2013年08月21日

NVC


マーシャル・B・ローゼンバーグ『NVC』を読む。

かつて我が国に,襲撃してきた軍人に,

話せばわかる!

と叫び,

問答無用!

と射殺された首相がいた。不謹慎ながら,ふいにそれを,思い出した。

基本,コミュニケーションで解決できるのは,コミュニケーションレベルに過ぎない,再三書いているのは,このイメージがあるからだ。政治的課題,社会的課題,地球規模の課題は,コミュニケーションの問題ではなく,仕組みやシステムや制度の問題だ。そのためにコミュニケーションが不可欠なのはわかっているが,それは,関係性の枠のなかでのコミュニケーションとは別次元の問題だ。

パレスチナ人とユダヤ人がコミュニケーションすることで,イスラエルという国とパレスチナという国の政治的課題が解決することはないし,未だかって解決できていない。それはレベルの違う話だ。

しかもそのコミュニケーションが機能するためにすら,曲がりなりにも,両者(あるいは関係者)がその土俵に乗るという意志と思いがなければ,成り立たない。土俵の有無が,コミュニケーションのスキルを論じる前に,コミュニケーションを機能させる前提になる。

『NVC』で語られている例は,ふたつの例外を除いて,ほとんどが,そういう土俵があるか,土俵が設えられるということが,暗黙のうちに前提にされている。問題なのは,その前提をどうつくるか,だ。それが,上記で言った,関係性の枠という意味だ。そのことについては,本書では一切語られていない。舞台の上で演じているのに,その舞台がないかのように,NVCのプロセスを語るのは,フェアではない。コンテクスト抜きのコンテンツは,黄身だけ剥き出された趣だ。

この本の枠組みについての印象から入ったのは,そこを抜きにしては,コミュニケーションレベルでさえ,解決できないと信ずるからだ。家族や友人,同僚は当然だが,ギャングだって,そこにコミュニケーションの土俵を設えている。設えてなければ,冒頭の「問答無用」になる。

そこで,具体的に考えるために,NVCプロセスを例示してみる。

NVCプロセスの構成要素は,次の四つだ。

・自分の人生のしつを左右する具体的行動の「観察」
・観察したことについて抱いている「感情」
・そうした感情を生み出している,価値,願望,「必要としていること」
・人生を豊かにするための具体的な行動の「要求」

これを,具体例を挙げて考えてみる。ただし,後でアサーティブ・アプローチと対比するために,例を,いつも厳しく叱責し,大声を出す上司に対するアプローチとしてみる。

●第一構成要素は,観察。評価を交えず観察する。
上司は,指示されたことを提出すると,間違いを次々と指摘し,赤字で訂正を加え,大声で,いったいいつまでこんな初歩的なミスを繰り返すのか,いい加減にしてくれ,と怒鳴る。指示された案件が,無傷でOKをもらえたことは一度もない。

●第二の構成要素は,感情を見きわめ表現する。
あなたに指示案件を提出するたびに,びくびく怯えています。たまた大声でどなられるのではないか,と提出する時間をぎりぎりまで先延ばししてしまいます。

●第三の構成要素は,自分の感情の底に何があるのか,を見きわめる。上司の否定的なメッセージを受け止めるには,4つの選択肢があると,NVCでは考えている。
 1.自分自身を責める
 2.相手を責める
 3.自分の感情と,自分が必要としていることを感じ取る
 4.相手の感情と,相手が必要としていることを感じ取る
ここで,自分の感情は,怯えと恐怖。再三の叱責で自己嫌悪に陥っている。

自分が必要としていることは,この間に自分が上司の求めているレベルの100とはいかないまでも,かなりの程度質が上がっている,その自分の成長を認め,君の仕事で助かっている,あるいは,役に立っていると,承認してほしいということ。

上司は,自分の仕事のレベルに苛立っている。上司が必要としていることは,いい加減,こんなことで俺に手間をかけさせないでくれ,早く一人前になって,俺を楽させろ,俺にはチーフとしてやらなくてはならないことが一杯ある,こんなことで俺のチェックリストが不要になるくらいの一人前に成長してくれ。

●第四の構成要素は,人性を豊かにするための人への要求である。

「チーフが僕の成長がのろいのに,いらだっておられるのはよくわかります。自分ももっと的確に指示を摑むよう,指示をいただいたその場で,指示内容をきちんと把握するようにして,指示についての遺漏をなくすように努力します。チーフにお願いは,より自分が成長し,チーフの手がかからないようにするために,前より少しでも良くなっている部分はお認めいただけると嬉しいです。それて,もう少し穏やかに教えていただけると,受け入れやすいのですが…」。

最後に,自分の要求について,上司に,伝え返しを求める。

「僕のリクエストについて,どのようにどのように受け止められたのか,率直にフィードバックをいただけると嬉しいです」。

以上が,僕の受け止めた,NVCのラフなステップだ。

アサーションでは,LADDER法やDESC法があるが,いずれも,事実を描写することが重視される。後述するアサーティブ・アプローチでも,事実を重視する。たとえば「傲慢」というのではなく,「いつ,どこで,何をした」ことが自分に傲慢に見えたかが語られること。その意味では,NVCも同じだ。

