2013年08月18日

思い


人の思いの重さを感じることはないだろうか。

こんな歌がある。

別れても 別れても
こころの奥に
いつまでも いつまでも
覚えておいて ほしいから
幸せ祈る 言葉に換えて
忘れな草を 
あなたに あなたに(「忘れな草をあなたに」)

結構怖い。三番は,もっとすごい。

よろこびの よろこびの
涙にくれて
抱き合う 抱き合う
その日が いつか来るように
二人の愛の 思い出そえて
忘れな草を 
あなたに あなたに

自分の思いについては必死なのに,人の思いに無頓着ということがある。しかしそれに気づくと,結構気疎いというか,重いというか…。

人への思いは,恋でも愛でも憧憬でも嫉妬でも憎しみでも恨みでも,本人にとっては,必然というか,流れがある。しかし,相手にとっては唐突のことが多い。

だから怖いし重い。

それは妙に長く続く。相手の中で底流のように伏在し続け,あるとき,ふっと噴出したりする。

がさつな僕自身には,艶めいた話はほとんどないが,微妙な恨みはいっぱい買った。

ただ自分は無頓着なので,それに無自覚な分,余計に相手に思いが募るらしい。いつぞや,ずいぶん昔のことを,

君は人の心に一杯ひっかき傷をつけた…!

と言われた。昔のことだ,笑い話なのかもしれない。しかし,そのとき,十何年ぶりかで再会したそのときに,そう言うということは,ずっと底流していた思いが,僕の顔をみて,ふいに引き出されたという言い方もできる。

僕にも同じように底流する思いはある。しかし,そういう相手に生涯で二度と会うことはない。というか,会いたくはない。会う機会があっても,たぶん合わない選択をするだろう。それも,思いの錘りが,僕を引きとめている。

それに向きあえ

という人がいる。

いいのですよ,大なり小なり,人はそういうさまざまに輻輳する思いを持っている。そのすべてを明るみに出したところで,人生が画期的に変わるわけではない。僕に大きな変革が起きるのでもない。いつも思うが,過去にエンジンはない。

君は過去に蓋をしている,

とかつてある心理系の人間に言われたが,当たっていなくもない。僕は過去を振り返ることで,未来への道を拓くという発想を取らない。過去が足を引っ張っているのではない。今,いまの問題に躓いている自分がいるだけだ。ひとは,いまを生きている。過去に囚われている人は,過去を生きている。過去を生きている人は,いまを生きていない。

いまに,すべての鍵がある。

いまを突破しなくては,未来はない。それができた瞬間,過去は別の光に照らされるだろう。いまの暗いスポットライトで照らされているのは,因果関係という物語に拘泥する暗い物語だ。しかしいまが,輝く時,その輝くスポットライトに照らし出されるのは,オルタナティブな自分の物語だ。

自分の物語を決めているのは,いまの生き方だ。

僕はいまの思いを大切にする。

いま好きな人は,いまのその人であって,過去の影ではない。いまの思いが,過去の思いを変える。まるで,過去からそう決まっていたような,因果関係の物語が見えてくるかもしれない。

しかしそれは所詮物語に過ぎない。次のいまの思いの中で,また別の物語が生まれるだろう。

結局人は自分の物語を生きる。その物語を生涯かけて完成するしかない。

そう,他人の思いに振り回されないでいいのだ,と思う。人はおのれの物語の中で,おのれの思いを紡ぐ。僕は僕の物語の中で,僕自身の思いを紡ぐ。もし二人の思いが重なれば,ふた色の糸で,一緒に物語を紡げばいい。

現象学的に言えば,所詮,人の見る現実は幻に過ぎない。それは自分の目にしか見えないうつつなのだ。その限りで,ゆめもうつつも,境目はない。




今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

#現象学的
#思い
#物語
#オルタナティブ






posted by Toshi at 06:15| Comment(0) | カテゴリ無し | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください