立ち直り
前に,凹む,については,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11295011.html
触れたことがある。では,その落ち込んでいるとき,どう立ち直るのだろう。
例えば,
お酒を痛飲する
激しい恋をする
やけくそになる
人に愚痴を言う
楽しいことをする
すべてを忘れて旅に出る
何もせず陰々滅々になりきる
黙ってひたすら寝る
しかし僕は何もしない。しくじった,叱責された,人から激しい非難を浴びた,失恋した,裏切られた等々,どの場合も,落ち込みながら,脱出方法,打開策の選択肢が浮かんでいる。
これについては,パニックでも書いたが,
http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/2013-0804.html
人の脳は,はるかに多くのことを同時並行で進行させているらしい。僕は,しばし落ち込み,悔やみ,激しく懊悩する。しかし同時に,既にどうすべきなのかが,頭に(無意識のこともあるが)答えが浮かんでいることが多い。
次に機会があれば,こうしよう,
あの時の対応は,こういうやり方があった,それを忘れていた,
やったプロセスの,問題点はここだから,そこを手直ししよう,
まあざっとこんな具合に,客観的には,正しい対応策かどうかは知らない。しかし対応策,打開策を考えることが,僕にとっての立ち直りの方法らしいのだ。
それは,凹んで,落ち込んだ自分のリソース側からの,
まだこういう可能性がある,
まだこれだけの手が残っている,
まだやりつくしてはいない,
まだどん詰まりにはない,
という生き残りのエネルギーが湧き上がってきて,支えてくれるらしいのだ。
無論空元気なのかもしれないし,どっちにしたって後の祭りなのかもしれない。しかし,自分の中に対応する手立てとスキルがあることが,落ち込んでいられない,と思わせてくれるらしいのだ。
いってみると,僕は落ち込まず,そこから立ち直る方法,スキル,振る舞いを,自分の中から見つけることで立ち直るという選択をしているらしい。その選択肢を考えることで,落ち込む側面を,落ち込んだ崖下を見ないようにしている,といってもいい。
どんな問題でも,それが解けなくなる時,行き詰まる時は,トンネルビジョンに入っていることが多い。それは,解き方の問題ではなく,問題の設定の仕方なのだ。
だから,
ダメな自分,
という問題の設定をするか,
ダメな自分のどこが問題だったのか,
あるいは,
どうすればよかったのだろうか,
という問題の設定の仕方をするかで,その事態への視界が決まる。一番目は,問題の焦点をあてている。しかも自分自身に焦点が当たる問いになっている。
二番目は,「どこが問題だったか」という問いの立て方の中に,「自分の振る舞い」に焦点が当たる問いになっている。
さらに三番目は,「どうなったら」と,「どうなったら解決したことになるのか」「どういう状態だったらよかったのか」とという問いになっている。。それは,自分そのものでも,自分の振る舞いの問題でもなく,自分の振る舞いの問題解決(状態)を視野に入れる問いになっている
解決を志向すれば,解決が見え,問題を志向すれば,問題が見える。
そういう姿勢を取ることで,立ち直ろうとしている。
いつも,いつもそうできるわけではない。
たとえば,これが失恋のように人との関係の場合は,少し勝手が違い,立ち直れず,時間とともに,忘却していくしかない,というのが普通だが。
それでも,どこかに,心のリソース側が,諦めずに偶然か,僥倖か,まだほんのわずかでも可能性があると思わせるところがあり,こればかりは,ちょっと独り相撲的になる悪癖はあり,とどのつまり自分がかえって追い詰められる可能性があるが…。
まあ何ごとも例外はある…!
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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