2013年10月11日


夢については,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11125804.html

で書いたことがある。イメージしたことは実現できるというが,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11306201.html

でも書いたように,人は,そう途方もないことをイメージできない。なぜなら,意識にないものはイメージ化できない,ある意味で,それは,いまの心の中にあるものを,

最大限に膨張させたもの,

になる。それはだから,実現可能性が高い,ということなのではないか。

しかし,もうずいぶん昔から,夢見てきて,遂に実現できていないことがある。努力もまあ,一応した,しかし,それは遂に果たされない。そんな程度の努力だ,といわれるかもしれない。それはそうだ。血の尿の出るほどの努力とは到底言えない。ただ,強く感じているのは,人は,おのれのDNAの限界は超えられない,ということだ。

まあ,言ってみれば才能だ。

思うに,

努力も才能だ。

それ以上の努力は,しようと思っても,できない。いやいや自分の限界を決めてしまうところが,そもそも才能なのかもしれない。

力足らざるものは中道にして廃(や)む。今汝は画(かぎ)れり。

そう孔子はおっしゃる。はじめから自分で自分に限界をつけている,と。その境界線もまた,才能なのではないか。どこまでも伸び白が自在に伸ばせるかどうか,その努力に限界を設けないのも,また才能なのではないか。

何となくおのれの才能に見切りをつけかけてくると,なんとなく,そう言いたくなる。

閑話休題。

夢と言うと,

I Have a Dream.

というキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)のあの声が耳元に聞こえる。

そう,夢がある,

という言葉はきれいだが。それを支えるのは,イメージしたり思うだけでかなうことはない。

趣味の世界なら,

私は絵を描いてます,
私は詩を書いています,
私は役者をやっています,
私は野球をやっています,

等々というのは悪くない。しかし,その境界線内にいることを潔しとしない瞬間から,つまりはプロフェッショナルとして生きていこうとするときから,視界に大きな壁が広がる。というか途方もない広くて長い階段が見えてくる。それを目指したものにしか見えない,幻の階段だ。

それをフロー体験などという言葉で言い換えたら,たぶんそれはプロの世界ではなく,趣味の世界だ。イチローが好きなことをやっていても,楽しくはない,と言ったのに象徴されるように,「楽しい」「夢中」は,趣味の世界だ。

しかもそれは,ひとつ登るたびに,頂上はますます遠のき,雲のなかに消えて見えなくなる世界だ。

いい例かどうかはわからないが,弁護士でも税理士でも,あるいはカウンセラーでもコーチでも,それで食って行けるかどうかは別にして,店を開けば,それでいい。しかし,個人の才能が問われる,個人「芸」の世界では,その芸のレベルは歴然とした差がある。その差は,やっているものの技量のレベルに応じてしかわからない。

それは才がはっきり問われる。努力だけでカバーできるとするには限界がある。仮に,イチロー並みの努力をしても(できはしないが。出来たとしても),イチローにはなれない。

その厳しい現実の前で,夢は妄想に近づく。

夢は実現できる,

という言葉の持つ厳しい現実が見える。

そして思う。それで夢が諦めきれるなら,それはここで言う夢ではない。他の何か,野心だったり,願望だったり,希望だったり,という他の何か,夢ではない何かなのだ。

夢は,一生かけて追うものなのだ。

あるいは,おのれの一生分に値する何かなのだ。


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



#マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
#夢


posted by Toshi at 04:47| Comment(1) | 生き方 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by 通販 激安 バッグ at 2013年11月04日 19:39
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