さて,次に,上記のNVCプロセスと対比するために,アサーティブプロセスを以下に紹介する。

アン・ディクソン『第四の生き方』,森田汐生『「NO」を上手に伝える技術』を参考に,あくまで,僕の理解に基づいてアサーティブ・プロセスとして展開したものだということをお含みいただきたい。

上位者にいつも厳しく叱責されている部下という立場での,僕流のアサーティブ対応プロセスは,

1.土俵を共有する 
セットアップである。「ちょっとよろしいでしょうか」「少しお時間いただけますか」など,いまから話をしたいという土俵を相手と共有する。
2.自己開示する
自分の今の気持ちを正直に伝える。「言いずらいんですが……」「どう申し上げていいか迷っているんですが……」「どきどきしているんですが……」という言い方をすることで,相手の身構えを緩める。
3.事実を伝える
ここは,相手を持ち上げたり,感情を交えるのではなく,「いつも大声で叱責されるのですが」「いろいろ細かな気配りをいただくのですが」など,事実,起こっていることを表現する。ここで,「いやなんです」という感情から伝えては,相手は受け入れにくい。
4.感情を言語化する
ここは,その事実に対して,自分がどう感じてきたか,を率直に伝える。「大声を出されるたびにびくびくして
おびえていました」「ちょうど何かしょうとするたびに先回りされた気がしていやでした」等々。
5.望む変化をリクエストする
率直に,どうしてほしいか,どうなりたいかを伝える。「~したい」「~してほしい」「~してほしくない」「~してはどうでしょうか」。ただ,いくつも要求を羅列するのではなく,ひとつ,しかも的を絞る。あわせて,それを放置した自分の責任はきちんと伝える。「もっと早くお伝えしないでいた自分にも責任があります」「迷いに迷って言いそびれてしまった私も悪いと思います」等々。
6.相手の反応を求める
自分が言ったことについて,相手がどう受け止めたかをきちんと聞く。自分の主張を理解してほしいなら,相手も理解将とする姿勢がいる。
7.繰り返す
自分のしてほしいことをもう一度,きちんと整理して伝える。相手の反論や感情的反発にふりまわされることなく,自分の主張を繰り返す。
8.会話を終了させる
相手にうんといわせるまで主張するのが目的ではない。それでは,立場が代わっただけで同じコトをしていることになる。相手に考える時間を与え,選択の余地を残す。「聞いてくれてありがとう」「ぜひ心に留めておいてください」「2,3日後に話す時間をつくってください」

かなりNVCアプローチとアサーティブ・アプローチは重複している。重なる部分も少なくない。しかし微妙だが,両者には重大な差がある。その差は,

ひとつは,両者の間に土俵をつくろうとするかどうかだ。土俵がないところでは,共有も,共感も難しいと僕は思う。

いまひとつは,そのアプローチが,

人は分かりあえる,

ということを前提にしているのか,

人はわかりあえない,

を前提にしているのかの違いだ,と僕は思う。

わかる,というのはこちらがそう受け止めた,そう理解したということであって,言葉レベルでフィードバックしあったところで,相手のすべてがわかるわけではない。とりあえず,

仕事をうまく進めるために,

両者の関係を崩さないために,

両者のつながりを保つために,

等々限定はいろいろあるだろうが,「理解」するたびに,微妙にこぼれていくものがある。そのことを分かっているかどうかの差だ。

僕は,「わかる」とは,

お互いが分かりあえないことがあることを分かりあう,

ということだと思っている。あるいは,

自分にわかる部分しかわからない,

ということだと言ってもいい。

この差は大きい。傲慢さを感じたのはここだが,もっとあけすけに言うと,鈍感さといってもいい。

どんなに話しても,

どんなに言葉を交わし合っても,

お互いに分かりあえない部分があるという悲しみ,切なさがあるから,

話す,

のと,わかりあえると思い込んで,

話す,

のとでは違う。「わかりあえる」と思っていれば,なぜ分かりあえないか,わかりあえない原因を探していくことになるだろう。それはまた別の物語をでっち上げ,両者の齟齬を増やすだけだ。

それはつまらなくないか?いや,それよりなにより,

それでは人のもつ奥行きを軽視していないだろうか?

分かりあえない悲しみということがわからなければ,人というものがわかりっこない。

その眼で見ると,NVCのプロセスには,そういう鈍感さがある。まだしも,アン・ディクソンのアサーティブには,その心の陰影がある気がする。

分かりあえる部分でしかわかりあえない,

だからこそ,一生かけてお互いが分かりあおうとする。しかし,わからないことと,信頼は別だ。わからなくても,信頼はできる。言葉に尽くせなくても,その立ち居振る舞いだけで,十分信頼はできる。

なお,わかりあえないことについては,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/10996546.html

ですでに触れた。


参考文献;
マーシャル・B・ローゼンバーグ『NVC』(日本経済新聞出版社)
アン・ディクソン『第四の生き方』(つげ書房新社)
平木典子『アサーション・トレーニング』(金子書房)
平田オリザ『わかりあえないことから』(講談社現代新書)
森田汐生『「NO」を上手に伝える技術』(あさ書房)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





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posted by Toshi at 04:47| Comment(0) | コミュニケーション | 更新情報をチェックする
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