2013年10月18日

けじめ


コーチングでは,答えは,クライアントの中にある,という。

したがって,クライアントのことを,あるいはクライアントの仕事の詳細を知らなくてもできる,という。

では,コーチングを支えるのは何か。

例えば,クライアントの土俵に乗り,クライアントの準拠枠に即して,その考えに寄り添い,共感する,という。しかし,その支えになるものは何か。

傾聴力なのか,

共感力なのか,

質問力なのか,

あるいはそれらを総合するコーチ力なのか。

それでは,それを支えるのは,コーチの,

コーチングキャリアなのか,

コーチ個人のキャリアなのか,

コーチの人生経験なのか。

問いを変える。コーチは,たとえば,サラリーマン生活のキャリアがなくても,サラリーマン生活の中で突破しようとしているハードを超えさせることができるのか。

たぶん,できる,というのだろう。

しかし,本当にそうか,という疑問がある。相手に寄り添っても,その思いの重さが本当の意味で分かるには,それと当量の思いを自分の中に持たなければ,たぶん,言葉だけだろう。

それでもコーチングはできる,それなりに。

しかし,それで本当に,相手の思いの大きさ,重さを受け止めきれるのか。

僕の中に,そういう思いがいつも付きまとう。

もっとうまいコーチングがあるのではない。

もっとうまいコーチがいるのではないか。

コーチを渡り歩いているよほどのモノ好きでなければ,他にコーチを知らない。とすれば,コーチ-クライアント関係とはこういうものだと,思うかもしれない。

それは,どうなんだろう。

そのカギは,僕はコーチング力ではないと思う。

結局,その人がどれだけ真剣に,

おのれの人生を生きたか,

おのれの果たすべき役割を遂行してきたか,

おのれの使命というか,何をするために自分がここに居るのかの答えを探し続けてきたのか,

おのれ自身をどれだけ見つめ続けてきたのか,

おのれをどれだけまるごと受け止めてきたのか,

等々自分との戦いをどうしてきたかにかかっている。

その時,そこに必要なのは,たぶんスキルではない。

傾聴とか,

共感とか,

質問とか,

承認とか,

認知とか,

リクエストとか,

フィードバックとか,

諸々のスキルが吹っ飛ぶくらいの存在感そのもので,向きあえるかどうかなのだ。

それは,

風圧と言ってもいい。

パワーと言ってもいい。

エネルギーと言ってもいい。

やはりそれなりに,人生を格闘してこなかったものに,相手の格闘の大きさも深さも重さも見えない,

古い人間かもしれないが,僕はそう思う。

第一コーチは,多く,兼務のコーチ以外,ビジネスの最前線,ビジネスの現場を離れている。その意味では,リタイアしている。

はっきり言って,直接この世の中を動かす修羅場にいない。

その自分の立ち位置を弁えていなくてはならない。

それでもなお,コーチングが有効であるのは,何なのか。

その自問を忘れてはならない。

コーチングありきではなく,

コーチありきではなく,

それよりなにより,

自分がどういう存在として,

何をするために,そこにいるのか,

の答えを明確に持っていなければならない。

コーチングが有効であるのは,何なのか。

その自問をしつづけることを忘れてはならない。

自己研鑽とか自己探求などは,言わでもがな,

おのれの生き方が問われていることを自覚すること(さらされていると言うべきか),

それが,現場を離れた人間の,最低限のけじめである,と僕は思う。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm





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posted by Toshi at 05:46| Comment(0) | コーチング | 更新情報をチェックする
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