系を通って入ってくるあらゆる刺激に対してどう反応するかを選ぶ能力」と定義します。自発的に引き起こされる(感情を司る)大脳辺縁系のプログラムが存在しますが,このプログラムの一つが誘発されて,化学物質が体内に満ちわたり,そして血液からその痕跡が消えるまで,すべてが90秒以内に終わります。
通常無意識で反応しているのを意識的に,90秒を目安に,自分で選択できる。例えば,90秒過ぎても怒りが続いていたとしたら,それはそれが機能するよう自分数が選択し続けているだけのことだ,というわけだ。
それは,好きとか嫌いという感情についても言えることで,それを選択している。あるいは,理性もまた,それをよしとコントロールしないことを選択している,ということになる。
というかその感情の奔流に流されるのを,よしとした,流されていいと思った,ということだ。
そういえば,映画『卒業』のベンジャミンとエレインは,どうなったのだろうか。それぞれは,どういう生き方をしたのか。その決断を,後から悔いることはなかったのか。いやずっとそれを悔いるような生き方をしたのか,それともそれを忘れてしまうような生き方をしたのか。
一瞬の感情で決断するということは,考えて考えた末決断することと,僕には,それほど差があるとは思えない。結果として,見えない未来は,最後は直感で決めるしかないからだ。
だから,たぶん決断の可否は,その一瞬ではなく,その結果どう生きたかなのではないか。あるいは,逆に,それを機に生き方を劇的に切り替えたかどうか,というべきかもしれない。
思えば,どんな決断も,一つの契機なので,その一瞬に見えた(はずの)シーンというかステージに乗り切れたかどうかなのかもしれない。
そのためにこそ決断したはずなのだから。
僕自身も,それに近い選択をした。しかし,悔いとか振り返るとかはほとんどない。なぜなら,その一瞬がなければスタートしない人生のステージに乗ったからこそ,いまの自分があるからだ。いまの自分は,よかれあしかれ,それがあるから,ある。
参考文献;
ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』(新潮文庫)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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