テンポ


先日,「さん生(柳家 さん生)と鶴二(笑福亭 鶴二)の落語2人会」に参加してきた。

https://www.facebook.com/events/344591165675132/?ref_dashboard_filter=upcoming

落語については,

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11312675.html

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11279256.html

http://blogs.dion.ne.jp/ppnet/archives/11225523.html

と,何度か触れたことがあって,これ以上に触れられるほど薀蓄があるわけではないので,別の切り口から考えてみる。

テンポだ。

会に同席した七十歳超(戦中世代とおっしゃっていた)のご婦人が,いまのしゃべりは早い,と言われたのが気になっている。ご主人が商社にお勤めだったとかで,世界を渡り歩き,百人や二百人のパーティを仕切るのは,造作もないと言っておられる,そのご婦人が,喋りのテンポについて,苦情を言われたのである。

そこには,ついその前に聴いた高座の噺についても含まれている。

因みに,さん生師匠のお弟子さんの,わさび師匠の他,,「締め込み」「三十石」「代脈」「井戸の茶碗」等々の演目だったが,たしかに一番早口だったのは,若いわさび師匠で,次が,柳家 さん生師匠,笑福亭 鶴二師匠という順であったと思う。

NHKのアナウンサーのしゃべりも,昔に比べてかなり早くなっていると聞いている。

たぶん,早口と言われた江戸っ子のしゃべり方に比べても,いまははるかに早口になっているはずだ。ここからは妄想に近いが,たぶん,その背景は,

乗り物,

歩き方,

携帯電話,

ネット,

という生活テンポの影響が大きい。待てしばしがなくなっていて,皆せっかちになっている。なにしろ,上司への報告,部下への指示も,昔と比べれば格段に早くなっているはずだ。生活のリズムを作っている基本が,かつては,鐘だったとすれば,単位が,二時間単位。いまは,秒単位。新幹線の望みが10分間隔くらいで運行されている時代だ。

喋りのテンポが早くならざるを得ない。

しかし,もうひとつ,妄想的に思うのは,話すときの,言葉の載せる情報量の多さなのではないか。

譬えが悪いが,手紙を比較するとわかる。いわゆる候文の手紙は,結構言葉を丸めていて,文脈が,その分だけからではわからないことが多い。それに比べると,いまの手紙は,メールでもそうだが,比較的具体的になる。具体的になればなるほど,伝える情報量が多くなる。同じ時間に詰め込もうとすれば,どうしても早くなる。

女子高生の饒舌さは,早口であると同時に,どういったらいいか,言い方は悪いが,説明が,シーケンシャルで,ただ電話したことを伝えるのに,文脈を詳細に,時間軸に沿って話す。当然長くなる,早くならざるを得ない。

その現代に生きる噺家と言えども,地は,そういうリアリティで,早口になっている。しかも,聴き手も早口に馴れている。とすれば,昔風のゆったりした話だと,退屈するに決まっている,と思う。

妄想だが,いまなら,せいぜい小さん師匠くらいまでで,それ以上遡ると,テンポがあわないのではないか。古今亭志ん朝師匠も,あの時代としては早口だった印象がある。小三治師匠の速射砲のような話を聞いたのは,もう十年も前だが,それだって,いま聞けば,ゆったりに聞こえるのではないか。

個人差があるが,僕には,機関銃の連射のようなしゃべりのわさび師匠の噺口が,結構あっている。そういう人が,他にもいて,わさび師匠が,落語の端緒だったという方も,一方ではいらっしゃった。二十代の方だ。

言葉も,話し方も,テンポも,時代を反映する生きものだ。というより,生きている人間によって,使われる道具だ。当然,時代の中で変化する。早くなるのは必然のように思う。

性分から,のんびりした話し方にはいらいらする方だから,一層そうかもしれない。

面白いのは,上方落語の鶴二師匠の方が,話しっぷりがゆっくりだったことだ。でも,考えてみれば,関西弁の方が,東京弁というか,東京人のしゃべり方に比べれば,間がある。当たり前かもしれない。

しかし,話し方のテンポ自体は変わらないはずだ。変わるのは,間のような気がする。

話の間ではなく,

言葉と言葉の間というか,音節と音節の間が,微妙に違う,

そんな気がした。

ありがとう,

というのと,

おおきに,

というのとでは,同じ喋りのテンポでも,受ける印象がゆったりする。

印象からいうと,母音の膨らませ方,にある気がする。

そうです,

というのと,

さようでおま,

というのとでは,そのゆったり感の違いは,母音なのではないか。母音が多いというのではなく,母音が膨らまされる,そういう印象である。

ということは,相手に与えるゆったり度は,テンポではなく,間ということになる。それは言葉と言葉の隙間でも同じ印象のはずだ。

空気を入れる,

という感じになる。それはわずかコンマ何秒の違いかもしれない。

専門外なので,これ以上は突っ込めないが…!

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




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