2013年10月07日

プロ


僕は,葛藤を抱えて生きている人の表情がいいと思っている。葛藤なく,ストレスもない人の表情は,人の顔ではない。少し言い過ぎかもしれないが,葛藤を克服した,平和な表情は,好きではない。葛藤のない人生はない。問題は葛藤に押しつぶされているか,葛藤をコントロールしているかの違いだろう。

ところで,プロフェッショナルとは,内的葛藤を,あくまで自分のこととして,そんなことはおくびにも出さず,おのれの仕事をこなす人のことだと思っている。

プロフェッショナル性については,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11005806.html

で書いたが,プロフェッショナルかどうかの原則は,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/view03.htm

で書いた。第一は,その技量の高さだが,それだけではプロではない。

その積み上げた知識と経験の多寡だけでは,プロにはなれない。それを,批評する視点を持っていること,つまり,自分の方法の方法,プロフェッショナルのプロフェッショナル,つまりプロフェッショナルであるとは,メタ・プロフェッショナルであることなのである。それは,自分が何の,どんなプロフェッショナルであるかを,コトバにできることでもある。人に伝えられるコトバをもっているかどうか,がプロとアマの本質的な差のように思う。

イチローと(非難されるかもしれないが)例は悪いが松井秀喜の差と言ってもいい。

ところで,そこにも書いたが,世の中には,一流と二流がある。しかし,二流があれば,三流もある。三流があれば四流がある。しかし,それ以下はない。プロも同様で,

「一流の人」とは,常に時代や社会の常識(当たり前とされていること)とは異なる発想で,先陣を切って新たな地平に飛び出し,自分なりの思い(問題意識)をテーマに徹底した追求をし,新しい分野やものを切り開き,カタチにしていく力のある人。しかも,自分のしているテーマ,仕事の(世の中的な)レベルと意味の重要性がわかっている。

「二流の人」とは,自らは新しいものを切り開く創造的力はないが,「新しいもの」を発見し,その新しさの意義を認める力は備えており,その新しさを現実化,具体化していくためのスキルには優れたものがある。したがって,二番手ながら,現実化のプロセスでは,一番手の問題点を改善していく創意工夫をもち,ある面では,創案者よりも現実化の難しさをよくわきまえている。だから,「二流の人」は,自分が二流であることを十分自覚した,謙虚さが,強みである。

「三流の人」とは,それがもっている新しさを,「二流の人」の現実化の努力の後知り,それをまねて,使いこなしていく人である。「使いこなし」は,一種の習熟であるが,そのことを,単に「まね」(したこと)の自己化(換骨奪胎)にすぎないことを十分自覚できている人が「三流の人」である。その限りでは,自分の力量と才能のレベルを承知している人である。

自分の仕事や成果がまねでしかないこと,しかもそれは既に誰かがどこかで試みた二番煎じ,三番煎じでしかないこと,しかもそのレベルは世の中的にはさほどのものではないことについての自覚がなく,あたかも,自分オリジナルであるかのごとく思い上がり,自惚れる人は,「四流以下の人」であり,世の中的には「夜郎自大」(自分の力量を知らず仲間内や小さな世界で大きな顔をしている)と呼ぶ。

少なくとも,自分自身と自分の仕事と成果に誇りをもっていること,あるいは誇りをもてるようにするにはどうすればいいかをたえず考えていることが,四流かそうでないかの分かれ道であるように思う。

しかし,それだけではないように思う。僕は,プロ(レベルや分野はともかく,それでめしを食っている人をひとくくりにそう呼ぶとすると)は,私的な葛藤があろうと,どんな時も,プロとしての技を出せる人だと思っている。それは,メタ・プロフェッショナルだからこそ可能なのではないか。

コーチングの世界で,パーソナル・ファウンデーションと言われるものが嫌いなのは,プロのくせして,言い訳を用意しているようなところがあるからだ。そんなものがあろうがなかろうが,おのれの技を示すべき時に,示せることだ。

僕がプロフェッショナルとしては,ピンではなく,キリにしろ,プロと自分を認識しているのは,自分が内的葛藤でヘロヘロでも,そんなことをおくびにも出さす,為すべきことをしたという自負があるからだ。そのレベル(が低いこと)はともかくとして。

例えば母が緩和ケアに移って,ほんの数カ月で亡くなったが,その間も,その後,葬儀の手配をし,葬儀までの間も,断続的に仕事をこなした。不思議に,葬儀が仕事のあいまに,ピタリとはまり,臨終,病院退去,葬儀社,葬儀という間,仕事も臨終,退去,仕事,葬儀,仕事と連続していた。その間,コーチングセッションも入っていた。

だからこそか,それゆえか,緊張感はあったが,特別の心構えをした記憶はない。誤解されると困るが,自慢しているのではない。この程度のことは,普通のビジネスマンにもあることだ。(僕自身,20代のとき,あと半年と宣告された父の死をそうして迎えたが,専従ではなく,組合の執行委員でありつつ,仕事をこなしていったことがある。傍目にはともかく,主観的には,仕事をこなしたと思っている)。

まあしかし,この程度のことは,プロかどうかとは別で,単なる仕事の捌き方の問題なのかもしれないが…。

とすると,余計に思う。パーソナル・ファウンデーションなどというものは,何の意味もない,と。日々の生活基盤を整えようと,突然被災するかもしれない,家族が事故にあうかもしれない,そのとき,築き上げたファウンデーションは意味を失う。

それでも平然と仕事をこなさせるのは,パーソナル・ファウンデーションの有無,是非ではなく,自分のプロフェッショナルとしての自覚(それを支えるスキルがあってこそだが)ではないか。というか,ありきたりだが,心構えなのではないか。

あえて言えば,心のファウンデーションが先なのではないか,と。

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





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#自覚
#心構え
posted by Toshi at 05:58| Comment(2) | プロフェッショナル | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ポロラルフローレン
Posted by ラルフローレン タオル at 2013年10月30日 10:46
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Posted by バッグ レディース at 2013年11月05日 11:41
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