2013年09月18日

見立て


先日,これもツイッターでお知り合いになった柳家一琴師匠のらくごカフェへお邪魔して,昼の部だけ,四席お話をうかがっていきた。

いつも感心するが,落語の語りの,

間,

間合い,

息継ぎ,

テンポ,

リズム,

語りの向き,

声音,

言葉遣い,

しぐさ,

見立て,

等々。素人などで突っ込んだことはいえないが,噺家は,いわば,脚本(古典にしろ創作にしろ)を手にした演出家で,しかも役者というか演じ手は自らの中から次々と出してくる第二第三の自分自身で,その構成や流れ,肝,オチへ持っていく段取りなどは,噺家によって全く違う。

特に,噺家の「間」というのは,独特で,昔,徳川夢声と言う人が,

「マ」とは虚実のバランスなり。
「話術」とは「マ術」なり。
「マ」とは動きて破れざるバランスなり。

と言っていたようだが,聞いている側が心地よいのは,たぶん,そのバランスがいいのだろう。しかし,そのバランスも,話し手のリズムとテンポによって,また違うはずである。

その意味では,同じ演目で,異なる噺家が次々と語っていく,競演というのを見てみたい気がしないでもない。

閑話休題。

玄人の方にとっては当然至極なのだろうが,僕は,噺で面白いのは,見立てだと思っている。いわば,アナロジーである。アナロジーについては,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0212.htm

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0213.htm

でまとめたが,基本的には,アナロジーのとらえ方は,

「~と見る」見方,

「~にする」仕方,

「~になる」なり方,

の三つがある。
「~と見る」は,見えているものを何かと同一視することである。芝生を緑の絨毯,群衆の逃散を蜘蛛の子といった,何かを別のモノやコトと見る,何かに別のモノをダブらせることである。これは視線の変換である。

「~にする」は,一方を他方と同じにすることである。そう見えるようにする,そう見えるように変える,そう見えるように置き換える。これには,ミニチュア,模型,箱庭,プラモデルといったものが当てはまる。これは対象の変換である。

「~となる」は,見る側,する側から,される側に代わることである。そういう立場になる,その役割を引き受ける,そのモノになる,その場に立つ,といった身振り,ジェスチャー,声帯模写,形態模写等が当てはまる。

特に噺と関係するのは,「~となる」見立て方ではないか。これには,

なる



代わる

とがあり,いわゆる共感や相手の立場,そのモノになる,そのものと代わる,ということを意味する。これは,自分の固定した「私」を捨てることで,全く違った視野を想像することである。これには,

感情から入る(感情移入)のと
カタから入る(ロールプレイングやジェスチャー)のと

がある。物まねや形態模写がそれにあたるが,噺では,カタから入るのがよく使われている気がする。

その小道具は,落語では,扇子と手拭,羽織,手振り,身ぶり,着物の衿元等々で,語り手の性別をさりげなく,象徴する。象徴というより,比喩で言う,提喩のように見える。

因みに,比喩には,直喩,隠喩,換喩,提喩といった種類があるが,これをアナロジーと対比させると,直喩,隠喩が《類似性》の表現(類比),換喩,提喩が《関係性》の表現(類推)となる。

直喩は,直接に類似性を表現する。多くは,「~のように」「みたいな」「まるで」「あたかも」「~そっくり」「たとえば」「~似ている」「~と同じ」「~と違わない」「~そのもの」という言葉を伴う。従って,両者は直接的に対比され,類似性を示される(言葉による類似性の表現)。それによって,比較されたAとBは疑似的にイコールとされる。それは,直喩は,直接に類似性を表現する。

隠喩も,あるものを別の何かに喩えて表現する。直喩と違うのは,媒介する「ようだ」といった指標をもたない。そこで,直喩の明喩に対して,隠喩を暗喩と呼ぶ。隠喩には,
 (a)直喩のような疑似的に両者を重ね合わせるもの,
 (b)異なる両者に機能・役割・構造の類似性を見つける,
 (c)対立する二者に部分的な類似性を見つける,
 がある。
 (a)は,AとBが重なる直喩と同じものである(「雪のような肌」と「雪の肌」)。(b)は,心臓を「ポンプ」と見立てる。心臓とポンプという異なる二者に,類似の機能という共通の機能を置くことで,心臓の働きが見える。(c)は,獅子王とか狐のこころと言ったとき,対比する両者に「勇敢さ」や「狡猾さ」という一部の特徴を重ねるところで成立している。

換喩と提喩は,直喩,隠喩と異なり,その表現が両者の関係を表している。換喩の表現する《関係性》は,空間的な隣接性・近接性,共存性,時間的な前後関係,因果関係等の距離関係(文脈)。提喩の表現する《関係性》は,全体と部分,類と種の包含(クラス)関係(構造)。

換喩の表わす関係は,「王冠」で「王様」,「丼」で丼もの,「鍋」で鍋物料理,永田町で自民党政治,霞ヶ関で官庁,詰め襟で学生,白バイで交通警察,「黒」「白」で囲碁の対局者,ピカソでピカソの作品,灘で名酒等々。この特徴は,類縁や近接性によって,代理,代用,代置といった相手との関係を表現することである。そうした関係には,たとえば,容器で中身(銚子で酒,鍋で鍋物,丼で丼物等)。手段で主体(白バイで交通警察官,赤ヘルで広島カープ等)。材料で製品(アルコールで酒等)。作者-作品(ピカソでピカソの絵,太宰で太宰の作品等)。メーカーで製品(クリネックスでティシュ,トヨタでトヨタの自動車等)。産地-産物(灘で日本酒,コニャックでコニャックのブランデー等)等々。

提喩は,その代置関係の代表性,象徴性が強まる。たとえば,部分で全体を表わすものとして,白髪で老人,青い目で外国人,また手や頭で人(手が足りない,頭数)等。類で種を表すものに,大師で弘法大師,太閤で秀吉,花で桜等。逆に種で類を表わすものに,小町で美人,めしで収入(飯の種),成員で集団を表わすものに,ウォークマンで携帯用ステレオ,セロテープでセロハンテープ等々。

こう見ると,噺家の見立ては,提喩を多用するということがよくわかる。

手拭の折り方で財布にも札束にもなる。扇子のわずかな開き方で箸になり,煙管になり,手のしぐさで御猪口になり,襟元をちょっと抜くだけで女性を表現する,と部分で全体を表現しようとするところに,見立ての工夫がある。その面白さは,多く,噺の文脈に依存しているから,噺の流れの中で,聴き手にもすぐにそれと伝わる。

してみると,結局見立ては,噺の出来がよくなければ,その象徴性を際立たせられない,ということかもしれない。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





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posted by Toshi at 06:16| Comment(3) | 見立て | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by シャネル ウォレットチェーン財布 at 2013年10月25日 11:31
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