2013年09月15日
ミーディアム
天については,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11276568.html
でふれた。
中国の思想では,全ての人には天(天帝)から,一生をかけて行うべき命令(天命)が与えられており,それを実行しようとする人は天から助けを受け,天命に逆らう者は必ず滅ぶと考えられている。
非命は天命ではなく,だから横死と言われる。
天の声を聴くのを,
霊媒(medium)という。霊媒(medium)とは,
超自然的存在(霊的存在)と人間とを直接に媒介することが可能な人物のことである,
という。
一般には,
霊媒は意図的にみずからを通常とは異なった意識状態に置く。この状態は「トランス状態」(や「変性意識状態」)と呼ばれている。その間に超自然的存在が当人の身体に入り込み,人格が超自然的な状態(霊格)に変化する,
とされる。いま僕が学んでいるのは,グランディングとセットである。グランディングについては,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11081715.html
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11203478.html
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11216752.html
等々で触れてきた。地軸とつながることで,自分が自分の中にいる,と言うことを日々確認する作業になっている。それは,同時に生かされてある,と言う自分の状態についての感謝なのである。
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11264408.html
だからこそ,自分が回路(媒体)となって(昔風に言うと,憑代か),天の声を聴く,聞えるはずなのだが,僕は,自分が聴いているのが,
天の声なのか,
自分自身の声なのか,
の区別がつかない。自分の声といっても,
妄想なのか,
過去からの声なのか,
天の声の解釈し直しなのか,
幻聴なのか,
その区別もつかない。その上,自分には,性癖として,イメージが先に見える。クリアとばかりは行かないが,それが置かれている,あるいはいる状態の画像が見える。それは,いま学んでいるところでは,これを「霊能」と言い,よい性向とはみなされない。むしろ,何かが邪魔してきちんと耳を傾けていない例とされる。
ここは僕の想像だが,霊能がダメなのは,それが主体的というか能動的な関わり方であるからではないか。それは自力で,こちらの計らいでしかない。あくまで,
聞く(聞こうとする)のではなく,
聞え(てく)る,
でなくてはならない。
先輩に教えられたことに,
姿勢,
集中,
感謝
の3つが必要と言われる。自分に欠けているのは,感謝らしい。自分がやっていることのサポートを,自分の力のせいと思うところが強い。我執というか我意というか,それが邪魔するので,天の声は届かない,という。
これも,違う言い方をすると,
いまの自分が生かされている,
のではなく,
生かされてある,
という意味をかみしめるということになるのかもしれない。
自分が生かされてあることに,謙虚になる,そこが出発点であり,そこが究極の目的なのかもしれない。
まだまだである。
しかし,ひとつこれを学び出そうとした動機にあるのは,虚心坦懐ということを,体現するということだ。自分の我執の色眼鏡を捨てる,その一つの方法となるのではないか,という期待である。
その端緒は,ちょっと見えた気がする。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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#虚心坦懐
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この記事へのコメント
ロレックス 214270 ロレックス デイトナ http://www.py85.com/
Posted by ロレックス デイトナ at 2013年10月24日 04:30
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