2013年08月31日

関わる


「関わる」というよりは,「つながる」ための関わり方だったように思うが,関わり続けることで,結果としてつながりができる,というニュアンスで,関わるをテーマにしてみた。

先日,現代朗読協会主催の「水城ゆうの共感的コミュニケーション勉強会」に参加した。

https://www.facebook.com/events/649409725072178/

ベースは,NVCである。案内には,

共感的コミュニケーションはアメリカの心理学者,マーシャル・ローゼンバーグによって提唱され体系化されたNVC(Nonviolent Communication)を,いくらか噛みくだき,とくに言葉使いなどを日本人にも使いやすくすることを目的に,水城ゆうが整理したものです,

とある。NVCについては,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11284895.html

で触れた。そのとき,アサーティブのプロセスとの対比を述べたが,実際にやってみた気づいたことは,プロセスのパターンは似ているが,実体は真逆ということだ。

それを中心に,いくつか疑問を整理しておきたい。

水城氏は,「共感的コミュニケーション」つまり,NVCの目的は,自分自身とおよび誰かとつながることだ,と言われた。そのためには,

まずは自分のいまの状態を丁寧にみる(向き合う)こと,

自分の感情をなかったことにせず丁寧に拾い上げる(向き合う)こと,

自分自身の大事にしていること(ニーズと呼んでいる)に向き合うこと,

そのことが,相手に対しても,その状態,感情,ニーズに敏感になる,という。それはよくわかる。

基本ステップは,前回述べたのと同じだか,水城氏が一部改訂している。すなわち,

1.事実(観察) ただ起こった事実に,判断,感情抜きに注目する
2.表現 そのとき自分の中に怒ったことを表現してみる
3.感情 どんな感情が生まれているのかを確かめる
4.価値 その感情はどんな価値が満たされたか,損なわれたから生まれたのか,必要なことは何かを確かめる
5.行動 自分の大切なことを撚り大切にするために何をしたらいいか

を,自分に,あるいは相手に問いつづける。

ひたすら矢印は相手に向けている。相手に向き合っているときは,ひたすら,自分は棚に上げて,相手に問いつづける。

言ってみると,相手自身の話題について,

相手自身の感じたことは何か,

相手自身の大事にしていねことは何か,

をひたすら,聴きつづける。こういうこと?こういう感じ?大事にしているのは何?ただ相手そのものについて,関心と興味を持って聴きつづける。話題は,相手自身,相手というのテーブルの上で,ひたすら,相手の心の中にあるものを確かめていく。

極端に言うと,シカとされても,問い続ける。その場を立ち去られても,その立ち去った人のニーズは何かを推測する。それを次に会ったときにつなげていく。それは相手ではなく,こちら側の関わりつづけようとする意志ということである。そこにあるのは,

矢印を相手に向けつづける,

相手とつながろうとしつづける,

ということだ。

アサーティブと真逆というのは,アサーティブは,相手に自分の感情を伝えようとする。だから,初めに,相手に乗ってもらう土俵がいる。

NVCは,相手のことを聴きつづける。したがって,土俵は,相手自身,相手の話題自身,相手の感情自身,浮いてのニーズ自身になる。

矢印が真逆だ。そう,だから,傲慢と感じたのは,当たっている。相手がどうあろうと,自分の関心や興味で関わりつづける,相手がそのことでどう受け止めるかはともかく,こちらは,相手に関心と興味があれば,つながりたいという姿勢を貫く。これは,いわば,つながりの押し売りでもある。だから,

つながりたくない人には,矢印を向けない,

と。

そのプロセスが,聞いてもらっていると相手に伝わるのはよくわかるし,そのことで,自分のことを伝えやすくなる(回路が開く)のもよくわかる。しかし,疑問が二つ涌いた。

第一は,「ねばならない」ではなく「したい」でなくては人生つまらない,と水城氏は言った。正直,また出たと思った。心理系の人は,多くこういう言い方をする。価値につながっていないことをしない,という趣旨だと思う。

しかしそうか?

