2013年07月28日
吹き出し型会話
マンガでは,発せられた言葉が,人物から吹き出しで表現される。
しかし揚げ足を取るようだが,あれは,
内語
か
独語
と同じく,言葉は閉じこめられている。人に向かって開かれていない。
それでなくても,口頭のメッセージの歩留りは,25%という説がある。四分の一なのである。閉じられていては,もっと低い。
あるいは自覚的には,言葉を放っている。しかし,
その言葉にくっついている思いは別に閉じられている。
あるいは,
言いたい言葉を半分にして言う。
あるいは,
想いが言葉にならない。
いずれにしても,言葉は,肝心なことを吹き出しに閉じ込めている。
想いは必ず通じるということを,誰が信じさせたのだろう。
不徳のせいか,通じたことはほとんどない。
人はもともとまったく違う方向を向いている。というより,別々の方向を向いて生まれてきた。それが会話程度で一致するはずはない。
違う位置にいて,違う方向を向いている。
にもかかわらず,というかだからこそというべきか,人は嫉妬する。
僕は,嫉妬というのは,その立場に成り代われなかった,そこに自分がいたらよかったというそのポジションに自分がいない,どうあがいてもそこにいられないということに対する悔しさといっていい。
しかしそもそもそこには自分は立てないことは気づいている。気づいているから,なお悔しい。
その方向を向いていないのに,その方向にいたいと思う,その矛盾が嫉妬を生む。
まあ,悲しい性というか,おのれの方向について無自覚故なのかもしれない。
変えられないことに拘泥するより,変えられることに目を向けたほうがいい。
確かにそうだ。しかし変えられそうもないことを,変えようとして必死になっていくのも人生なのかもしれない。
一念,岩をも徹す,という。あるいは,
虚仮の一念。
僕は変えられないことを諦める小賢しさより,変えられないことを変えようとして一生を棒に振る人間が好きだ。「棒に振る」とは,他人の評であって,本人にとって,ずっとフロー体験なのだ。
そういう生き方がいい。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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