発想に否定はない。
発想にダメ出しはない。
発想に批判はない。
ブレインストーミングに批判がないのは,当たり前で,「ダメ出し」では基本的に,発想できない。「ダメ」ではなく,どうすれば「ダメでなくできるか」「可能になるか」を考える,それが発想だからだ。
当然ネガティブはない。
川喜田二郎氏は,創造性をこう定義した。
本来ばらばらで異質なものを意味あるようにむすびつけ,秩序づける。
異質なものを組み合わせて,そこに意味を見つければいい。
いや,意味さえ見つかれば,何でもつなげていい,ということだ。それに良い悪いも,正しい間違いもない。どれだけ新しい意味があるように組み合わせられたか,なのだ。
くだらないなどと言ってはいけない。客観的に見て,どんなにくだらなかろうと,それはアイデアを練り込んでいく端緒に過ぎない。出発点に過ぎない。そのくだらない(と見える)アイデアが練り込みのきっかけを作ってくれるのだ。
ある管理職曰く,
部下に何かいいアイデアはないかと言ったら,出てきたアイデアがどれもこれもありきたりで…
と。この発言がばかげている理由はふたつある。
第一は,「ありきたり」と言っているのは,その管理職だけかもしれない。自分にはありきたりに見えているというだけのことかもしれないということに,いささかも,本人は思いが至っていないことだ。
第二は,アイデアは完成品が出てくるものと思っていることだ。それなら,あんたはいらない。部下から出たすばらしいアイデアを拾い上げるだけなら,はっきり言ってマネジメントはいらない。
大事なことは,アイデアを自己完結しないことだ。
アイデア自身に閉じ込めない,
自分だけに閉じ込めない,
となると,そこに初めて,一緒になって完成させていくという,プロセスが出てくる。そこでマネジメントが生きる。そこ以外にマネジメントをいかす場所などない。
いいアイデアはないか,
と部下に指示したのは,マネジメントでも何でもない。そんなものは,ただ権力を笠にきて,命じているだけだ。
基本,アイデアにくだらないものはない。
くだらないと決めつけている固定観念(これを機能的固着という)があるだけだ。くだらないかどうかは,まだわからない。ただアイデアを練り込んでいく端緒に過ぎない。それを素材に,どう練り込んでいくか,そこにこそマネジメントの神髄がある。
一緒に練り込むプロセスで,
自分の目指すことがより部下に伝わるかもしれない,
自分自身も,そのプロセスで自分の目指すことと部下の受け止めていることのギャップに気づくかもしれない。
部下の発想スタイルが見えてくるかもしれない。
アイデアを考え出すということはどういうことかを学ぶプロセスになるかもしれない。
そうやって一緒に完成させていくプロセス以外に良いアイデアにしていく王道はない。
アイデアを創り込んでいく鍵は,自己完結させないことだ。
自分の中だけ,
そのアイデアの中だけ,
に。ひらめく一瞬,0.1秒,脳の広い範囲が活性化する,という。それと同じだ。どう多様な人と人とのリンクの中で,それに違う光をあてられるか。
一見くだらないと思えたものが,人と人のキャッチボールの中で思わぬものになっていく,
それが発想というものの神髄だ。そうすることがアイデアの練り込みであり,発想というものだ。
そうなれば,どんな(くだらないと思える)アイデアにも無駄はない。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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