2013年09月30日

逃げる


「三十六計逃げるに如かず」。いわばあれこれ無駄に評定するくらいなら,ともかく逃げて後の計画を立てたほうがいいと言う。

第三十六計目は,「走為上」(逃ぐるを上と為す)であるという。

言わば,負けるが勝ちである。孫子の兵法にも,「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるもの」とある。織田信長というひとは,逃げるとか,卑怯とか,弱みとか,残虐とかということに先入観のない珍しい人物で,朝倉攻めの最中,後背を浅井氏の裏切りで閉ざされると,全軍に撤兵を指示して,さっさと一騎で京へ逃げ帰った。そういえば,黒澤明の『隠し砦の三悪人』では,藤田進演じる何某という武将が,「裏切りご免」と,寝返ったが,これも,いつの頃からかマイナスイメージに転じた。

「逃げる」をマイナスに捉えたのは,いつからだろう。平和になり,かえって武士というもののありようが問われるようになった江戸時代中期以降か。大体,サムライでないものが,サムライ精神を言挙げすると,いつも勇ましくなる。山形有朋の軍人勅諭の,

軍人は武勇を尚ぶべし

なんぞは,普通の人間に,鍛錬したサムライと同じにせよと言っているようなもので,もともと無理がある。どうもそういう軍隊は弱い。どだい,本当のサムライは,自分のことをサムライとは言わない。誰かが日向に傘を差すような振る舞いはせぬものと言っていたが,サムライの看板を背負って歩くような奴は,見かけ倒しと相場が決まっている。サムライでないものの方が,強くサムライを意識する。土方歳三や近藤勇などはその例だ。

生きて虜囚の辱はずかしめを受けず,死して罪禍の汚名を残すこと勿なかれ

ということを戦陣訓にしたのが誰かは知らないが,これを示達した東條英機のような器量の小さいものほど言いたがる。そういえば,逃げるのを非難する向きは,高みの見物している奴か,旗だけ振って後ろからけしかける政治家や評論家と相場が決まっている。自分は前線に出ないとわかっているからだ。まずは勇ましいことを言うやつを前線に出してみることだ。

大体が,

人に備わらんことを求る勿れ

という。小人ほど,人に完全を求める。

尖閣でけしかけた何たらという前都知事は,政治家なら,まずはおのれが直接中国に乗り込んで見せよ。それからかっこいいことを言え,と若手(もうそうでもないか)の新右翼の論客にすら後ろ指さされていた。彼はいつも安全なところから人をけしかける,と。

安全地帯で旗を振る輩ほど勇ましい。

そういう輩に利いた風な口をきかせてはならない。

暴虎馮河し,死して悔いなき者は,吾与にせざるなり,必ずや事に臨みて懼れ,謀を好みて成さん者なり,

と孔子の言うとおりである。大体そういうのは,猪武者といってもサムライとしても下の下である。

戦争を政治の手段に位置づけたのは『戦争論』のクラウゼヴィッツだが,そもそも戦いになったら,政治の失敗なのである。勝利が目的なら,戦うことのみを目的化するのは意味がない。勝つために何をすべきかだけが大事なのである。勝つことを徹底すれば,いかに素早く逃げて,次に備えるかが肝心となる。

負けるが勝ちとは,事態の正確な把握を必要とする。危機は危機と認識できるとは限らないと同様,敗北が敗北と認識できるとは限らない。しかし,それは戦いの前に,戦いの目的を見失っているのに等しいのではあるまいか。

戦いは,目的があってはじめたはずだ。とすれば,少なくとも勝てないまでも,負けない戦をしなければ,何のために戦いを始めたのかがわからない。そもそもそこで,既にリーダーシップが欠けているとしか言えないのだ。勝つために何をすべきか。彼我の戦力差の認識と戦いの状況の正確な把握である。

寡兵で敵に戦うために,背水の陣をひく。かつてカストロは,退路を断つために,上陸してきた船を叩き壊した。漢の韓信は,一万兵で二十万の敵に対するのに,河を背にして布陣し,逃げ場をなくして必死で戦い,背後に回った味方の挟撃の時を稼いだ。これも,自らを追い詰めるという決断であって,そこには彼我の差の正確な自己認知があるからだ。

西夏に備えていた宋の武将の配下五千名が反乱を起こして,西夏へ逃亡したことがあった。部下の将軍たちが慌てる中,泰然自若として,「かれらはわしの命令で行動した」から騒がなくていいとのんびりした口調で語ったという。それが,西夏に疑心暗鬼を引き起こし,逃げ込んだ五千名を殺させたという。騒いだところで,兵が戻ってくるわけではない。その事態を正確につかめば,何をすればいいかは,明白だ。何もなかったようにしているしかない。

野村克也氏に,「勝ちに不思議の勝ちあり,負けに不思議の負けなし」という名言がある。それはここでも正しいようだ。

いやいや,話が勝ち負けに流れた。言いたいことは,「負ける」でも「逃げる」でも,それに価値観を当てはめると,ろくなことはないということだ。

ただ,逃げると避けるは違うように思う。

逃げるはその場を捨てる,去る。避けるは,やり過ごす。その場にとどまる選択肢といっていい。だから,避けるには決断はいらない。しかし,逃げるは決断がいる。決断がいるということは,覚悟がいるということだ。

何から(何を)逃げるのか。

その人か,

そのモノか,

その場所か,

そのときか,

その位置か,

その役割か,

その立場か,

自分からか,

自分の執着からか,

まあ何にしたところで,逃げるには逃げる理由がある。黒澤明のように,徴兵を逃れた人間は,徴兵忌避ではなく,徴兵回避であって,大した決断はいらない。だから覚悟が決まっていない。

逃げるというのは,実は戦場では最も危険である。したがってその場に留まって敵を防ぐ殿軍は,決死である。だから猪武者より,思慮と器量と度量がいる。決断といい,覚悟と言ったのはその意味だ。



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posted by Toshi at 05:18| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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