無邪気
よく無邪気と言われる。
素直とも言われる。
好悪がはっきりしている,とも言われる。
子どもっぽいという意味かもしれない。あるいは,大人になっていないという意味かもしれない。
でも考えようによっては,奥行きがない,見えるまま,ぺらぺらということでもあるし,
無防備ともいえる。
しかし,考えようによっては(自分でリフレームするなら,),自己開示している,ともいえる。僕はこういう素直さは大切にしたい。といって,できないことが多いが,
まずシャッターなしに受け入れる。
色眼鏡なしに聞く耳を持てる。
それができればできるに越したことはないが,そういう大人の分別さが嫌いなのだ。
わきまえもいらない。
分別もいらない。
小賢しさもいらない。
嫌いなものは嫌いであり,好きなものは好きなのだ。
だから子供っぽい。
無邪気な好奇心がいい。
それが直感を鋭くするような気がする。
ただ素質だけで感じ分けられるものはたかが知れている。いわば,思い込みと大して変わりはない。言ってみれば錯覚である。
言葉は悪いが,ストーカーの錯覚,思い込みと大した差はない。いわば,自分の視角しかもてていない。自分の視野は自分だけにしか見えないものだ。人も同じように見えていると思っては大間違いだ。その視野で見えたものを唯一と信じ込めば,ストーカーになる。
違う視角というと,知識や経験というのもある。それが,ものごとに距離を置いてみさせる。ある意味広いパースペクティブをもてる。しかしそれも相対的なものだ。地べたを這うような視角であることは,似たり寄ったりだ。
ではあとは何か。たとえば,神の視点というのがある。これは別に俯瞰する視点ではない。地球を外から見るような視点は,知識の視点であって,神の視点ではない。
全く別の世界から,こっちを見るという感覚だろう。僕はこの視点を持ったことも感じたこともないので,あくまで想像だ。
たぶん,たぶんとしか言いようがないが,相手の心の世界を俯瞰する。あくまで(ロジャーズの言う,あたかもas if)だから,幻想かもしれない,錯覚かもしれない,すれすれのところなのではないか。相手が違うと言えば,全く幻を見ただけになる。
しかしそれはそういう視角を持てるということで,その視角が自分に対しても持てるかというと,たぶんできない。その視角を取ろうとした瞬間,自分についてのさまざまな思い,感情が,視角に迷いをもたらし,自分の期待や不安を見てしまう。
自分のことはわからない。
だからひとからのフィードバックが必要なのだろう。
直感もまた,そういうフィードバックと思えば,さまざまなタイプがあることは,プラスになる。
今日のアイデア;
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#直感
#フィードバック
#ロジャーズ
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