2013年09月04日

書く


普通何かがあるから,それを書く。しかし,それではつまらない。人と違うことをしなくては,自分を表現したことにはならない,そういう思い込みがある。だから,(書くことがない場合でも)何もなくても,何かを必ず書き出し,書き切る。そのために,僕は,試みに,お題を決めて,そこから何が書けるかにチャレンジしている。

その言葉から,何が出てくるか,言葉自身から何かが広がることもある。その言葉に感応して自分の中から何かが出てくることもある。しかしさっぱり何も出ないこともある。それでも,ペンディングにして,そのまま置く。置いたことも忘れることもある。いつか,違う形でぽっと浮いてくることもある。

書くとは,編集である,と思っている。

アイデアを考えるのと同じである。アイデアは,まったく違う格納庫におさまった,記憶の中の何かが,全く別の格納庫の何かとリンクすることで,ぱちぱちとはじけて,結び付く。格納庫(といって場所を指しているわけではないが)は,大きくは,

意味記憶

エピソード記憶

手続き記憶

となる。

ひらめいた瞬間の脳は,広範囲の部位が活性化する,という。わずか0.4秒である。それがアイデアのも既存の要素の結びつき,あるいはバラバラの要素が意味あるようにつながる,あるいはつながってある意味を作りだすということの意味だ。意味が意味と結びついただけでは,何も生まない。意味の応用に過ぎない。しかし,意味に,全く異なるエピソード(体験)が結びつくと,ひらめく。

編集とは,自分の持っているリソースのつなぎ合わせである。もちろん,アイデアは自己完結してはいけないので,誰かとキャッチボールする必要はあるが,端緒は,自分の中から泡のように,浮かんでくる。

その意味で,書くというのを,そういう編集の一端として見る,何が出てくるかは,わからない。しかし,何かが出てくるはずだ。自分の中にある何かを,意識しているもの,無自覚のもの,無意識のものを言語にしていく。

意識の流れは,言語化のスピードの20~30倍と言われている。

言語か出来るのは,ほんの1/20か1/30なのだ。一つのことを言語化しても,そのほかにもまだ言語化しきれないものが残る。そこが面白い。徹底的に言語化してみなくては,自分のリソースは見えてこない。

その釣り針役にお題を立ててみている。書くことが編集なら,自分の脳のなかにあるものを,つながらせるためのきっかけに,どんな大物がつれるのかを試みる。単なるゴミかもしれないが,それもよしとする。

辞書で,語句を拾ってみることも考えたが,それでは僕に必然がない。で,お題も,浮かんでくるのを待つ。それが,いま,浮かんでくるには,浮かんでくる理由が,たぶん,僕の中にある。その機を大事にしたい。

柳生宗矩が,兵法書で,こう言う。

物ごとに体用(たいゆう)ということあり。体があれば,用がある也。機は体也。機から外へあらわれて,様々のはたらきあるを用という也。

機とは即ち気也。座(居場所)によって機という也。心は奥也。気は口也。…心は一身の主人なれば,奥の座に居るものと心得べし。気は戸口に居て,心を主人として外へはたらく也。

言ってみると,おのれの心を引っ張り出し,言語化する。その瞬間の機によって,そこから見える世界は,変わる。

昔,何かで,

文体は人を表す,

というようなことを読んだ記憶がある。単なる文章の彫琢を言っているのではない。その人の人柄を表すのは,当たり前で,その先に行かなくてはならない。おのれの語りたくないことも,語りだすうちに語ってしまう,そういうのを本当の意味の心の言語化だと思う。

文章を書きだすと,たとえば一行書きだすと,その瞬間に,文章の描き出そうとする世界が広がる。それは,もはやリアルの世界を描写しているのではない。虚実皮膜というのとはちょっと違う,嘘を,虚構を書こうとしているのではない。

しかし,人は,いろんな自分があり,その自分のひとつが,自動的に動き出す。そうなったとき,文章化,一つの完結に向かって動き出す。起承転結か,序破離か,ともかく一つの結論へと流れていく。

その自分の流れから鑑みると,六層あるという大脳皮質のコラムの,どこかから始まって,自分の思いもかけない記憶の層とリンクして,つながり始め,ひとつの連結を生む。しかしリンク自体が,ハイパーにまた別のリンクとつながりを生み,思いもかけない世界を書き出せる,ということもある。そこが,面白い。

それを,書く次元と呼ぶ。どの次元になるかは,自分でも,わからない。書き出すとき,いくつかのキーワードとキー世界が見えているが,書き始めると,それは棄てられてしまうこともある。

ある意味で,自分のリソースの探検なのかもしれない,書くという行為は。いわば,書くということの,

遊び心,

と,呼んでもいい。軽やかに,言葉と立ち結び,紡ぎ,何かが織り出されていく。織り柄は,書きあがるまで本人にだって見えない。それが理想である。

いま,そのチャレンジに,自分の「書く」ということの伸び白のひとつを見つけている。


参考文献;
柳生宗矩『兵法家伝書』(岩波文庫)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 05:22| Comment(1) | 表現 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by ロレックス デイトナ at 2013年10月24日 02:21
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