2013年09月14日
人間原理
佐藤勝彦『宇宙は無数にあるのか』を読む。
佐藤勝彦氏は,インフレーション理論の提唱者の一人だ。その彼が,宇宙論の潮流である,「人間原理」との対決をしているところが,見どころか。
イギリスの天文学者,マーティン・リースは,この宇宙を成り立たせている6つの数を挙げている。逆に言うと,その数値が違っていれば,宇宙のあり方がいまとは違っている,ということになる。
第一は,N。電磁気力を重力で割った比のこと。もしNが10の30乗,つまり重力が現実の100万倍だったら,天体はこれほど大きくなる必要はない。その場合,微小な虫でさえ,自分の体を支えるために太い脚を持たなければならない。それよりおおきな生物が生まれる可能性は皆無となる。つまり,われわれが存在するのは,重力が弱いおかげということになる。
第二は,ε(イプシロン)。太陽の中では,二個の陽子と二個の中性子が融合してヘリウムの原子核が作られる。融合の前後では質量が異なり,ヘリウムの方が軽い。この質量の軽くなる度合いを示すのがε。それは,0.007。しかしもしこれが,0.006未満なら,陽子と中性子がくっつきにくく,宇宙は水素だけの世界になる。0.008より大きかったら,中性子なしに陽子がくっつき,複雑な元素はできにくく,やはり生命は生まれない。人間が生まれる宇宙は,0.006から0.008の間に収まっていなければならない。
第三は,Ω。宇宙が減速膨張するのか,加速膨張するのかの鍵を握る数となる。現在宇宙は加速膨張しているが,やがて膨張から収縮することになる。そうなると,遠い将来,一点で潰れる(ビック・クランチ)ことになる。そうでなく膨張し続ければ,あらゆる物質が素粒子レベルでバラバラになり,引き裂かれる(ビック・リップ)。潰れもせず,引き裂かれず原則膨張し続けるには,宇宙の全物質の重力と膨張を後押しするエネルギーの力関係で決まる。重力が膨張エネルギーを上回れば収縮し始める。その境界線が臨界密度(Ω)。この密度は,宇宙が平坦になる密度ということになる。もしΩが1より大きければ(物質の密度が臨界密度より高ければ)宇宙の曲率は正になり,収縮を始める。逆に1より小さければ,初めから等速で膨張したので,ガスが固まらず,銀河や星ができない。曲率1だから,宇宙は平坦に保たれている。
第四は,λ。宇宙を押し広げる斥力として働く真空のエネルギーの大きさを示す。この数値が小さいために,現在の宇宙が成り立っている。
第五は,Q。銀河や星の集合体である銀河団などのまとまり具合を示す数字。現実の宇宙では,Qは,十万分の一となっている。これが100分の一といった大きな数値なら,ほとんどの構造がブラックホールになっている。十万分の一になっているので,銀河や星が存在する。
第六は,D。次元。われわれは,三次元に暮らしているが,もし二次元なら,生物は存在できない。三次元空間では重力の強さが距離の自乗に反比例するが,四次元なら距離の三乗に比例する。そうなると,銀河の中心程重力の影響が大きく,三次元では銀河の中心を回転している星々が,スパイラルを描くように中心部に堕ち,ブラックホールだらけの宇宙になる。
こういう奇跡のような数字をみると,人間が生まれるように,「ファイン・チューニング」されたようにみえる。
これを人間原理という。
スティーブン・ワインバーグは,マルチパース(多数宇宙)による人間原理を,こう主張する
宇宙は無数に存在し,それぞれが異なった真空のエネルギー密度を持っている。その中でも,知的生命体が生まれる宇宙のみ認識される。現在の値より大きな値を持つ宇宙では天体の形成が進まず,知的生命体も生まれない。認識される宇宙はいま観測されている程度の宇宙のみである。
無数の宇宙があり,その中で天体の形成が進み,知的生命体の生まれる宇宙がある。そこで観測される宇宙が,その知的生命体を生むのに都合よく見えるのは当たり前,…これが人間原理と呼ばれるものだ。
