2013年10月31日

意志


池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』を読む。

二度目だ。単行本の時に読んでいるのだが,印象が薄く,もう一度手に取った。印象が薄いのは,たぶん,高校生相手の講演記録のせいで,散漫で,冗長のせいだ。

もうひとつは,この人の本の特徴だが,いろんな最新学説を,次から次に紹介していく,という流れのために,ひとつが深堀されず,流れていく印象からかもしれない。

僕の好みからいうと,ダマシオやラマチャンドランのようなテーマを突っ込んでいく,特に臨床に即していくラマチャンドランの『脳のなかの幽霊』は衝撃的であった。もちろんいい面悪い面があり,だからどうだというつもりはない。

本書の中で,中心は,意識していることと意識できていないこととの対比を,脳の機能を中心に展開していくところだが,もっとも中核は,意志にかかわる部分だ。意志より先に脳は準備的に動き始めている,という有名な話だ。

参加者に椅子に座ってもらって,テーブルに手を置く。…好きなときに手を動かすということを試してみた。そして脳の活動を測ったんだ。
この実験で測れるパラメーターが4つあるよね。
まず認知の指標がふたつある。第一に,「手を動かそう」とする意図。そして,実際に手が動いたら,「あっ,動いたな」とわかる知覚。
一方脳側から見たときにもふたつの指標が得られる。手を動かすために「準備」をする脳活動と,実際に動くように出す「指令」の脳活動だ。

つまり,①「動かそう」②「動いた」③「準備」④「指令」だが,実際の順序は,

準備→動かそう→動いた→指令

となるらしい。

本人が「動かそう」と意図したときには,脳はすでに動かす「準備」を始めているらしいんだよね。0.5~1秒くらいも前に。より最近の研究によれば,7秒も前に準備が始まっている場合もあるという。

つまり,まず手を動かすための脳の「準備」が始まり,そしていよいよ動かせる段になって,我々の心に「動かそう」という意識が生ずる。動かそうと思ったときには,脳はそのつもりで準備を終えている。

もうひとつは,手に「指令」が行く前に,「動いた」と先に感じる。それに引き続いて,「動け」という指令が手に行く。

つまり自分の意志で動かそうとしているつもりが,脳が動かそうと準備をしてしまっており,それに従っているということになる。

では自由とは何か,ということが,話題になっている。では自由と感じるためには何が必要か。著者は,

①自分の意志が行動結果と一致する
②意図が行動より先にある
③自分の意図のほかに原因となるものが見当たらない

を挙げている。その上で,意志と結果の一致,動いたと感じるより先に動かそうと思っている,また,

動かそうとしている本人の視点から見れば,…僕らは「実際に意図より先に脳が準備している」ことを知らない。…だから「自分の意図」以外に原因となるモノが,その当人には見当たらない,

ということから,自由である感覚を否定するものがない,と著者は言う。そして,

自由意志が存在するかどうかという問いは,その質問自体が微妙なところがあって,…むしろ自由を感じる能力が私たちの脳に備わっているかどうかという疑問にも変換しうる。つまり,自由意志は,存在するかどうかではなくて,知覚されるものではないか,…「知覚されたら存在する」と考えるのが,僕のスタイル…,

という。そして,重要なことは,次の点にある。

行動したいという「欲求」よりも0.5秒ぐらい前には,行動の「準備」は始まっている。しかし,その一方で,「準備」から「行動」までは,その0.5秒よりももっと時間がかかる。1.0秒むとか1.5秒とか。
ということはどういうことか。…「行動したくなる」よりも,「行動する」ことの方が必ず遅い。時間的には,まず欲求が生まれてから。行動をする。この時間差は長ければ1秒近くになる。
この期間が重要なのだ。おそらく「執行猶予」の時間に相当するのだろうと言われている。…その行動をしないことにすることが可能な時間という意味…。その時間内に,行動することをやめることができる。

この,行動するかどうか,するかしないかの意志決定の時間差,つまり,

「準備」から「欲求」が生まれる過程は,オートマティックなプロセスなので,自由はない。…そうではなくて,僕らに遺された自由は,その意志をかき消すことだから,「自由意志」ではなく,「自由否定」と呼ぶ。

この自由否定時の脳のMRI活動を調べた論文のタイトルは,

To do or not to do

なのだというオチもなかなか面白い。つまり,

①脳の準備→②「意志」→③「動いた=知覚」→④「脳の指令=運動」

となる流れで注目すべきは,動いたと,気づいて,動かす,が来る。その意味で,知覚と運動は独立した別々の機能といえるらしいことだ。そのために,現実の時間と心の時間を補正して,

感覚的な時間を少し前にズラして,補正している,

ために,「動く」前に「動いた」と感じるということは,補正が過剰で「未来」を知覚してしまう,ということになるようだ。

脳のフィードバック機能とは別に,(脳のフィードバックは遅いので)何かをしたいと思うとき,脳は,頭の中で,手を伸ばすためには筋肉をこういうふうに動かせばいい,その後はこうしたらいい,といった未来を読みつつ動かさないと,素早く,スムースな動きはできない。そのため,脳は,

結果をまず想定して,そこから逆算して君肉を動かさなくてはいけないとする,

(フィードバックの)逆モデルを多用している。脳は,経験と学習から,

いつも,未来を感じようと懸命に努力している。その結果として,「動いた」と感じてから,実際に「動く」というような奇妙な現象が生じてしまう。

以上が,脳と意志との関係の一例だが,心と脳との関係は,本書では多様に触れられている。たとえば,

意志は,脳のゆらぎからうまれるけど,と同時に,脳のゆらぎを調節することに,意志自体が積極的に関与できるのではないか…

僕らの心はフィードバックを基盤にしている…。ニューロンの回路はフィードバックになっている。そのフィードバックの回路から発火活動の「創発」が生じる。…その創発の産物のひとつが「心」だ。

脳は考えているし,その脳をまた脳が考えている。つまり「リカージョン=再帰」する。…リカージョンが可能なのはたぶんヒトだけ。

「私」というのは,そういう脳の入れ子構造を反映していなくもない。「私」について考える「私」について考える…

つまり,キルケゴールの言う,

自己とは,ひとつの関係,その関係それ自身に関係する関係である。

あるいは,

自己とは関係そのものではなくして,関係がそれ自身に関係するということなのである,

と。つまり,「複雑な私」とはこのことである。


参考文献;
池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』(ブルーバックス)

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm




#池谷裕二
#単純な脳、複雑な「私」
#キルケゴール


posted by Toshi at 06:10| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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