2013年08月02日

執着


拘泥するというとあまりいいニュアンスがない。しかしこだわりというと,少しまたニュアンスが変わる。

何かにフックを掛けられた状態,何かに惹きつけられた状態,そこから心が離れられなくなった状態,といっていいか。しかし悪いこととは限らない。

モノやコトに執着する(こだわる)

ヒトに執着する(こだわる)

カネに執着する(こだわる)

いずれも,自分の想いに執着していることになる。

こだわりにはプラスとマイナスがある。執念も同じ,虚仮の一念といっていい。思いが岩を貫くこともある。

だから,一点集中の良さは,ある意味で,オセロゲームの黒と白の逆転のように一気にひっくり返る。

何かにこだわれば,それは尖がりにもなる。しかしそれが,邪魔して,周囲の変化に気づけず,時代おくれになる。

集中しているから気づけることもあるが,集中しているから,周囲が見えないこともある。

例が悪いが,ストーカー。たぶん自分の想いに振り回されている。思い詰めているので,トンネルビジョンというより,すべての解釈は自分の都合よく変えられている。邪魔をする周囲も,場合によっても,俺のことがわかっていない,と思う。

しかし現象学的に言えば,正しい。人はすべて自分の幻想の中に生きている。見えている現実は人によって違う。いやいや,そもそもクオリア的に言えば,同じ赤だって,同じ色に見えているとは限らない。

執着は,しかし生きるのに不可欠なのではないか。生きたいという思いがなくなれば,食べたくなくなる。動きたくなくなる。いわば,自己完結し,縮小再生産している状態だ。最後には,呼吸するのも面倒になる。

認知症にならない三原則というのを,昔「ためしてガッテン」で言っていた。

脱メタボ

有酸素運動

コミュニケーション

特にコミュニケーションは,脳を自己完結させないためには必要だ。人とのコミュニケーションは,独り言と違って,自分の使わない脳の領域を使わせられる。そういう会話で,眠っていた記憶が引っ張り出される。忘れていた感覚がよびさまされる。それだけで,収斂していた視点が変わり,トンネルビジョンから抜け出すことになる。それには,家族間の,「ふろ」「めし」「ねる」は,コミュニケーションにはならない。脳の固定した機能しか使わないからだ。こういうのを「機能的固着」という。それでは,トンネルビジョンと同じだ。

たぶん,だが,自分が執着していることに気づいていれば,つまりは,自分の執着,あるいは執着する自分を,メタ化できていれば,トンネルビジョンからは抜け出している。

しかしそれが幸せとは限らない。執着が片思いと知った時の切なさは,知らないで,一途に視野狭窄に陥っている,いわばフロー状態近似の心理の方が,幸せかもしれないのだ。

幻と気づかなければ,現はない。執着に没入していることが,必ずしも不幸とは限らない。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





#フロー体験
#クオリア
#現象学
#トンネルビジョン
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posted by Toshi at 06:00| Comment(1) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by バック coach at 2013年09月03日 00:33
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