2013年09月09日
経験
人は経験しているが,日々時間の流れの中で,忘れていく。それでなくても,8時間後には,学んだことの半分ないし,3分の1は忘れていく。
人によっては,とても口では言えないくらいのドラスチックな経験をしたり,すさまじい冒険をしたりしている。
僕は経験が非日常的だから,そこに価値があるとは思わない。所詮非日常は非日常だ。冒険家だって,社会へ復帰すれば,ただ日々食うために生きて行かなくてはならない。
大事なのは,そういう何げない日常の積み重ねだって,経験だということだ。
悩んで底の底まで味わい尽くした人が,必ずしも素晴らしいことを会得したとは思わない。それは,その人が,普通の人なら凹みもしないことに凹んだだけのことだ。凹まない人にとっては,軟弱な悩みに過ぎないかもしれない。
どんな経験も,結局その人にしか役には立たない。その人が自分の経験を生かすも殺すも,それを貴重なリソースにするか単なる過去の思い出にするかは,自分の経験をどうメタ化したかにかかっている。
他人にとってどんな意味も価値もないものでも,自分が生きていく上で,大事なリソースなのだ。
例えば,とことん失恋で悩んだとしよう。しかしそれ事態は,大なり小なり,誰でもが体験することのひとつに過ぎない。その体験から,
何を得たのか,
何を学んだのか,
そこに自分のどういう特徴をみたのか,
(男女に限らず)人との関わりにおいてどういう発見があったのか,
そこで何が大事で,
何に価値があり,
どんな意味があるのか,
等々。そこで必要なのは,「人とは」とか「恋愛とは」とか「男女関係とは」と,一般論を語ることではないし,そこで分別や人生訓を得ることでもない。
人の発想とは,
知識と経験の函数,
という。大事なのは,良かれ悪しかれ,そこに自分のリソースのすべてが出たということだ。人は,経験から類推したり,延長したりして物事を推し量る。それなら,元のメジャーができていることだ。
もっと言えば,イマジネーション自体,その人の意識にないものはイメージできない。
蟹は甲羅に似せて穴を掘る,
という。それは悪い意味ではない。そこにしか自分らしさ,自分の個性,人と違う何かは,ない。
ならば,徹底的に自分らしさを突き詰めていく。それが一番手っ取り早い。
自分は,この世に一人しかいない。という意味は,そういう可能性がある,というだけの,蓋然性を言っている。
自分を掘り下げるとは,自分の経験をメタ化し,それを広げ,掘り下げていくことだ。そこが,
自分になる,
ための,金城湯池なのだから。
人生は,生涯を懸けて,
自分自身になっていく,
そういう舞台なのだ,と思う。いくつになっても,伸び白は残っている。
今日のアイデア;
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この記事へのコメント
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Posted by アグブーツ at 2013年11月05日 11:41
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