2013年08月08日
空気感
先日,竹山貴氏のトークライブ,【第3回 アートの世界から学ぶ本当の価値の見つけ方】に参加してきました。
https://www.facebook.com/events/191961177634897/
ライブの途中で,独り言のように,
アートディレクターとしての仕事は,言葉にならない。それを言葉にしようとしている,
と言われた竹山貴さんの言葉が印象深い。
そこには,言葉にならないものを言葉にしなくては,コミュニケーション,まさにトークライブは成り立たない。しかし,そこには,言葉にできないことを無理に言葉にしている,というニュアンスがある。
そこに,強く惹かれた。
それは,あるいは,すべてのコミュニケーションに通ずることであり,言葉による会話の持つ制約と言ってもいい。しかし,言葉にしない限り,それは伝わらない。また意思疎通はできない。
そこで,言葉を「情報」として考えたとき,金子郁容氏が,情報を,
コード化できる情報を「コード情報」と呼び,コードでは表しにくいもの,その雰囲気,やり方,流儀,身振り,態度,香り,調子,感じなど,より複雑に修飾された情報を「モード情報」と呼ぶ。
と分けたことを思い出す。
こう言い換えてもいい。コード化できるものは,コード化出来ないニュアンスや背景,文脈,状況,アナログチックな雰囲気,いわばコンテクストを丸めたものでしかない,と。
確か,作家のマイケル・クライトンは,直接会った人の情報しか信じないと言ったと記憶しているが,それは丸められない雰囲気,文脈を重視しているからに他ならない。
言葉には,言葉にした瞬間丸めた(そぎ落とさざるを得ない)モード情報がある。しかし,そこにこそ価値がある。なぜなら,コードは流通するが,モードは,そのとき,その場,その人に,まつわりついている。
たとえば,ブランディングについても,竹山氏は,
「らしさ」,
ふわふわした,
ファジーな揺れ幅(0から100)
「?」がついている,
と表現した。そうコード化されたとき(こう竹山氏が表現すること自体がコード化になる),消えて行く,というか,そぎ落とされる部分がある。それこそが,ブランディングのコアなのだといっていい。それは,コード化できない,
とき
と
ところ
と
ひと
を限定したものだ。そこにしかない,そのときにしかない,その一瞬の人にしかない何か,そういうものなのだ,と言っている気がする。
また,竹山氏は,人との関係でも,「空気感」を大事にする,という。展覧会でも,そこでどういう「空気」を創るかに腐心する,という。その空気は,マイナスの空気を出さないようにする,こちらの限定した意識(男だから,年上だから等々)をださないようにする,と表現は違うが,「素」としての空気,プラマイゼロの空気を醸し出したいという思いなのだろう。
この「空気感」こそが,たぶん,人には説明できない,竹山氏の醸し出す「らしさ」に通ずる価値観なのだと感じた。
人の記憶には,
意味記憶,
エピソード記憶,
手続き記憶,
というのが,主だったものだが,意味レベルで言えば,誰にとってもほぼ同じ,しかしエピソード記憶(多くは自伝的記憶と重なる)こそが,丸められないその人そのものの文脈・コンテクストにほかならない。
たしか,グレゴリー・ベイトソンは,
情報の1ビットとは,(受け手にとって)一個の差異(ちがい)を生む差異である(のちの出来事に違いを生むあらゆる違い)。そうした差異が回路内を次々と変換しながら伝わっていくもの,それが観念(アイデア)の基本形である。
情報とは,(付け加えるなにかではなく)選択肢のあるものを排除するなにかである。
と言った。そう,差異である。
違いとは,人と同じものではなく,そぎ落としていった先,言葉なんぞでは丸められないもの,それこそが,「らしさ」であるのだろう。
参考文献;
金子郁容『ネットワーキングへの招待』(中公新書)
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』(思索社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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この記事へのコメント
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Posted by アグダコタ at 2013年11月05日 11:43
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