これについては,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11184445.html

で触れたことがある。

灑埽応対からはじめて、窮理尽生に至る,

と。つまり,礼は,掃除,人との応対から始まり,物事の心理に至る,とも言う。

ところで,コミュニケーションのタイプについて,国分康孝氏と大友秀人氏が,

単に,指示命令したり,業務に関わる情報交換といった,ソーシャルリレーションレベルの

関われる能力(責任・使命からの役割行動。國分氏らは,つきあい能力としている)

と,ときに,新しい仕事への不安や自信がないためのおびえについても,理解し,励ましたり,サポートしたりできる,パーソナルリレーションレベルの

ふれあえる能力(感情交流,自己開示)

の両方が欠かせないと,言っていた。二人の主張はカウンセリング・マインドには,ともすると感情レベルに重きを置くが,ソーシャルレベルが欠かせない,という趣旨であった。

何を言いたいかというと,人は,したいことだけしているわけにはいかない。すべきことがある。しなければならないことがある,という当たり前のことを強調したい。

僕は,しなくてはならないことを本気でやったことのない人間のしたいことなど,浮ついて,信じられない。僕の知っている限りで断言するのはどうかと思うが,したいことにこだわるヒトの多くが,ヒトとしてしなければならない何かを置き忘れている人がいる。それはヒトにって違うので,大事な片付けができない,ヒトとの約束をたがえる,時間にルーズ等々。些細なことだが,そういう小さなことからの積み重ねの上に,しなければならないことがある。ヒトには,社会的なかかわりの中に,居場所がある。そこ抜きでは生きられない。そこでしなければならないことは,役割かもしれないし,責務かもしれないし,義務かもしれないし,責任かもしれない。我慢ししてやれと言うつもりはない。大事を大切にするものは,小事も疎かにしない。その重みのわからないものは,誰にも相手にされない,ということだ。

そのあたりは,別にまた論ずるが,したいことが大事なのではない,

あなたは何をするためにそこにいるのか,

それはその意味と目的にかなっているかだけだ。そこに価値があるはずだ。それ抜きで,したいとかしたくないとか,そんなレベルのことを言っている人間は,信用できない。

第二は,ニーズだ。ニーズを満たすと,別のニーズが出て,それを見たすと,と掘り下げていくと,最終的に本人のコアの価値にたどりつく,という。これはちょっと疑わしい気がした。「ニーズ」という言葉にあまりにも多くの意味を含めすぎて,矛盾をきたしているように思える。

CTP(コーチ・エイのコーチ・トレーニング・プログラム)のテキストでは,ニーズと価値を区別している(僕の学んだ2004年頃のものでは)。

(物理的ではなく,内面的)ニーズとは,

自分らしくあるために必要なものであり,自分が良い状態にあるために必要不可欠なもの,

とし,ニーズが満たされないと,いらいらしたり,焦ったり,不安になり,ニーズを満たす行動をとってしまう。しかし,

こういうエネルギーは健全なエネルギーではなく,一度ニーズが満たされてしまえば,それで完了してしまい,引き続き行動を起こさせる原動力にはならない。

問題の多くは,ニーズに無自覚なこと,自分のニーズに気づければそれは満たすことができる。ただニーズは一時的,時間や環境によっても変わる。

では価値は,

人が自然に惹きつけられる行為や活動を指し,その人が努力せずゴールを立てることもなく,行動できるもので,その人が夢中になり,いくら時間を費やしてもいいと感じるような活動,興味の対象,その人の質の高い健全なエネルギーを引き出す。そのとき,人は最も自分らしくいられる。

ニーズと価値は,それぞれのリストを見ると,重複するところが結構あるが,違いは,充たされたら,それで終わるかどうかだ。価値には,そういう感覚はない。無尽蔵の容量を持っている。

だからニーズを掘り下げても,あくまでニーズであって,価値にはならない。

価値を妨げているのは,

充たされないニーズ,すべきこと,妥協,未完了,ストレス,お金,義務,

等々とある。ニーズを満たすことは,価値に気づく心の余裕が生まれるかもしれない。しかし,必ずしも,ニーズが満たされるとその先に充たされないものがあり,それが満たされると,という重層の流れにはならない気がする。

この辺りは,まだ探求途上だが,小さな違和感は全体への不信につながる。すべては人そのものに関わる。


参考文献;
国分康孝・大友秀人『授業に生かすカウンセリング』(誠信書房)
コーチ・エイ『CTPマニュアル』(コーチ・エイ)


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





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posted by Toshi at 05:29| Comment(3) | カウンセリング | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by シャネルバッグ激安 at 2013年12月14日 16:18
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Posted by ejwwmvmxmg at 2013年12月14日 16:21
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Posted by シャネル ?財布 人気 at 2013年12月14日 16:28
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