2013年10月21日

当たり前


当たり前を当たり前としない,というのを長く習慣のようにしてきた。人が当たり前とすることを,当然と思うようでは,何も違いが発見できない。ベイトソンではないが,情報とは差異である。違いに着目することだ,と。

しかし,当たり前がこれほど大事と思い知らされることが,最近多い。

朝が来るのが当たり前。

明日が来るのが当たり前。

昨日があるのが当たり前。

あの人がいるのが当たり前。

明日も会えるのが当たり前。

日が昇るのが当たり前。

大地があるのが当たり前。

家があるのが当たり前。

月が出るのが当たり前。

当たり前とは,考えたら,それを前提に生きているので,特に意識しないことと言ってもいい。言ってみれば,

何の変哲もない,

ありきたり,

普通,

尋常,

等々,意識しないでいたはずの,

世間並みのはずの世間そのものが消えてなくなる,

平々凡々の毎日が繰り返されない,

常識そのものが雲散霧消する,

そして,自分が非日常の中にいる。だから当たり前を大事にするとか,日々の平凡さが大切ということが言いたいのではない。

あんなに,当たり前を当たり前としない,と口では言いながら,何かを,暗黙のうちに前提にしてきたのではなかったか。

毎日が続く,

明日はまた来る,

帰る家がある,

家族がいつもいる,

考える頭は明日も働く,

だから明日も考え続けられる,

だが,それはそう思い込んでいるだけで,何の保証もない,危うい崖淵を歩く危機の中にある,と言うことに改めて気づかされる。

毎日に差異を見る,ということの本当の意味は,暗黙に前提にして見えなくなっていることはないか,ということではなかったか。

明日が来るとは限らない。

明日また会えるとは限らない。

明日日が昇るとは限らない。

だからこそ,一瞬一瞬が大事なのではないか。というより,

この一瞬よりほかに,そのことをするときはない,

この一瞬よりほかに,そのことを考えるときはない,

この一瞬よりほかに,そのことを感じるときはない,

その一瞬よりほかに,そのことを言うときはない,

その一瞬よりほかに,そのことを見られるときはない,

その一瞬よりほかに,そのことを聞けるときはない,

花がきれいに見えるのは,その一瞬を逃したら,二度とその輝きを見られないかもしれない,その儚さを無意識で感じでいるからではないか。何も月下美人だけとは限らないのだ。

だとすれば,いまというほんの一瞬に,すべてが詰まっている。そこに,過去も現在も未来も凝縮している。

明日有りと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ(「親鸞上人絵詞伝」)

とは,よく言ったものだ。

一期一会

は重い。そんな出会いもあった。



今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


#一期一会
#ありきたり
#当たり前


posted by Toshi at 06:11| Comment(0) | 別れ方 | 更新情報をチェックする
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