これより前,ロバート・ヘンリー・ディッケは,もっとはっきりした言い方をしている。
宇宙開闢の初期条件は人間が生まれてくるようにデザインされている…。
初めて人間原理という言葉を使ったのは,ブランドン・カーター。コペルニクス原理に対比させて人間原理と呼んだ。
まるで,せっかく人間中心からの転換を果たしたコペルニクス以前に,天文学者が回帰しようとしているような,異様な意見に見える。
著者は,人間原理を使うことなしに,宇宙の平坦問題を,インフレーション理論で,説明可能だという。
インフレーション理論は,宇宙がビックバンを起こした理由を説明し,真空の相移転による急膨張が終わったところで放出された膨大なエネルギーによって,宇宙が火の玉になったことを説明すると同時に,
宇宙が完全に均質な空間ではなく,星や銀河といった構造の「タネ」になるデコボコが生まれた理由を
明らかにしている,としてこう説明する。
…全体の構造を造るには「事象の地平線」を超える大きなスケールの密度揺らぎか必要です。ビックバン理論ではちいさなゆらぎしかできないのです。
事象の地平線とは,「そこまでは光が届く境界線」のことです。アインシュタインの相対性理論によれば,光速は宇宙の「制限速度」ですから,それよりも速く移動できるものはありません。したがって「地平線」の向こうには情報や物質が伝わらない。つまり,因果関係をもつことができないのです。
初期宇宙はこの地平線距離が短く,空間全体が因果関係をもつことができませんでした。全体の構造を作るほど大きな密度ゆらぎを作れないのも,そのためです。
まず「密度ゆらぎ」の問題は,微小なゆらぎが急速な膨張によって一気に大きく引き伸ばされたと考えれば説明がつきます。つまり現在の私たちが観測できる宇宙は,「地平線」の内側にあった領域が大きく拡大されたものなのです。
だとすれば,観測できる宇宙が「一様」になっているのも当然でしょう。インフレーション前に「地平線」の内側にあった領域は,因果関係があるので,物質やエネルギーを移動して均一な空間にすることができます。
そして,平坦問題も,
私たちが観測できる宇宙が初期宇宙の一部を拡大したものだとすれば,「一様性問題」と同様,これは不思議でもなんでもありません。
初期宇宙の曲率が大きく正か負の値を取っていたとしても,その一部がインフレーションによって巨大に引き伸ばされれば,そこは平坦に見えます。「地平線」の外側まで観測できれば,…大きく曲がっているのかもしれませんが…。
しかし人間原理は,天文学者を二分している。
スティーブン・ホーキングは,マルチバースの人間原理について,
マルチバース(多数宇宙)の概念は物理法則に微調整があることを説明できる。この「見かけの奇跡」を説明できる唯一の理論だ。物理法則は,われわれの存在を可能にしている環境因子にすぎないのだ。
と擁護する。しかし一方,デビッド・グロスは,
それはまったく科学ではない。科学の理論に必要な観測的実証性も反証可能性もない。結局,論理を詰めることによって究極の理論に到達するという物理学の目的を,放棄することになる。
と厳しく批判する。著者は後者の立場に立つ。こう締めくくっている。科学者の矜持というものだろう。
四半世紀前に人間原理を知ったとき,これはとうてい科学ではない,と強い嫌悪感を覚えたものである。物理学者の端くれとして,
論理を詰めて研究を進めるならば,私たちは,未定定数を一切含まない究極の統一理論に達するはずだ
そもそも,物理法則の美しさから考えても,物理法則はでたらめにサイコロを振ってきまっているようないい加減なものではなく,確かな原理で確定的に決まっているものだ
という信念を,貫いてほしい。コペルニクス的転換を逆回転させるのが,科学であるはずはない。
参考文献;
佐藤勝彦『宇宙は無数にあるのか』(集英社新書)
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