横須賀美術館に行ってきた。『日本の「妖怪」を追え!』。この時期,横浜そごうでも似た企画をしていたし,その他いろいろ妖怪ものばやりのようだ。
http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/kikaku/1302.html
妖怪と幽霊は違う,
と大真面目に論じていたのを,どこかで読んだ記憶があるが,思い出せない。どうも花田清輝の口ぶりっぽく記憶にあるが,当たってみた『室町小説集』にはなかった。
記憶で書くので,間違っているかもしれないが,確か,つくも神の話だったように思う。使い古して捨てられた道具が妖怪になる,というような。そのつくも神に,惹かれた。
百鬼夜行の当て字で,百器夜行
つくも神とは,
付喪神,は当て字で,正しくは「九十九」と書き,この九十九は「長い時間(九十九年)や経験」「多種多様な万物(九十九種類)」などを象徴し,また九十九髪と表記される場合もあるが,「髪」は「白髪」に通じ,同様に長い時間経過や経験を意味し,「多種多様な万物が長い時間や経験を経て神に至る物(者)」のような意味を表すとされる,
とある。
まあ,日本の民間信仰において,長い年月を経て古くなったり,長く生きた依り代(道具や生き物や自然の物)に,神や霊魂などが宿ったものの総称で,荒ぶれば(荒ぶる神・九尾の狐など)禍をもたらし,和(な)ぎれば(和ぎる神・お狐様など)幸をもたらすとされる。
「付喪」自体,
長く生きたもの(動植物)や古くなるまで使われた道具(器物)に神が宿り,人が大事に思ったり慈しみを持って接すれば幸をもたらし,でなければ荒ぶる神となって禍をもたらすといわれる。ほとんどが,現在に伝わる妖怪とも重複する,とされる。
つまりは,親しみ,泥んだものや人や生き物が,邪険にされて妖怪と化す,というわけだ。どうもそれはものや生きもの側ではなく,こちら側の負い目や慙愧の念に由来する影に思える。
妖怪とは,
物の本質をかくし,その本質を変えて,不思議な姿に化けるもの,
という定義がある。江馬務は,「妖怪変化」について,
〈妖怪〉は得体の知れない不思議なものであって,〈変化〉とは外観的にその正体を変えたもの,
と,妖怪と変化を区別した。僕は,妖怪が人にわかるような,あるいは驚かすためのさまざまな姿形に変えて出現するのを変化 と呼ぶのだろうし,だからお化けというのだろう。まあ,ともかく,こうした妖怪を図にして,いまの水木しげるにつながるのが,鳥山石燕で,横須賀美術館の展示も,石燕の,『画図・百鬼夜行』から始まる。
しかし妖怪を怖いというより,哀れさというか,同情を禁じ得ない。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11022966.html
でも書いたように,よく退治の対象となる鬼や狒々,魔物,妖怪は,
ひとつは,神楽の鬼のように,来訪神のような存在。これは,里に対して,山の世界,里にとっての外部としての山の世界,つまり異界性を反映している。
いまひとつは,世界の周縁に存在し,向こう側から現れるものの存在によって,逆に,自分たちの立ち位置が中心であるとする認識を支える役割を果たす。地理的には,東北であったりする(その位置はどんどん北へ移動していく)が,もうひとつ,身近な洞穴であったり,木のほこらやを入り口とした,冥界であったり,竜宮城であったりという,異次元であったりする。
今日のように,世界がひとつにつながり,かつて内と外を隔てていた境界線がなくなり,公と私も,国内と国外も,リアルとバーチャルも境界線があいまいになっていき,一面均一の「いま」「ここ」だけがある,とこんな言い方をされる。別の言い方をすれば,グローバル化,インターネット化で世界は一つになった,と。
どうも,そういう単層の,均一の世界に,われわれは耐えられないのではないか,という気がする。かつて以上に,心霊現象やパワースポット,幽霊や祖霊が信じられるようになっている。
三百年平和な時代が続いた江戸時代に,妖怪ブームがあったのは,何も浮世絵,読み本という表現手段があったばかりではないのかもしれない。
参考文献;
阿部正路『日本の妖怪たち』(東書選書)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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